クリスチャン・ツィメルマンのリサイタルに行ってきました。前回の来日で、その音色に衝撃を受けて何年たちましたか、また聴けて嬉しかったです。

 僕の興味はやたらと移ろいやすく、クラシックにしてもあるとき急に好きになり、CDを買い漁っては聴きまくり、録画したものを観まくり、コンサート会場にも月2くらいのペースで通い・・・まあずいぶんハマったわけですが、これまたあるとき急に興味がなくなってしまっている自分に気付いて愕然とした、という経緯をたどったわけです。段々とまた聴くようになってはきましたが、当時の狂ったような熱はやはりありません。
  
 ツィメルマンを前回聴いた頃の僕はそんなクラシックどハマりな時期にありました。

 そんな僕がなぜ今またツィメルマンのリサイタルに行ったのかと言えば、前回の印象が本当に強烈なものだったからとしか言えません。ラヴェルの「優雅で感傷的なワルツ」みたいに、それがきっかけで「普通の曲」から「もの凄く好きな曲」に格上げされた曲もありました。


 正直言って当時と今ではこっちの耳が変わりすぎてるしどうかなあ、という不安もあったのですがそれは杞憂でした。綺麗だし澄んでるし凛としてるし、繊細であるべきところはホント繊細に、力強くあるべきところは力強く。そりゃもういい音色でした。それでいてミスタッチらしいミスタッチが全然ない。嫌な感じのしない格調高さとでも言えばいいのでしょうか。うーんうまく表現できないな。


 まあ、とにかくとっても素晴らしいリサイタルだったわけです。何というか少しそう思えた自分にほっとしました。特別なものが特別でなくなるのは結構虚しいもんですしね・・


 前回みたいにBS放送やってくれないかな。いや、やってくれないと困る。

 今まで、僕は漠然とフィッツジェラルドに魅かれていました。それはなんとなくとしかいいようのないもので、

なぜ忘れたころにまた手に取りたくなるのか、はっきりした理由はわかりませんでした。ただ、村上春樹にはまっていたころその影響で読み始めた作家だったため、好きな作家の好きな作家とであるという理由が大きいのだろうなとは思っていましたが。

 しかし、この本を読み、フィッツジェラルドには僕を惹きつける要素がいくらもあることを発見したのです。

 告白しますが、僕は破滅に向かう者の中にある一種の魅力に対して極めて弱いところがあります。

今まで「どっぷりはまった」というところまでいった小説家、ミュージシャンはたいていその特性を持っています。


 もちろんただ破滅すればいいというものではありません。そこには非情な選別があるのです。平たく言えば才能、そして作品に対する変わらぬ真摯な姿勢。


 こういった物を持ち続けたものがそれを失い、苦悩し、それでも作品に対して誠実であろうと現実との狭間でもがき苦しむ。そこに強烈な魅力が発生するのです。


 僕は文筆業を目指しているわけではありませんが、こういった天才の苦悩を目の当たりにするとき、たとえ本人たちが全く幸福でなく一生を終えたとしても嫉妬せずにはいられません。


 僕のような凡庸な人間には決してたどり着くことのできない世界だからです。ある意味で夢のような苦悩と映るのです。


 とは言え、これは他人の物語にしか過ぎません。実際の自分は決してそのような苦悩を味わいたくないとも思っているのです。それならばごくごく普通の生活を送って死にたいものだ、と思っています。


 しかし、それこそがすでに僕が選ばれた人間ではないということなのでしょう。そして凡人でありたいと本心では望んでいるにも関わらず、選ばれていない自分に悲しみを感じるのです。


 もう何年も死蔵させていた本です。こういう宿題みたいなものを片付けると何かすっきりしますね。それはさておき・・

 本作は史上初乱歩賞と直木賞W受賞した作品です。僕もそれにつられて買いました。ホントは賞を取ったから云々っていう買い方は,賞偏重の傾向を助長させるので避けるべきだとは思ったのですが・・

 結論からいうと完成度の高さはさすが,という印象です。伏線の張り方もうまいし,先が気になってぐいぐい引っ張られてしまう力があります。

 ただそれ以上の凄さは感じなかったのも確かです。乱歩賞の選評では会話のうまさが絶賛されていましたし,解説でも人物造形の巧みさが誉められていましたが,僕にはそのどちらもピンときませんでした。

