詩人の尹東柱(ユン・ドンジュ)。

第二次世界大戦のさなか日本に留学していた時、朝鮮語で詩を書いたことから、朝鮮独立運動に関与したとの嫌疑で特高警察に捕まりました。


懲役刑をうけて福岡刑務所に服役中の1945年2月、若くして獄死しています。

虐殺が疑われております。


彼の「序詩」はいつ読んでも心に響く。



死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹き晒される。





夜の雨の音が聞こえる、朝鮮を支配する日本の六畳下宿、禁じられた朝鮮語の詩人とは運命の皮肉だが、わたしは詩を書こう、家族の気持ちと苦労のこもった仕送りを受け、大学に通うわたしは。幼友達を失ってきたわたしが、今、詩に託す願いとは。思いとは? 人生にくらべて詩はたやすすぎ、恥ずかしい。友達を失い、最後のひとりとしてわたしは、時代の夜明けを待つ。たやすく詩を書いて、仕送りで学生生活を送るわたしだが、そんなわたしに、わたしは手をさしのべ、涙ぐみながら慰める。


「たやすく書かれた詩」

尹東柱 (1917-45)


窓辺に夜の雨がささやき
六畳部屋は他人の国、

詩人とは悲しい天命と知りつつも
一行の詩を書きとめてみるか、

汗の匂いと愛の香りふくよかに漂う
送られてきた学費封筒を受けとり

大学ノートを小脇に
老教授の講義を聴きにゆく。

かえりみれば 幼友達を
ひとり、ふたり、とみな失い

わたしはなにを願い
ただひとり思いしずむのか?

人生は生きがたいものなのに
詩がこう たやすく書けるのは
恥ずかしいことだ。

六畳部屋は他人の国
窓辺に夜の雨がささやいているが、

灯火をつけて 暗闇をすこし追いやり、
時代のように 訪れる朝を待つ最後のわたし、

わたしはわたしに小さな手をさしのべ
涙と慰めで握る最初の握手。

『尹東柱全詩集 空と風と星と詩』尹一柱編・伊吹郷訳(1984・影書房)より


尹(ゆん)家は改名して、「平沼(ひらぬま)」と名乗るようになる。

日本の政府は、当時さまざまな手段や理由で陰に陽に、改名政策を推し進めた。


尹家の場合、その直接の原因は、尹東柱の「渡航証明」をとるためだった。

名前が日本式でなければ、渡航証明書をとるのが難しかった。

本当に「内鮮一体」であり朝鮮も完全に日本の一部であるのなら、九州から本州に渡る場合のように、半島から日本に渡る場合も「国内」旅行なのだから、パスポートや証明書など不要なはずなのだが・・・・・


平等と言いながら、日本名でなければ実際には渡航するのが難しい。

そんな時代に心響かせ若く散った命もありました。


クリスチャンだった彼には以下の詩がある


十字架

追いかけてきた陽の光なのに
今、教会堂のてっぺん
十字架にかかりました

尖塔があんなにも高いのに
どうやったら登っていけるでしょうか

鐘の音も聞こえてこないのに
口笛など吹きながらうろついてみましたが

苦しんだ男
幸福なイエス・キリストへのように
十字架が許されるのなら

首をたれて
花のように咲き出る血を
暗くなっていく空の下で
静かにお流ししましょう



日本は朝鮮人に日本語を強要していた。

宗教ばかりでなく、言葉も奪った。

国家神道と皇室崇拝。

これに逆らえば不敬罪。

大本教やキリスト教徒や共産党員。

獄の露と消えた日本人も多い

同化政策って奴だ。

アイヌ民族に対して先に行った事の応用。

名前も奪われ。

日本名も強制した。


愚かしき歴史に咲く一輪の花

心響かせよ!!