「天津罪」

畔放・溝埋・樋放・頻蒔・串刺・生剥・逆剥・屎戸

「国津罪」

生膚断・死膚断・白人・胡久美・己が母犯せる罪・己が子犯せる罪 ・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜犯せる罪 ・昆虫の災・高つ神の災・高つ鳥の災・畜たふし・蟲物する罪

これらは『延喜式』の8巻大祓祝詞の記載による。


[天津罪]天つ罪は、日本神話においてスサノオが高天原で犯したようなことで、農耕を防害する行為である。

スサノオは、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりした。



畔放(あはなち) - 田の畔を壊すこと
溝埋(みぞうめ) - 田に水を引くために設けた溝を埋めること
樋放(ひはなち) - 田に水を引くために設けた樋を壊すこと
頻播(しきまき) - 他の人が種を蒔いた所に重ねて種を蒔いて作物の生長を妨げること(種を蒔く事で耕作権を奪うこととする説もある)
串刺(くしさし) - 他人の田畑に自分の土地であることを示す杭を立てること
生剥(いきはぎ) - 生きている馬の皮を剥ぐこと
逆剥(さかはぎ) - 馬の皮を尻の方から剥ぐこと
糞戸(くそへ) - 祭場を糞などの汚物で汚すこと



[国津罪]

生膚断(いきはだたち) - 生きている人の肌に傷をつけること
死膚断(しにはだたち) - 死んだ人の肌に傷をつけること
白人(しろひと) - 肌の色が白くなる病気
胡久美(こくみ) - 瘤ができること
おのが母犯せる罪 - 実母との相姦(近親相姦)
おのが子犯す罪 - 実子との相姦
母と子と犯せる罪 - ある女と相姦し、その後その娘と相姦すること
子と母と犯せる罪 - ある女と相姦し、その後その母と相姦すること
畜犯せる罪 - 獣姦
昆(は)ふ虫の災 - 地面をはう虫(昆虫やムカデ、蛇など)による災難
高つ神の災 - 雷など天災地変による災難
高つ鳥の災 - 空を飛ぶ鳥による災難
畜仆し(けものたおし)、蠱物(まじもの)する罪 - 家畜を殺し、その血で他人を呪う呪い(まじない)をすること


『大神宮儀式帳』には川入(川に入って溺死すること)・火焼(火によって焼死する事)も国津罪だとする。



文書としては平安時代の『延喜式』巻八「祝詞」に収録される大祓詞に対句として初めて登場する。

これらの罪は、古代日本人が、法律による処罰ではなく、祓という祭祀(さいし)儀礼によって除去されなければならないと考えた罪のこと。


とりあえず思いついたことなどを書き連ねる。


逆剥(さかはぎ) - 馬の皮を尻の方から剥ぐこと


生剥(いきはぎ) 生きている馬の皮を剥ぐこと


動物の皮を剥ぐことを生業とする人々が古代より差別されてきたのだろうか?


稲作が普及するプロセスとこの国の成り立ち。

平地民族大和民族に狩猟民族と思われる山人やサンカとの問題。

これらは、ハレとケガレの問題でもある。



畜仆し(けものたおし)家畜を呪い殺すこと、蠱物(まじもの)他人を呪い殺すことする罪 -家畜を殺し、その血で他人を呪う呪い(まじない)をすること 。


これら呪術の原型は、中国経由か?


それとも日本古来なのか?

蠱物(まじもの)

相手を呪い殺す呪術の一つ。

「蠱(こ)」という文字どおり、皿の上や器の中に大量の「諸蠱(しょこ)」といわれる。「蜘蛛」や「百足」その他の毒虫類、「蜥蜴(とかげ)」、「蛇」、「犬」、「猫」、「蛙(かえる)」他、様々な小動物、また、稀に大きな動物、そして、魚や鶏の肉などという非常に多彩な媒体を用いて、互いに共食いをさせ、最後に生き残ったものを呪術では、使った。

共食いをさせて最後に生き残ったものを「蠱(こ)」とか「蠱毒」と呼ぶ、この虫は、毒薬として使ってもいいし、魂魄(こんぱく)を人に取り付かせてもよいし、敵を喰わせてもいいし、黒焼きにして、粉にしたものを相手に振りまいてもいいし、相手の家の床下に棲まわせ、原因不明の病気などで殺してもよいなどと言い伝えられる。



日本神道の起源を中国の道教に求める意見も多く。


この国古来の文化の深層は?

