東浩紀「クォンタム・ファミリーズ」(新潮社の紹介サイトはこちら)を
梅田紀伊国屋書店にて購入。

cowvow's bowwow

単行本を書店で購入したのは
阿部和重「ミステリアスセッティング」
ミステリアスセッティング/阿部 和重

¥1,575
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以来な自分にまず驚く。

2010年1月3日(日)未明、
東京から大阪に向かう高速バス内にて
「クォンタム・ファミリーズ」読了。

読了後、周りの乗客が寝静まる深夜バスのなか、
窓外を流れる高速道路の変わらぬ風景を眺めながら、
ゼロ年代(2000年~2009年までの10年間)を振り返り、
考えていたことをまとめてみます。



恥ずかしながら
私は大学4年生、年齢にして21歳を迎えるまで
批評というものを必要としていませんでした。

そして批評というものを読むことなく、

青山真治監督の「Helpless」
Helpless [DVD]/浅野忠信,光石研,辻香織里

¥5,040
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黒澤清監督の「CURE」
CURE キュア [DVD]/役所広司,萩原聖人,うじきつよし

¥3,990
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を大学1年生、18歳の頃に観、感銘を受け、
映画を撮ってみたいと思うに至りました。

それは今思えば、
私自身が映画に選ばれた存在であるような、
ほかの誰でもない私が映画を撮るという才能に恵まれているような万能感に
撮る前から満たされている、傲慢な振る舞いであったように思います。


また、大学2年生、年齢19歳で
阿部和重作「インディビジュアル・プロジェクション」
インディヴィジュアル・プロジェクション (新潮文庫)/阿部 和重

¥380
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を読み、また

中原昌也作「マリ&フィフィの虐殺ソングブック 」
マリ&フィフィの虐殺ソングブック (河出文庫―文芸コレクション)/中原 昌也

¥473
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を読み、
いよいよ実際に、映画制作に時間とお金を割いてみました。

驚くべきことに、この段階でも
完成した(今から振り返れば)トホホな作品を観ても尚、
例の万能感、根拠なき自信は持続していました。

今振り返れば、あまりにもイタ過ぎるのですが、
当時は確かにそう思っていたことが事実なので仕方ありません。


大学3年生で
黒澤清作「映画はおそろしい」
映画はおそろしい/黒沢 清

¥2,520
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を読んで、憑きものが落ちたように、
自分の無知を知ります。

そしてほかでもないこのとき初めて、
自作の映画のつまらなさを認知し、
落ち込むのでした。

その本で学んだことは
まとめるとこんなことです。

「映画を作る人」はかつては「映画を観る人」であり、
黒澤清監督にもまた、「映画を観る人」でしかなかった時代があった。

そして、「映画を観る人」と「映画を作る人」になる間に、
「映画について語る」過程がある。

そんな文字にしてみると至極あたりまえのことを
私はこの本を読むまで認知することが出来ないでいました。

こうして、「映画を撮る」という行為が
「個性の発露」や「才能の披露」を目的としたものから、
「過去作品や現状への応答」を目的としたものに変わるのでした。

そういえば、

ジャン・リュック・ゴダール
勝手にしやがれ デジタル・ニューマスター版 [DVD]/ジャン=ポール・ベルモンド,ジーン・セバーグ,ダニエル・ブーランジェ

¥2,500
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フランソワ・トリュフォー
大人は判ってくれない [DVD]/ジャン・ピエール・レオー,クレール・モーリエ,アルベール・レミー

¥3,990
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批評家から映画監督になったんだったような気が、とこのとき
遅ればせながら納得するのでした。

そして、「映画を観る人」→「映画を語る人」→「映画を作る人」という過程を

「映画を観る人」→「映画を作る人」とショートカットし、
結果、つまづいた私は、
つまづきの原因が「映画を語る人」をすっとばしたところにあることを知るのでした。


こうして、恥ずかしながら、大学の4年間を間もなく終える頃になって初めて、
私は批評という世界を知り、批評がときに映画作品をも凌駕する、
驚きや発見をもたらす極めてクリエイティブな行為であることを知るのでした。

