昨日は、職場に一通の葉書が東京の某所より届いてました。

その葉書には、丁寧な文面でお父さんがわが娘が精神病の療養中に急逝したこと。

この世での務めを終えたと書かれ。

娘さんより先に数年前に亡くなった奥さんとが2人で黄泉の国で楽しく暮らしているだろうと書かれていました。

去年の12月3日に急逝したと書かれてました。

つらつらと急逝した仲間の生前の記憶などを辿る。

年齢は、30代後半で闘病生活も長い。

疾病療養中に「のほほん」にしばらく通い、元の職場に復職し東京で暮らしておりました。

統合失調に癌に・・・そんな病魔と闘いつつ仕事をしつつ・・・精神薬が強いのでカフェインを飲みつつ仕事をしていたり・・・・国立大学を卒業後に大きな会社で勤務しておりました。


ハッピーライフにも原稿をメールで送ってくれたものでした。

ドクターストップで仕事を辞め入院中ですというのが最後のメールでした。

どうしてるのかなあ?

などと時折思い出しつつ・・・・一通の葉書が昨日届きました。


妻に先立たれその数年後娘に先立たれた年老いたお父さんの、この半年間の胸中などを察し。

葉書を受けとる側への配慮が文面から溢れておりました。


今朝は、香などを焚き染めて故人の冥福を祈りつつこの日記を認めております。


(* ̄- ̄)人 i~ 合掌


従兄弟や親友の白血病での死。

病気仲間の死。

死こそ僕にとっての最良の教師なんだろうなあ・・・・・

そんなことどもを思いつつ。

葉書に書かれた「黄泉の国」

そんなことどもつらつら思い出す。

厳粛な朝であります。




日本神話では、イザナミという女性神は、島々や諸物の神を産んだ後、最後に火の神を産む。火の神を産んだ際に陰部を焼かれてイザナミは死に、黄泉の国へ行きます。

記紀神話では、「黄泉」は死者の行く地となっています。

出雲国風土記には、「黄泉の穴と呼ばれる洞窟があり、夢にこの洞窟を見ると死亡する。」という伝承があります。


イザナキは死んだ妻・イザナミを追って行った黄泉の国。



古代人は他世界の強い信者であったと私は思う。天には神がいて、そこには先祖たちもいて、人間が死ねば、その天にある先祖たちの国に帰るのであろう。しかし、他世界はただ天のみではない。もう一つ、地の底にも他世界があり、それは黄泉の国である。いったんそこに落ちたら、絶対そこからもう出てこられない。人間は、死んで天の国に行くことを願い、地の底の黄泉の国に行くことを恐れる。

[梅原 猛:梅原猛著作集〈6〉日本の深層, p.110-111]


沖縄にはニライカナイという信仰があります。それは海の彼方のあの世を言うらしいのです。私はニライカナイというのをアイヌ語で解釈する。ニライ、根の下のところ、カナイ、空の上のところ、ということになりますが、それは根の下であるとともに、空の上である。根の下、夜の極点か[が?]、空の上、昼の極点になるのです。こういう根の下と空の上、夜と昼とが出会うところだと思います。大変哲学的な概念ですが、原始人は意外に哲学的なんです。

[梅原 猛:梅原猛著作集〈8〉日本冒険(下), p.470]


それによると、なぜか共通して、眼の前に道があり、そこを歩いていくと、あの世の入り口である洞くつがある。洞くつへ入っていくと、今度は長いトンネルである。なおも進んでいくと、急に道が狭くなり高さも低くなる。その非常に狭苦しいところを通って行くと、やがて向こうにポツンと灯りが見え、先を急ぐとようやくそのトンネルが終わり、新しい世界が眼の前に広がる。右手は海岸で、左手は山である。道はさらに曲がりくねってうねうねと続き、どんどん行くと一本の小川があり、橋が架かっている。その橋を過ぎると、行く手にポツポツと家が見え、煙が出ている。火を炊いているということは、家々に人がいる証拠である。そこは、まるでどこかの村のようで、この世と違う情景はまるでないという。ここがあの世へ旅立つための準備場所なのである。

そこでは、自分の正体を見ることができるのはイヌだけである。イヌだけが自分に吠えかかる。そうするとそこで暮らしている人たちは、何かおかしなものが来たというわけで、自分に灰などいろいろなものを投げつける。それが体中にペタペタくっついてとれない。いくら手で払っても離れない。生死をさまよった人の話だと、これらのものは、そこから戻ってくる時、先ほどのトンネルのいちばん狭いところ、ようやく体が通れるところを通った時に、全部体から落ちてしまうという。この世のイヌも、人間には見えない魔物がくるとわんわんと吠える。すると人々は、そこへ向かって灰を投げたりするのだが、そのときに魔物の霊についた灰も、魔物が逆にこの世からあの世へ戻る時には同様に取れてしまうということになるのだろう。

[藤村 久和:アイヌ、神々と生きる人々, p.210-211]


天は、父。

大地は、母。

そして死者とともに生きる。

そんな信仰が世界中にあります。


この世での労苦を思えば

死は安息であると

僕は思います。


様々な身内の死や仲間の死を抱きしめつつ

しぶとく

したたかに

そして謙虚に

生きて行こうと思います。


(* ̄- ̄)人 i~ 合掌