昨日は、午前中オーストラリア帰りのAKIRAさんから電話が来る。

オーストラリアの土産話を聞きつつ。

お互いの近況報告をしつつ。

アースデイ屈斜路以降の道内での日程などをどうするかお話しする。

旅帰りのAKIRAさん元気そうだった。

今の所決まっているのが7月13日に地域労組主催の東区民センターでのイベントにAKIRAさんがゲスト出演。

ライブの企画を幾つかしましょうと約束する。



その後、職場へ郵便物に振込みのお知らせが入っている。

ハッピーライフの賛助会員がジワリジワリと増え続けております。

ありがとうございます。



夕刻メンバーと車で黒豆での

きっこちゃん主催の「言葉で遊ぼう」へ

黒豆さんとAKIRAさんが来たら云々。

日程調整などの今後やりとりしましょうとお話しする。

その後、きっこちゃんが体調悪く

おうちに帰る。


なおや君が司会代行して

言葉で遊ぼうを開催。

詩の朗読会。

これが、なかなか面白い。


なおや君とまこちゃんが歌を歌う。

山田詩人が朗読。

日頃、見慣れたのほほんメンバーが大活躍。


言葉で遊んでる間に何人かのメンタル系メンバーが黒豆に終結。

みんな、不思議詩人「きっこちゃん」に逢いに来たのだった。

自ら詩集を出して素晴らしい詩の朗読を聞かせてくれた詩人さん。

茨木のり子の詩を朗読してくれた画家さん。

不思議詩人きっこちゃんネットの人々と言葉で遊んだ後

みんなと少しお話しつつ


9時過ぎに黒豆を出る。

帰り道は雨。

環状線をひた走り

我が家に帰る。


昨夜の読書は、何回も読んでいる山本七平さんのある「異常体験者の偏見」


日本人は戦後、大東亜戦争による国家滅亡の危機の反省として、その原因を単に戦争そのものや一部の軍国主義者のせいとしてしまい、そこで思考停止した。

この事象をGHQの洗脳政策と見る向きもあるが事は、そんなに容易くない。

日本人の根っ子にある思考方法や行動パターンについては、そんなに変わってない。

これは、他国もそんなに事情は変わらないのだろうとも思う。


故に戦争は終わらないのだろうし・・・・・・

山本氏の戦争体験。

1942年9月、太平洋戦争中のため、青山学院専門部高等商業学部を21歳で繰り上げ卒業する。10月、第二乙種合格で徴兵され、陸軍近衛野砲連隊へ入隊。その後、愛知県豊橋市の豊橋陸軍第一予備士官学校に入学する。

1944年5月、第103師団砲兵隊本部付陸軍砲兵見習士官(のち少尉)として門司を出航、ルソン島における戦闘に参加。1945年8月15日、ルソン島北端のアパリで終戦を迎える。同年9月16日、マニラの捕虜収容所に移送される。 1947年、帰国。


フィリピンでのアメリカ軍の脅威と戦死者と餓死者の山だった帝国軍隊・・・・これは、僕の父方の祖父も同じ経験をしている。

フィリンピンでの死線を抜け出し帰国後しばらくして病魔に冒され死んだ祖父。

戦争体験の傷と自らの消化器系の病魔と格闘し生き抜いた山本氏。


まあ、そんなこんなの雨の土曜日でありました。

今年の北海道は、冷夏だろうなあ・・・・そんな予感がします。

今朝も肌寒いです。