4月12日。

ツイッターをマメに見ていた頃。
あのどんどん流れるタイムラインのなかで、
BIZスポの堀アナのこのつぶやきを見れたことは
本当に幸運だったと思う。

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以前ツイートしましたが、

僕がニュースウォッチ9のリポーターをしていた4年間、
大地震や水害そして竜巻や土石流災害などが相次ぎ
人々が命を奪われ家を失った被災地をその都度取材しました。
現場で絶対に使わないでおこうと思っていた言葉があります。

それは「がれき」。

家屋が倒壊した現場での取材。

災害にあうほんのその少し前まで、そこには生活があり、
温もりがあり、思い出があり、営みがあった場所です。

壁が崩れ落ち、瓦がわれ、柱が倒れ山のようにそ
こに積まれていたとしても、間違いなくそれは「家屋」なのです。
「がれき」だなんて言葉でひとくくりにすることができませんでした。

「がれき」という言葉を使わずに目の前の光景を一つ一つ描写しようと、
現場に立つと、人々の生活のにおい、体温、会話さえ聞こえてくるようで
それが突然奪われる悔しさや無念さや恐ろしさが胸に突き刺さってきました。
「がれき」なんてひとくくりにされるほど災害は簡単じゃないんだ。
人生なんだって。

当時27歳。今から5年前。
はじめて災害の取材をした僕に被災した方が教えてくれたんです。
「これは、がれきではありません」。
「先ほどまで、家族皆で笑いあって過ごしていた、私の家なんです」。
絶対にこの言葉を忘れません。

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この言葉が、私に被災地に出かける勇気をくれた。

スコップ団も同じものを持っているから行きたいと思う。
全壊の家だろうと「おじゃまします」と言ってから入れよ。と彼は言う。
たとえ基礎しか残ってなくても、そう言う。
「それが、なんだ、あれだからだ」と。

先日、座礁した船の写真を撮ろうと
なにげなく足をかけたところが誰かの家の跡だった。
あっ!と思って慌てて降りた。

もしかしたら気にしすぎかもしれないけど
いつも「これは私の家なんです」という声が頭にあるから
やっぱり「おじゃまします」を言う自分でありたい。