なんてことを考えていく時に罪の概念を思索するのは面白い。

スサノオに関してはウイキより貼り付け。



『古事記』によれば、神産みにおいてイザナギが黄泉の国から戻って禊を行った際、鼻をすすいだ時に産まれたとする。日本書紀ではイザナギとイザナミの間に産まれたとしている。

イザナギは、天照大神に高天原を、月夜見尊に夜を、スサノオに、海原を治めるように言った。『古事記』によれば、スサノオはそれを断り、母神であるイザナミのいる根の国に行くと言い始め、イザナギは怒り近江の多賀に引きこもってしまった。スサノオは根の国へ向う前に姉の天照大神に挨拶をしようと高天原へ行った。天照大神はスサノオが高天原に攻め入って来たのではと考えて武装してスサノオに応対し、スサノオは疑いを解くために誓約を行う。誓約によって潔白であることが証明されたとしてスサノオは高天原に滞在するが、そこで粗暴な行為をしたので、天照大神は天の岩屋に隠れてしまった。そのため、スサノオは高天原を追放されて葦原中国へ降った。

葦原中国のある出雲の鳥髪山(現;船通山)へ降ったスサノオは、その地を荒らしていた八岐大蛇(八俣遠呂智)を退治し、八岐大蛇の尾から出てきた天叢雲剣を天照大神に献上した。スサノオは、八岐大蛇に食われることになっていたクシナダヒメを妻として、出雲の須賀(すが)の地へ行きそこに留まった。そこで「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」と詠んだ。これは日本初の和歌とされる。また、ここから「八雲」は出雲を象徴する言葉ともなった。その地で大国主命などを産ませ(『日本書紀』では大已貴神(おおあなむちのかみ)。『古事記』では大国主命はスサノオの6代後の子孫としている)、その後、根の国へ向かったと言う。

『日本書紀』の一書では、高天原から追放されたスサノオは、新羅に降り、「私はここには居たくない。」と言い息子の五十猛尊(イソタケル)と共に土船で出雲へ渡ったとある。そのとき高天原から持ち帰った木々の種を、韓(から、朝鮮)の地には植えず、大八洲(おおやしま、日本のこと)に植えたので、大八州は青々とした地になったと言う。また別の一書では、木がないと子の大已貴神が困るだろうと言い、ひげや体毛を抜いて木に変え、種類ごとに用途を定め、息子のイタケル、娘のオオヤツヒメ、ツマツヒメに命じて全国に植えさせたという。

大国主の神話において根の国のスサノオの元にやってきたオオナムヂ(大国主)は、スサノオの娘であるスセリビメに一目惚れするが、スサノオはオオナムヂに様々な試練を与える。オオナムヂはそれを克服し、スサノオはオオナムヂがスセリビメを妻とすることを認め、オオナムヂに大国主という名を贈った。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%82%AA


これら罪の概念や伝記が征服者である農耕民族が書いた。

そして、先住文化や民族との戦いや交流や混血が窺い知れる。

この国に稲作が伝わった事は革命的な出来事だったのか?

それとも・・・・


いずれにしても「天津罪」「国津罪」に関して考察することは、この国の深層に触れる事になると思う。

罪を祓う事と神道。

そして仏教と道教。

これらの源流になにがあったか?

古代日本と罪の源流などを時折考える。

ケガレという概念はインドに未だに多く見られ。

インド文化と日本文化の相関関係も興味深い。

インドから直接日本に渡った人物や文化もあるかと思う。


おまけ。


「アダムはリンゴが欲しかったから食べたのではない。禁じられていたから食べたのだ」

マーク・トウェイン