2000年、
大学4年5月で就職活動を終えていた私は、
そこからの約一年間、
遅まきながら「ハリウッド映画史特講」
ハリウッド映画史講義―翳りの歴史のために (リュミエール叢書 (16))/蓮實 重彦

¥2,100
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「監督 小津安二郎」
監督 小津安二郎/蓮實 重彦

¥3,990
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を読み、(今から考えるとおそれ多いことなのですが、)
蓮実重彦先生の審美眼?センス?を
我がものにすることをを目指し、書物をあさり、映画を観ていました。

今思えば、
そのような行為がクリエイティブだったかは検討する必要がありそうですが、
まずは貪り読み、今手にしているその書物には「真実が書いてあるに違いない」と
いちいちベタに向き合う、そんな愚直なまでの受け売りのような、
アイドルのブロマイドを集める中学生女子のような、
他方で涙ぐましい苦学生のような、そんな時間を蓄積したのでした。

2000年5月は私の就職内定とともに嬉しいニュースとして、
第53回カンヌ国際映画祭にて青山真治監督が当時の最新作「EUREKA」
EUREKA ユリイカ [DVD]/斉藤陽一郎,宮崎将,役所広司

¥3,990
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でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞・エキュメニック賞をダブル受賞した
記念すべき月となりました。

(今思えば)
諸先輩方が仰っていた蓮実重彦先生的審美眼?センス?を身につけた(と勘違いしていた)
私の審美眼に時代が追いついた、と
自分が達成したわけでもない、ねじれた達成感に陶酔し、
自分の(完全にお門違いな)万能感はピークを迎えていたのでした。

引き続きイタ過ぎる too youngな私。

それは「時代を読む目」のような「審美眼」のようなものへの
狭量な自負でした。

こうして、実際のところは「自分で考える」ということをせず、
どっかに書いてあったことを、さも自分の見識のように語る、
そんなさもしい私の大学生活が終わろうとしていた2001年1月、
「ユリイカ 2001年2月号」(当時の内容はこちら
ユリイカ2001年2月号 特集=青山真治 進化する映画/著者不明

¥1,300
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が発売されます。

青山真治監督の特集で、勝手に「自分の大学生活を象徴するような特集だな」と
思って購入したのを憶えています。

それは確かに、
大学時代最終盤に遅ればせながら知った批評家の方々が名を連ねていた点で、
無知な大学時代の集大成の書籍とも言えましたが、
それは同時に、新しい私の2000年代(2001年から2009年まで)の始まりの書籍にもなりました。

なぜなら、私はそこで初めて、東浩紀氏を知り、
その後はそれこそアイドルを追う中学の女学生のように、
東浩紀氏の発言に興奮し、さも自分がそう考えたかのように言って周るようになったのですから。


青山真治監督を目当てとしていた
その雑誌のその号で
後に「動物化するポストモダン」
動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)/東 浩紀

¥735
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という著作にまとめられることになる連載、
「過視的なものたち」第一回を偶然に読み、
私は純粋な新鮮さと共に
当時30歳の若手批評家 東浩紀の存在を知るのでした。

そして大学を卒業し、社会人として新卒一年目を迎えた私は、
学生の頃ほど周囲に多くの映画や批評についての情報を持つ
仲間がいるわけもない(と決め付け周囲にはあまり映画の話をしないまま)、
当時勃興しつつあったインターネットに頼り読書、映画鑑賞を進めることになります。

企業人になったことで時間はないがお金は出来たので、

社会人一年目なりの業務を消化しつつ、
放送大学大学院で
「表象文化論」
表象文化研究―芸術表象の文化学 (放送大学大学院教材)/渡辺 保

¥2,835
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について学ぶ傍ら、

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて/東 浩紀

¥2,100
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を読み、

不過視なものの世界/東 浩紀

¥1,890
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を読み、

郵便的不安たち/東 浩紀

¥2,730
Amazon.co.jp

を読みました。

また、東浩紀氏をきっかけに知った、
宮台真司氏
終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)/宮台 真司

