1946年2月13日、アメリカ占領軍のホイットニー准将は、1946年2月13日、ホイトニー准将は外務省公邸で松本丞治と吉田茂に面会した。
ホイットニーは、「先日あなたがたが提出した松本草案=憲法修正案は、マッカーサー最高司令官が受け容れることはまったく不可能である」と通告し、GHQ草案=現行憲法を提示した。そしてこう述べたという。
「最高司令官は、これが、多くの人から反動的とみられている保守的グループが権力に留まる最後の機会であると感じています。もしあなた方がこの憲法草案を受け容れるならば、マッカーサー最高司令官があなたがたの立場を支持することを確信されてもよいと思います。
あなた方がご存じかどうか知りませんが、最高司令官は、あなたがたの天皇を戦犯として取り調べきだという、次第に強くなりつつある外圧から天皇を守ろうという決意を固く保持してきました。しかしみなさん、最高司令官は万能ではありません。とはいえ、最高司令官は、この憲法の諸規定が受け容れられるならば、天皇は事実上安泰になると感じています。」
この時点で松本草案に見られような明治憲法の手直しによる憲法が日本政府の手でGHQに提出された。
そして、占領軍の示した。現行憲法を占領軍は、日本国憲法とする。
天皇制擁護と引き換えに現行憲法は成立する。
時の政府は、政体を大きく変更するつもりはなかった。軍国主義的な要素を除去しさえすれば、天皇を中心とする麗しい国体を回復できると考えていたのである。吉田茂においてすらそうであったのだ。
天皇の首と現行憲法。
これがGHQアメリカ占領軍による民主化の正体かもしれない。
最後の最後まで揉めたのが内閣は天皇の上にあるべきことことを押し付けられた局面だという史実がある。
「主権在民」実は、「主権在米」である。
「明治憲法下で人権と主権を否定された民衆は、自分たちの状況が改善される機会を歓迎した。このことはGHQの高官が注意深く指摘しているように、次の二点において明らかであった。まず第一に、私的機関や個人が提案していた憲法改正案の多くが、自由主義的で進歩的なものだったこと。第二に、松本委員会の改正案が派手なスクープによって公になった時、メディアはこれを反動的であると批判し、民衆の強力な支持を得たことであった」
ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』
当時の市民の様子は・・・・・
アメリカ占領軍を迎え入れる日本国政府は、銀座に「新日本女性に告ぐ」という巨大な看板を立てた。
看板には「戦後処理の国家的緊急施設の一端として、進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む」と書かれていた。この広告をみてやってきた女性の中には「お国のために自分の体を捧げたい」という女性もいたという。
こうして、東京だけで1360人もの新日本女性が登録を終え、この「大事業」に参加することになった。8月28日にはとりいそぎ皇居広場前で「特殊慰安施設協会」の発足式が行われた。
「・・・我等は断じて進駐軍に媚びる者に非ず。節を枉げ心を売るものに非ず。やむべからざる儀礼を払い、条約の一端の履行にも貢献し、社会の安寧に寄与し、以て大にして之を言えば国体護持に挺身せむとするに他ならざることを、重ねて直言し、以て声明となす」
要するに米軍兵相手の従軍慰安婦の発足式を政府主催で皇居前で行ったのだ。
「お国の為」という真言を合言葉にだ。・・・・・
「昨日まで危険で男性的な敵であった日本は、一度のまばたきのうちに、白人の征服者が思い通りにできる素直で女性的な肉体の持ち主に変貌した。そして、同時に、売春によるものもそうでないものも、占領軍兵士と日本女性の稠密な関係は、ときには人種を超えた思いやりや、お互いへの敬意や、さらには愛情の出発点にさえなった。そいういう意味で、国家同士の関係が男女の関係に変換されて表現されていたのである。かかわり方はどうであれ、そこにいたすべての者にとって、占領軍と日本女性の関係は驚くほど感覚的で、かつ文化的な出来事だった。」ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』
戦時下の統制によって隠匿された物資が闇市という『自由市場』に放出された。
そのあからさまな弱肉強食の実状は、人々に様々な効果をもたらした。
日本の民族と文化は、他に類のない『家族』意識によって互いに助け合い、団結しているのだと人々は教え込まれてきた。
これを共同幻想と見るか?
伝統文化と見るか?
