【米経済コラム】ウォール街とサブプライムと危険な貧者-M・ルイス
9月5日(ブルームバーグ):米証券会社ベアー・スターンズのヘッジファンドが自爆した直後に、私はこう考えた。「貧しい人にカネを貸すとこういうことになるのだな」と。

念のため言っておくが、私は貧しい人を悪く思ってなどいない。個人的に貧しい人との付き合いもない。誰かにお金を払って庭の芝を刈ってもらえば、それは取引であってそれ以上ではない。しかし、賃金を先払いすれば、それは貸し付けになる。貸し付けは、貧しい人に対してしてはならない行為だ。

注:貧しい人というのは、私のヘッジファンドに投資することを米証券取引委員会(SEC)が許さない人々のことだ。

これが、今回のサブプライム危機から私が学んだ最大の教訓だ。貧しい人について、ほかにも幾つか考えたことがある。それを披露しよう。

1)貧しい人は広報活動が得意

気前のよさが後になってこのように批判されるとは夢にも思わなかった。サブプライム(信用力の低い個人向け)住宅ローン関連資産を購入したとき、私は社会への恩返しのようなものだと感じていた。もちろん、慈善活動についての雑誌に特集記事が載るほどのことをしたとは言わない。何といっても割安だから買ったのだ。しかし、庶民を助ける方法を思い付いたウォール街の幹部たちを、世間はほめるだろうと私は考えた。マネーの世界の医者が病人を助けるようなものだ。ところが、病人は突然起き上がって医者をなぐり始め、私は非難される側になった。誰もが貧しい人に同情し、私に同情する者は1人もいない。失われたのは私のカネなのに。善行は総じて罰せられるものなのだ。

アメリカン・ドリーム

2)貧しい人は他人のカネに対する尊敬が足りない

ロマンチストだと言われるかもしれないが、私はすべての人に「アメリカン・ドリーム」を感じてもらいたい。働いてその権利を得た人以外にもだ。だから、これらの人々が少なくとも自分の家を持てるように、できる限りの支援をしたのだ。ところが、メディアは今や私の太っ腹な行動を悪巧みに仕立て上げてしまった。変動金利型住宅ローンの当初の低金利は、悪巧みなどではなかった。当初の低金利は信頼の証だ。誤った信頼ではあるが。私は、貧しい人々が住宅ローン契約をする前に、弁護士に相談したと信じ込んでいた。しかし、結局のところ貧しい人は弁護士に相談する必要などなかった。後で気に入らないことがあれば、大騒ぎして「私は貧しい」と嘆き、デフォルト(債務不履行)すれば済むのだから。

3)「貧しい人の文化」はもう理解できない

いつから理解できなくなったのかよく分からないが、多分、自家用ジェットにしか乗らなくなったときからだろう。あるいは、外野席をやめてボックス席から野球の試合を観戦するようになったときかもしれない。ともかく、ビジネスの第一のルールは相手を知ることだ。私はこのルールを守らなかった。金持ちはさらに金持ちになり貧しい人は取り残されるという不満をよく聞くが、何も不思議なことではない。貧しい人を見ればよく分かる。もっと一生懸命働いて借金を返そうということを考えた人がいるだろうか。そうは思われない。

悪いのは私

しかし、先にも言ったが、悪いのは私なのだ。貧しい人にカネを貸す前に、彼らをよく観察するべきだった。動物園のオリの中にいるライオンしか見たことがなければ、ライオンのことを大きいネコだと思って、相手が自分を食おうとしているなどとは思わないだろう。

4)現代社会は成功者に冷たく、貧しい人々にはやたらに甘い

共和党の大統領までが貧しい人を救済したがっている。私なら別のやり方をする。債務不履行者を刑務所に入れるというのはあまりに時代遅れだし、税金の無駄だが、貧しい人々だって働いて借金を返すことはできる。金持ちの多いグリニッチには、刈らなければならない芝生、ペンキを塗らなければならない家、整備しなければならないスポーツカーがいくらでもある。貧しい人の中にはこれらの技能を持っている人もいるだろう。どの仕事もできないなら、例えば金持ちの子供の誕生パーティーでピエロの役をする訓練を受けることもできる。それが嫌なら、貧しくなくなればよいのだ。

5)貧しい人をウォール街に近づかせないようにするべきだ

金持ちが本来あるべきスピードでさらに金持ちになれないのは、貧しい人とかかわりを持つからだ。ただ、ウォール街が貧しい人々(別名「主流派」の人々)との関係を完全に断つべきだというのは非現実的だ。私は今後も引き続き、大衆と仕事をするだろう。ただし、それは彼らが大勢集まって1人の金持ちであるかのように行動する場合に限る。例えば、年金基金からの投資は依然として歓迎だ(ただし、5000万ドル=約60億円未満はお断りしたい)。基本的に従業員が皆貧しい会社を、丸ごと買収するのも構わない。