¥609
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大塚英志氏
物語消滅論―キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」 (角川oneテーマ21)/大塚 英志

¥780
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を遡って読む傍ら、

東浩紀氏の
ブログ (こちら)を読み、
2CHスレ (こちら)を読み、
メルマガ (こちら)を読み、
ised (こちら)を読み、
動画   (こちら)を観、
民主主義2.0(こちら)を確認し、

最近は

twitter  (こちら)も確認してきました。


この10年、私にとっての羅針盤は、

日次では 新聞やテレビニュース
週次では ビデオニュースドットコム(こちら
月次では 東浩紀氏

でした。

その合間を縫って、本や映画や音楽にも触れましたが、主軸は変わりませんでした。

いつでも主軸は代替可能と思っていましたが、
それらに変わる存在は、とうとう現れませんでした。

そしていま。

羅針盤として存在してくれていた「批評家 東浩紀」はゼロ年代の最後の最後、
2009年12月に、
有能な映画監督たちがそうであったように、
「読者」→「批評家」を経て、「作家 東浩紀」としてデビューしました。

それがこの作品。

クォンタム・ファミリーズ/東 浩紀

¥2,100
Amazon.co.jp


名作小説はまるで
自分のためにこそ書かれた手紙のような錯覚を憶えます。

この「クォンタム・ファミリーズ」もそう。

つまりは、この作品は、名作小説です。

ここまで読む進めていただいた方なら、
お分かりの通り、私はこの作家を批判する語彙や発想を持ち合わせていないのです。

なぜなら、この方を指標にしてきたのだから。

旅行中、持っている地図をもとに観光地やレストランについて
ああだこうだと放しますが、
その地図自体を疑うはずがない。

その地図を疑うのであれば、その地図に代わる地図を持つべきですが、
それも持ち合わせていない。

そして今や、その地図自体が「観るべき貴重な一品」となったとき、
その地図の持ち主が「俺は昔からいいと思っていた」と周囲に自慢したくなる
欲望を抑えることは結構困難です。

そんなわけで、どうしたって名作なのです、私にとってこの小説は。


そして、これまでもこれからも、名作小説、名作映画は
観たものに(絶対出来ないのに)「俺にも出来るかも、いや、俺もやるべきだ!」
という気持ちにさせる。「啓蒙」と言う名の「挑発」をする。


ディエゴ・マラドーナやデビット・ベッカムがサッカー少年をそうするように、
ゴダールやトリュフォーが映画好きをそうするように、
松下幸之助や盛田昭夫が経営を志す人をそうするように、

「クォンタム・ファミリーズ」(量子家族)が、私を挑発している。

そして私はベタに挑発され、
それこそ中学の女学生が憧れのアイドルの振り付けを真似るように
「核家族」を形成する今だからこそ、出来るアウトプットがあるかもしれない。

いっちょやってみるか。。。
とか思っていたりするどこまでもベタな私。


いつの時代も、
才ある人物の筆が、スピーチが、フィルムが、音色が凡人を挑発し、歴史を動かしてきた。

凡人の僕もまた挑発され、歴史を動かしたいと、微力ながら思いあがっている。
また、思い上がっている。

馬鹿は死んでも治らない、という諦めと
今度こそという無責任なまでのポジティブの狭間で彷徨う。
what a 一般人 !


「クォンタム・ファミリーズ」を読み終えたのが今朝、
そして明日、1月4日からは
私の一般人としての新しいディケイド、2010年代が始まる。


問題の35歳(35歳問題については本書内をご確認ください)まで約4年を残す本日、

「2010年代は核家族を守り、あわよくばその上の世代も守る」

そんな漠然としていながらも最低限度な目標を設定した。



あれ?こんなんで歴史を動かすことなんか出来るのか?