4月26日
soranote体験講座
ご参加ありがとうございました!



\こんなご感想をいただきました/
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めちゃめちゃオモロかった〜 

手帳に書くコトバたちが
悦んでいるような
いきてくるような
そんな感覚がしております
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みやすい、繋がりを感じるのが
心地いい

体調の不調具合とかがわかりやすい

自分と向き合う時間
すごく惹かれています
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普通の手帳だと
繋がりがあまり感じられない
普通に使ってきたけど
繋がってるもんね

同じ予定が書き写されているけど
違って見える
面白い!!!

自己流でやっていたものが
こうして教えてもらい

体感してみて
わかることの
インパクトが大きい

これはいい!!!

 

 


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\世界初/
まぁるくつながる時間を味わう
手帳を体験してみませんか?
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【特別イベント】「soranote体験講座」
5/8(木) 12:00〜
5/10(金) 22:00〜
5/11(土) 13:00〜
開催リクエストも大歓迎❣️
詳細、申し込みは

 

 


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3つのワークで
時間を味わう手帳体験
無料で、soranoteのデータをダウンロード
一緒に書き込みながら体験ができます
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まぁるくつながる時間を味わう手帳
🌙soranote🌙
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手帳ってのは
毎年、毎年

作るものだ

 

 

むかーし

なんとなーく

果物農家に憧れていた

 

季節の中で

その時期その時期の仕事をする

そんな働きかた

 

 

手帳を作って販売するってことは

少し果物農家に似ている気がする

 

 

この時期になったら

中身のデータを作る

表紙のデザインを考える

画像を作る

 

知ってもらう

販売する

 

理想的な働き方をさせてもらっていると、思う。

 

 

 

 

 

soranoteを作成して販売する。という

一連の動きを

なんとかかんとか

めちゃめちゃ試行錯誤しながら

2017年から、8年間やってきて

その中でわかってきたことは

 

 

 

わたしは、

哲学的に時間のことを考えるのは大好きだ
時間や習慣のことを、できないなりに整理することは、楽しい

お話を聞かせていただき、お顔がパッと明るくなるのは、とても嬉しい

学びや気づき、実際にやってみて、こんなふうにできたんだよ!と共有できることも、とても嬉しい!

 

解説用の画像を作るのは楽しい!

告知用の画像は作れないことはないが、情報量が多くなりすぎて、伝わりにくいものになりやすい。→助けてほしい

 

販売するのは、とても苦手意識がある→拡散、紹介など、助けてほしい

戦略的に考えるのは、あまり得意ではない→アイデア、どう見えてるか、教えてほしい

 

お金のことを考えるのも、苦手

はじめは、夫に借金をしてなんとかかんとかやってきた

実はまだ返していない…。

商売としては、時間の掛け方と利益が、かなりバランスが悪い→助けてほしい

 

発送もなんとかできるけど

ミスが多い

見落としも多い

ポンコツで、抜けている→助けてほしい

 

お願いしたりとか、すんごい苦手なんですが

 

ひとりじゃ無理なんです!!!

助けてほしい

 

 

 

 

さらに、

8年間

ずーっとこのことで

ジタバタしてきたって

お金の話もしちゃう

 

 

 

印刷物というものは

200冊作成するのも

300冊作成するのも

紙の値段しか変わらない

 

 

 

しかも、じわじわ値段が上がってて

今年の見積もりでは

 

200冊作ると1冊当たり2350円

300冊作ると1冊当たり1700円
 

発送費、ネットショップ、zoom、リザストなんかの

システムに掛かる経費を入れると

200冊くらいから、利益が出てくる


リピートで購入してくれる方が100人はいるだろう。と思うのだけど

色々な事情で離れてしまうこともあり得る

 

そう思うと

頑張って伝えなきゃ!と

 

販売時期の前になると

焦りと不安で

わさわさと落ち着かなくなっては

 

いろんな方に相談をさせてもらって

 

思いつく限りのできることを

やり散らかして

あー今年もなんとかなった!!!というのを

繰り返してきた

 

 

昨日も相談をさせてもらっている時に

いつも同じ時期に頼ることに

またー?!って呆れられてるんじゃないかって

不安になってる自分に気がついた

 

大丈夫よ

みんなsoranote大好きだから

 

泣きそうになった。

 

そんな感じでやってます

 

応援するよ

何ができる?って感じた方は

メッセージか

 

ここの

オープンチャットに

入ってくれたら

 

応援感じて元気でる!