は、その人の資質によるだろうが。
治安維持法を筆頭に強権によって限られた物資を分かち合う事で飢餓状態に置かれた日本人が最悪の事態を見ずにすんだとも考えられる。
その地獄のふたが開いたのだ。
作家の坂口安吾は、「人々はこれほどまでに利己的な世界を見たことがなかった。」
と書いた。
国民の大多数が飢えに苦しみ餓死者が多く出ていた時代に現行憲法は成立した。
「『健康』や『健全』という言葉は、戦時中の理論家や検閲官が非常に好んだものであるが、そういわれた実際の世界は、不健全で病的であった。逆に、退廃し不道徳であることこそが真実であり、現実であり、最高に人間的なことなのである。……『堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わねばならない。これが坂口の結論であった。そうすることによって、人々は彼自身、彼女自身の『武士道』や『天皇制』を編み出さなくてはならない」
ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』
空襲によって都市部は焼け野原になり、人々は、掘っ立て小屋に住み。
竹の子族という持っている衣類や財産を農家などで切り売りする生活を多くの人々は送るしかなかった。
敗戦時点で約650万人の日本人がアジアと太平洋の各地にとり残されていた。
350万人が陸海軍の兵隊だった。
復員ははかどらず、天皇の玉音放送から一年後の1946年9月の段階でも200万人以上の日本人がまだ帰国を果たしていなかった。さらに54万人が行方不明だった。
これら日本人の生活状況下の中でアメリカ占領軍による新憲法の制定や東京裁判は行われる。
裁く側に日本人が居なかった。
これが、アメリカお得意の民主化だ。
従順な日本人は新憲法も鬼畜米英アメリカ文化も喜んで受け入れ。
日本人と米軍兵の混血児があちこちで生まれる。
沖縄は、米軍基地となり。
あれから60年以上の時が経て。
この国がどれほどに変わったか?
と言えば。
被爆国日本に50基以上の原発が乱立し
再処理施設は稼動し始め。
金、金、金の日本のなのだ。
アメリカの国益と、日本の旧支配層・保守的勢力の利益が一致するという意味で天皇の線責任が回避され。
東京裁判という茶番劇で国民を洗脳したアメリカ占領軍のやり方は今も続く。
そういう意味で戦後も現在もそんなにこの国は変わらない。
「当時、憲法も含めた法令や文書は、一般国民にはおよそ近づきがたい文語体で書かれていた。四月半ば以降、政府が提出する文章が口語体で書かれることになったのである。これはたんに象徴的変化であっただけではなく、実際的な意味でも大きな変化であった。つまり法律も公文書全般も、特権的なエリートのものとは見なされなくなったということである」(ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」
まあ、戦後生まれの僕としては、日本がソビエトに占領されるよりは、良かったと思う。
で
憲法がどう改正されるか?
アメリカの意向に添うだけだと思うが・・・・・
昭和27年に朝鮮半島で戦争がはじまったとき、GHQは理想を棄てて現実に戻り、再軍備を要請。しかし国民は今度はついてこなかった。日本国民はいつのまにか理想を称えるようになっており、吉田茂も再軍備には頑強に抵抗したのである。
そして東京裁判の判決が下り、自らを被害者と規定した国民たちはさらに理想主義を守ることになる。
しかしながら、在日米軍を守る警察予備隊が自衛隊となり防衛省となった。
平和主義を標榜する左翼。
しかしその平和主義は、アメリカから与えられたものであり日本人が手に入れたものではない。
その正体は、マルクスの亡霊に過ぎなかっただろうと僕は思う。
その平和主義でもってアメリカに抵抗している右翼もまた、自らを被害者と規定する国民に同調してアメリカを非難したり、あるいは、アメリカが一方的に裁いた東京裁判の結果を受け入れることを拒否したりする。
確かにアメリカが勝ったのだ。
日本は負けたのだ。
敗戦は、未だ続いている。
戦後もまた・・・・・・・
そして、アメリカがアジアから手を引き。
その役割を日本に押し付け、これら莫大な軍事利権を享受しようとする。
あいも変わらぬこの国の支配者層なのであった。
中ロVS日米の図式は、北朝鮮問題を筆頭にあちこちで見え隠れする。
漁夫の利をヨーロッパは、狙うのか?
戦争が始まれば戦後は終わる。
そしてまた・・・・愚行の輪は続くのだろうなあ。
と僕は思う。
それが人間なんだと。
敗北を抱きしめる為に・・・・