 会話のスタイルは言ってしまえばチャンドラー村上春樹を直接連想してしまうところがありますし,多彩な人物を描いていることは評価しますが,どれもこれも書割的な造形にとどまっている感じがします。

 その登場人物達の心情についても同上で,「読んだまま」というか,深い滲み出るようなものは感じませんでした。チャンドラーの「長いお別れ」と少し被るところがあるので余計そう思えてしまうのかもしれません。
ただ,それを別にしても「それ程のものなのかなあ」という印象はぬぐえませんが。

 しかし,冒頭でも述べた通り,物語を読ませる力は大したものです。かなりの筆力がなければできることではないでしょう。

 乱歩賞を狙う作品として,多少うまくまとめようという気持ちが働いたのかもしれません。気になるのでこの作家の別の作品にも目を通しておきたいと思っています。

 映画にもなった「ボーン・コレクター」「コフィン・ダンサー」の作者ジェフリー・ディーヴァーの作品です。現代における海外のミステリ作家の中でも高い評価を受けているディーヴァーですが,僕はこの作品で初めて接することになりました。

 なぜなら偶然100円で売っていたからです。僕はいつも古本漁りで掘り出しものを漁っては,買い貯めておくというふざけた読書態度なので,どうしても話題作などは読むのが大幅に遅れてしまいます。

 この作品はハッカー対ハッカーという図式からして面白くなる要素十分なのですが,逆に言えばいくらでも適当に書けてしまえるようなありふれた筋でもあります。

 そこが,ディーヴァーの力量。詳しく調査したことは間違いないと思わせる深い知識から,十分なリアリティを生み出すことに成功しています。コンピュータに弱い僕などは,書いてあることが全て真実なのではないかと思えるほどでした。

 そして,ストーリのひねり方の巧みさ。二転三転は当たり前のアクロバティックな展開を見せ,最後まで読み手をはらはらさせてくれます。

 人間の描写も見事。ただの配役を超え,人間的な感情をもつものとして,それも決まりきった型にはめることもなく,ミステリとして考えれば非常によく描けている方だと思います。

 それに文章そのものが非常に読みやすい。視覚的な文章で,映像が頭に浮かびやすく,すいすい引き込まれるように読んでしまいました。厚さを全く感じさせられませんでしたね。

 色んな意味でこの作家が非常に現代的な作家であることは間違いないです。これを読んで「ボーン・コレクター」なども俄然読みたくなりました。非常に面白い一冊でした。


 微妙な,非常に微妙な作品です。単なる命がけの強運比べではなく,運を奪い取るという要素が入っている点はおもしろいし,非ハリウッド的な陰影の濃い映像も雰囲気があってよかったのですが,煮詰め方が少し甘いという感じがしました。

 説明が少なく,わかりにくい点があるという点は,緊張感を出すことにもつながっていたので構わないのですが,世界の構成そのものが曖昧なのが気になりました。

 ゲームへの参加資格,ゲームの秘匿度。この辺りがもう少しはっきりしていないとシビアな印象が薄れてしまいます。厳重に隠されてるはずなのに案外簡単にもぐりこまれたりしてるよなあ,などと思ってしまうのです。

 そして登場人物で言えば,サラ。あいつが邪魔です。自分だけが生き残ったことで罪悪感を抱えている女刑事なのですが,物語との絡み方が実に中途半端。クライマックスにも絡むので,ストーリー上必要なキャラではあるのですが,正直言って捜査官側でなくても良かったと思います。同じようなトラウマを持った勝負師として出てきてもストーリ的に問題はないでしょう。

 この映画は終始閉じた世界でギリギリの緊張感を高めていった方が良かったんじゃないかなあ,と思うのです。サラがやたらと拳銃振り回す度に,緊張が緩んでしまいました。

 とはいっても見所はキチンとあるし,運をテーマにしていることからも挑戦的な気概が伺えますし,決して駄作というわけではありません。ダラダラした場面もないし,見ていて眠くなるなんてことはなかったです。

 不満点を書いたのも,もう少しでかなりの傑作になっていたはず,と思うからこそです。勿体ない映画でした。