陶淵明(365-427)、東晋の詩人。柴桑の人。下級貴族の家に生れる。不遇な官途に見切りをつけ、41歳のとき「帰去来辞」を賦して故郷の田園に隠棲。田園の生活や隠者の心境を歌って一派を開いた。「五柳先生伝」「桃花源記」などを著わす。


妹の死をきっかけに役人を辞める。

その有名な詩が「帰去来辞」

若くして両親を失い貧困の中で成長したとか、親も年老いて家も貧しいとか

まあ諸説あるみたいですが、貧しいので州の学校長の職に就く、その後、地方軍団の軍議に参与し、ついで県の長官となる・・・・・大出世ですね。

だけど、この職にあったのが80日くらいで、

上級役所の監査官来訪にさいし部下より礼服着用の必要を告げられた。

淵明は・・・・「吾、安(いづく)んぞ能く五斗米の為に腰を折つて郷里の小児に向はんや。」

わづかな給料ために田舎者の監査官に腰を折り曲げるやうな卑屈な真似はできぬ、と言って即日辞任、その志を「帰去来の辞」に記す。


「帰去来の辞」の冒頭

「帰んなんいざ。田園将に蕪(あ)れんとするに胡(なん)ぞ帰らざる。既に自ら心を以て形の役と為す、奚(なん)ぞ惆悵(ちうちやう)として独り悲しまんや。已往の諌(あらた)むまじきを悟り、来者の追ふべきを知る。実に途に迷ふこと其れ未だ遠からず、今の是にして昨の非なるを知る。」

田園の旧居は荒れ果てようとしてゐる、どうして帰らずにをられようか。みづから精神を肉体の奴隷にしておいて独り嘆きに沈まうとは、まことに自業自得。過誤多かりし既往のことは詮方もない、もはや悲しみを擲ち、来るべき日日を必ずや自分の心に素直に従つて生きよう。


宮仕えが嫌になって辞める。

まあ、今で言う所の脱サラですね。

で・・・・こんな詩を書いたり。


野外 人事罕に            野外人事まれに
窮巷 輪鞅少し            きゅうこうりんおうすくなし
白日 荊扉を掩い           白日けいひをおほい
虚室 塵想を絶つ           きょしつじんそうをたつ 
時に復 墟曲の中           ときにまたきょきょくのうち
草を披きて共に来往す        草をひらきて共にらいおうす
相見て雑言なく             相見てぞうごんなく
但だ道ふ桑麻長ずと          ただいふそうま長ずと
我が土 日に已に広し         わがど日にすでにひろし
常に恐る 霜霰の至りて        常に恐る  そうさんのいたりて
零落して草莽に同じからんことを   れいらくしてそうもうにおなじからんことを




田舎のことでうっとうしいつきあいもない
道も狭いからいやなお役人の車もこない
お日様が柴の門を照らしていて
がらんとした部屋にいれば俗念も起きない
草むらのなかの道で村人に会えば
ただ桑や麻がのびたねと挨拶するだけ
自分の畠も大分広くなった
霜がおりたりあられが降ったりして
せっかくの作物が枯れなきゃいいが


または・・・・こんな詩を書いたりしております。


「飲酒」 陶淵明 

結廬在人境 庵を俗界にむすぶも

而無車馬喧 訪れる人も無く煩わしさはない

問君何能爾 君に問う何故このように静かに暮らせるのか

心遠地自偏 心俗事を離れなば地自ずと辺境なり

采菊東籬下 まがきのもと菊を摘み

悠然見南山 悠然として南山を見る

山気日夕佳 山氣日夕に佳く

飛鳥相與還 飛ぶ鳥相伴いて帰る

此中有真意 此のうちに真意あり

欲弁已忘言 語らんとすれどすでに言葉はいらぬ




漱石の草枕では以下のように書かれる。

「うれしいことに東洋の詩歌はそこを解脱したものがある。

採菊東籬下、悠然見南山。

ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣ねの向こうに隣の娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的の利害損得の汗を流し去った気持ちになれる。

獨坐幽篁裏。弾琴復長嘯。深林人不知。明月来相照。(王維)

ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。淵明・王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人間の天地に逍遥したいからの願い。一つの酔興だ。淵明だって年が年中南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹薮の中に蚊帳も釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は売りかこして、生えた筍は八百屋え払い下げたものと思う。」

まあ、東大などの教職を辞して作家となった漱石の気持ちもわからないでもないですが・・・・鋭い考察ですし・・・

帰去来辞の4段にはこうあります。


「もうこれまでだ。この肉体をこの世の中にとどめることは、あとどれほどであろうか。(もはやどれほどもない。)どうして心を自然の成り行きに任せようとしないのか。(そうすべきである。)どうしてうろうろとしてどこかに行こうとするのか。(そんなことをしてもしょうがない。)金持ちになったり高い身分になったりすることは、私の望みではないし、仙人のいる不老不死の世界に行くことも期待できない。(ただ)よい時節を思って一人出掛け、時には、ついている杖を地面に突き立てて、野良仕事をしよう。東の丘に登っては、ゆるやかに歌をロずさみ、清らかな流れに臨んでは、詩を作る。しばらくは自然の変化に身を任せて命の尽きるままにしよう。あの天命を楽しんで、またいったい何を疑おうか。(何も疑うものはないのである)。」


(-∧-)合掌・・・