しかし、貧しい人と1対1の取引は2度としない。私は今や非難される側の人間だが、彼らこそは本物の「シャーク」なのだ。(私が「ローンシャーク(悪徳金融業者)」なのではない)。(マイケル・ルイス)

(ルイス氏はブルームバーグ・ニュースのコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です)


http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003001&sid=a7HDwx4VrZ1I&refer=jp_commentary


こんな文章を読んでいるとフランス革命によりギロチンの刑により殺されたマリー・アントワネットを思い出す。

フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」などという言葉を思い起こす。


その昔の日本の首相も「貧乏人は麦を食え」と言ったりした。


近代初頭、経済の実力は市民が持っているにも関わらず、政治は相変わらず古い王侯貴族が行っていた、この制度は、やがてフランス革命やクーデターのような政変で倒される事になる。

現代でいうならやがて国家が倒され、国家制度が廃止され、多国籍企業が政治を行う時代がやってきそうな気配がある・・・・合言葉は「グローバル化」わが国においては「規制緩和」「市場開放」や「自己責任」だ。

次の新しい時代には、市民革命で出来た国家が与えた市民の人権は廃止されるのかもしれないし営利企業の多国籍企業は、人権等は無視する・・・・これまた近代の始まりの労働条件に現代は、近づいている・・・家畜か奴隷のようだった状態に・・・・

小泉政権当時に小泉首相が「法人税を引き上げたい」などと言えば当時の経団連会長でもあったトヨタの奥田会長は「ならば、トヨタは本社機能や工場を海外に移転する」などと言ったものです・・・・これらもヤラセなんだろうなあなどと思います。

例えば、ロックフェラー率いるエクソンモービル等の多国籍企業の年間売上は、一部の西欧諸国の年間税収よりも大きいし、中進国のGNPよりも大きいのですね。

アメリカの有力な政治家は、彼等の利益供与の代弁者で官僚は企業の要職と行政の要職のポストを行き来します。

日本以上に・・・・例えば米国投資銀行大手ゴールドマン・サックスに26年間勤務した後でホワイトハウスで国家経済会事務局長と財務長官として6年強、政界に身を置いた後で世界最大の金融グループであるシティグループ の経営執行委員会会長を勤めるロバート・エドワード・ルービンのように・・・・シティグループは、サブプライム問題の原因でもあるかと思います。


リストラ、賃下げ当たり前、社蓄であるサラーリーマンは、天引きされた給与でしがなく暮らす、それすらままならず、派遣だパートだという雇用形態が当たり前になり・・・・

その背景として企業がいくら収益を上げても労働者には還元されず外人株主に配当されるようになり、これをグローバル化と言うのだと思います。

新しく洗練された多国籍企業による植民地化政策です。

でおそらく、これら強奪と言うべき搾取には目も呉れず金持ちの本音が見事なまでに書かれているのが冒頭の文章だろうなあ・・・などと思うのであります。

そして、金持ちと貧乏人の差は広がるばかりで「米政府の外圧」による「日本政府の規制緩和」という図式も収まることは無いでしょう・・・金持ち喧嘩せずだろうかと思います。

小泉構造改革に日米同盟と言った所で所詮は、多国籍企業のための改革であったという事なのでしょうし・・・だから空洞化するのでしょうし・・・空洞化とは、尽きる所「貧富の差の拡大」なのだと僕は思います。


多国籍企業がどんなことをやるのかと言えば?

例えば、東西冷戦時代に核兵器開発競争でアメリカとソビエトがウランを購入していた業者が地球のウランを私有するロスチャイルド家だったりします。

ウラン業者は、対立するアメリカとロシアに核兵器原料を売ります・・・・多国籍企業は、天才的な商売人集団ですから金も貸すし兵器も造って売ります企業利益の為ならなんでもしますロスチャイルド家が最初に莫大な利益を上げたのが英仏戦争です・・・この会社の名を濃縮核燃料企業「アライド・ケミカル社」と言います。

その商いを「仕切って」いたのがルービンシュタインのノーザントラスト銀行と言います。

ルービンシュタインをアメリカ風にルービンと改名し、息子のロバート・ルービンは、ノーザントラスト銀行の経営者として、上記のようにクリントン政権の財務長官となったりします・・・これが民営化国家アメリカの本当の姿だと思います。

さらに・・・アライド・ケミカル社の経営者がアルバート・ゴア一族であり、クリントン政権の副大統領一族です。

「火力発電は地球温暖化の問題、環境破壊を引き起こす」という映画をゴアが作ったのは何故か?

原発の販売促進映画であったかと思います。

まあ、金持ちの戦略とは以上のようなことです。

いつもながら、まんまと騙され映画を見に行ってそのまんまを信じて踊らされるのは我々貧乏人です。

金持ちと貧乏人の様々な悲喜劇は、終わりそうもなく、とめどないかとも思います。



(-∧-)合掌・・・