 

 

 

 

のいともこ

 

 

 

 

ご予約はこちら

 

 

辛い

だけど

 

辞めたいわけじゃない

そこから逃げたいわけじゃない

 

 

辛いと感じたら逃げる

それもオーケー

 

逃げても大丈夫

それもオーケー

もちろん大丈夫

 

でもそれは

十分やってきたんだよ

 

 

こんなことで辛いと感じていたくない

どってことない顔をしてない

成長したい

カッコよくなりたい

逃げたくない

 

そんなどエス心を

すけべ心を
むふふと呼び起こしたい


世の中は

頑張らないが流行りだけど

それも大事だけど

そればかりでもなくて

 

あのね、頑張りすぎてたタイプは

頑張らないが効くのよ

 

 

頑張れないタイプは

頑張り筋

コツコツ筋

大事だよ



その辛さは

ググッと味わう

その辛さを

辛さとも感じないあの人は

 

一体どんな力が私よりもあるのか

 

違いはどこだ

 

それとも実は辛いけど

ググッと耐えているのかもしれないではないか

 

 

 

その力を育むこと自体を楽しむのだ

苦楽合一とはそういうこと

 

 

そのうちに

じわじわと変化してくること

 

じわじわとわかってくること

 

残念ながら

その辛さは

ずっと続くものじゃないのだ

 

今しか味わえない辛さなのだよ

 

 

 

 

のいともこ

 

 
 

 

 

 

 

自分のことがわかるようでわからない

そんなことを書いた


自分のことは

自分が一番わかっていない

と、同時に

答えは自分の中にある

 

その感覚はわかるような気がする

 

 

それは、私の頭がわかっているわけじゃない

 

こうして、頭の中で

ぐるぐるしている何やらを

 

ぽちぽちとキーボードを叩いて

文字というものに変換していくと

 

出来上がった文字の塊を

読み返すこととなる

 

その読み返した時の感覚を

頼りにしている部分がある

 

 

読み返してみて、違う。と感じたら

もう一度、少し違う文字の並びにしてみたり

少し違う、言葉選びをしてみたり

 

そんなことを、している


違和感があるのか

しっくり感があるのか

 

 

胸の奥

腹の奥

背中
 

 

身体の感覚が

その言葉の塊に対して

 

ぞわぞわっとあたたかく感じるのか
うっと詰まった感じになるのか
 

その感覚をYESと感じるのか

NOと感じるのか

と言うことをしている

 

 

頭で考えはじめるとわからなくなる
情報を入れれば入れるほどわからなくなる

身体の感覚を感じることは
 

何もかもがわからない
わかっていない、その中の

ただ一筋の手がかり

 

 

 

のいともこ

 

 

 

わたしはどうしたいのか

何ができるのか

 

よくわからなくなる


自分のことは

一番よくわからない

 

そんな言葉を聞くことがある

はたまた

答えは自分の中にある

 

そんな言葉も聞くことがある

 

 

わかっているようで

わからない

 

わたしにとってわたしはそんな存在だなと思う

 

 

人からどんなふうにみられているのか

人の集まりの中で、どんな立ち位置に自然と立っているのか

どんな反応をするのか

どんなことがあるとうれしくなるのか

どんなことがあると嫌な気持ちになるのか

 

そんなところがヒントなのか

それだって、生まれた時からインストールされた何かによって

多大なる影響を受けていて

自ずから移り変わっていったりする

 

わたしとはなんなのか?

 

 

 

わたしがわからない苦しみ

どうしたいかわからない苦しみ

どうしたらいいのかわからない苦しみ

 

 

昨日、ふっとみかけた投稿で

明治の文豪はなぜメンヘラなのか?という問いと

それは、明治以前の日本語には主語がなかったから

という見方があった。

 

ちょっと元投稿は見つからないんだけど

 

確かに

わたしという感覚がなかったとしたら

どんな感覚なんだろうなと思う

 

その時

意識は、わたしたち意識だったのかな。と思う

 

 

わたしたちはどうしたいのか?

わたしたちは何を望むのか?

 

健やかな個人と健やかな社会

 

健やかな生き方

健やかな働き方

健やかな暮らし方

 

そこへ向かうには

一旦、目の前の健やかじゃないところと

対面する必要がある

 

痛さ、苦しさが伴う

 

 

その時必要な力は

観察力

問いの力

立ち直り力

助け合う仲間

 

そんな力と仲間を
作成している手帳とコミュニティを通して育むことができたら

とてもうれしい

 

 

のいともこ