「仏教は宗教ではない哲学である。東西南北の城門を出て世を見たゴータマ・シッダルダが労病死苦の人間の業を見る。 そして菩提樹の木の下で瞑想に入るのだがその結果悟ったのがこの世は全て「無」であるということだ。これは確かに正しい。

そこから諸行無常,色即是空,空即是色,生者必滅,会者定離、サヨナラだけが人生だ。 

色んな教えが出てくるわけだがおれに言わせればやかましい!

現世、人との出会い、人生、これらが無であることは百も承知だ。

だからどうだってんだ。

おれは今 拘置所で寒さに震えながら ラジオ体操をしてんだ。

「無」だからどうだってんだ。

おれは光に賭ける。」


「人の一生は、あり余る時間との戦いだ・・・・・楽しい時間はあっという間に過ぎる。退屈な時間はじりじりとしか進まない。時間を早く進ませるために、人は楽しさを求めるのではないか。これがおれのたどりついた答えだ。生きているということは、すなわち時間という監獄の中に入れられているようなものではないか。時間から釈放されることはありえない。あるとすれば、それは死ぬということだけだ」


中島らも著「牢屋でやせるダイエット」より


2003年2月に大麻取締法違反などで逮捕、裁判の心象を良くする為に保釈後に「躁鬱病」の治療のため入院したりする。同年5月に懲役10ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた。その年の夏から自らの獄中体験記をつづったエッセイである。

エッセイで大麻解放論を唱える、中島らもなのだが、これには、僕には疑問がある。

書かれてるほど安全なモノではないかと思う。

大麻で身を滅ぼした人も数多いるのだ・・・まあ、合法な酒だって一緒だが・・・・コカインやヘロインや覚醒剤より安全か?

アメリカでは、これら精製ドラッグと酒も同じ扱いだ。

で、これらよりは、確かに安全だろうと大麻=マリファナが合法化させる州がアメリカで出来るのだろうが・・・・などとうすらボンヤリ思う。

「ドラッグに対する罰は、本人の健康損失以上のものであってはならない。」とカーター大統領の言葉を引用する。中島らも。


それはそうだよなあ・・・と僕も思う。


『牢屋でやせるダイエット』を出版後には、手錠姿でサイン会を開くなど精力的に活動を再開したが、死の直前は酒量が増え、常に酩酊状態だったという話もある。


2004年7月15日深夜に飲食店を出る際に階段から転落して全身を強く打ち、神戸市内の病院に入院。

転落時に頭部も強打し、脳挫傷による外傷性脳内血腫のため死去。享年52才。

中島美代子氏(らも夫人)の話では、生前から「俺は階段から落ちて死ぬ。」と、予言していたらしい・・・・・・・


この本の中でさすがだなと思ったのが以下。

「もしも、自由というものがあるとしたら、それは、とても不自由なものだと思う。ルールがあるからこそ、みんな安心して日常と向き合えるのだ。これが自由ということになれば、何から何まで自分で決めなければならない。これは、ものすごく不自由な事だと思う。

安心する為にルールを作り、今度はそのルールに縛られるのが嫌だと抗う。これが、人間なのだ。拘置所も娑婆もこういう人間で構成されているわけだから、違いが生まれてくる余地がないのだ。」


そして、こんな文章もある。

「そもそも人誰でも心に欠けた部分を持っている。その欠けている部分を満たすために、人は何かに依存してしまう。酒であったり、仕事であったり、暴力であったり、恋愛であったり・・・・自分に一番しっくりくるものにどっぷりはまりこんでしまうのだ。」


さらに

「つまるところ、生きるという事は、死ぬまでの時間をどうやり過ごすかという事だ。時間との戦いと呼んでも良い。この戦いに勝たんがために武器としての大麻があり、酒があり、全ての嗜好品があるのだおる。これをうまく機能させれば、それだけ時間が早く進んでくれるのだ。」


という中島らものエッセイを半ば頷き、半ば病んだ人間の戯言と読み飛ばし。


らも本を久々に読んで、なぜだかわからないけどホイットマンの「草の葉」を読みたくなり

下巻の389ページ「あるペルシャ人の教え」

の最後の部分に目が留まる。


「はぐれものが遠くまで迷い込むこともあるでしょう、理由がなぜか隠されている事もあるでしょう。

世界全体の波おさまらぬ海の底を探ってみたいとも思うでしょう。


波おさまらぬそのわけを、あらゆる生に拍車を当てる衝動をついぞ鎮まることのないーついぞ消え去る事のないそのなにもかを、あらゆる種の目には映らぬ必要を、知りたいとも思うでしょう。

「どんな些細なものの核心にも(しばしば無意識、しばしば邪悪で滅び去って行くもののなかにも)たといどんなに離れていても、わずかひとつの例外さえなく、主体の中でも客体の中でも同一不変、おのれの聖なる源泉と起源に帰りたいという衝動が潜んでおります。」


(-∧-)合掌・・・