「コタンに生きる人々」新谷行著

結城さんに借りたこの本をパラパラ捲る。

日本人側のアイヌ民族への差別に虐殺に略奪の歴史に異論はないのだけれど・・・・

著者がアイヌに肩入れするあまり日本人に関する部分がバイアスがかかっているかなあ・・・・・近代化以降の日本を日本文化としてしまってバランスを欠いているのだ。


この本でアイヌに対する言葉で和人=シャモという言葉が多く登場する。

日本人とは何か?という意味において

アイヌと和人=シャモは、同根である。

日本列島に長らく住んでいた原日本人は、アメリカ大陸に渡った古モンゴロイドとも同根だ。

そういう意味において我々は、ウタリである。

これに対して弥生人=新モンゴロイドがこの国に渡ってきた。

これらを騎馬民族とか色々な呼ばれ方をするが、天皇家の先祖はこの一派であって。

先住という意味においては、おそらくアイヌ民族らの古モンゴロイドがこの島に長らく住んでいた。

今は、縄文と弥生の混血が進み、そういう意味では単一民族という言葉が全くの間違いとは、言えない。

この辺のことは、宮崎アニメをじっくり見ると透けて見えてくるのだが・・・・・・



世界中に見られる虐殺や争いは、同族殺しの尊属殺人であるとも言える。

創世記に見られるようなカインがアベルを殺したような事象だ。


日本神話でよく知られた出雲の大国主命の「国譲り」の物語というのがあって。

先住民である出雲族に対して、後から来た天孫族(天皇家の先祖)が出雲を奪い、そこを拠点に日本列島全土に勢力を拡大していった歴史がある。

おそらく出雲族は、先住民、縄文人、原日本人だ。

出雲を追われた建御名方(タケミナカタ=大国主の息子)出雲族一行が、信州諏訪に逃げ。

諏訪地方を制圧して住み着く。

今度は諏訪にいた先住民を、自分たちが天孫族によって出雲で追い払われたと同じような方法で追い払って行った奪い方をした。

先住民を支配者の側が単に追い払っただけでなく、先住民と積極的に同化していくのだ。

これが農業革命と鉄器の時代に世界同時多発的に起きたことと思う。


桓武天皇は、最初の征夷大将軍・坂上田村麻呂を蝦夷(えみし)が支配する陸奥(みちのく=現在の東北地方)へ遣わし、北海道を除く、現在の日本の領域というものを確定した古代の天皇だ。

征夷という言葉がこの国の歴史の一面を物語っている。

蝦夷と朝廷側より呼ばれ蔑まれた人々は、もともと東北地方の奥のほう(陸奥)にいたのではなく、平安京遷都の時点(8世紀末)では、現在の地域でいえば信州諏訪の辺りから関東全域、そして東北地方全体で広範囲に暮らしていたと思う。


それが歴史を経るに従って、例えば、もともと摂津國に本拠を置いていた武家集団の源氏が関東へ進出する(八幡太郎義家)ことによって、睦奥に追い込まれ、徳川幕府が成立するころには、ほとんどすっかり蝦夷ケ島=北海道=アイヌモシリへどんどん追いやられるようになったのだろうかと思う。


おそらく日本人のルーツのひとつは、アイヌだ。

このことを一番隠蔽したいのが天皇家一族=朝廷=歴史を編纂する側だったかと思う。

これらは、丹念に歴史を掘り起こせば歴然としてくると思う。


世界中に分布する、アミニズムやシャーマニズムや自然崇拝などを見ると先住民族という言葉は、縄文から弥生へという農耕文明による一大潮流。

農本国となった我が日本。


列強国の脅威から始まった明治維新と急速な近代化の下でアイヌ民族が土人と蔑まれる、迫害を受けた歴史と似たような事が日本史の中で数多く起きている。

植民地化への脅威と近代化が未だ未解決のまま世界中で尾を引くのだ。


ユーラシア大陸よりアメリカ大陸へ渡った古モンゴロイド=アメリカ大陸先住民を多く殺し黒人奴隷を虐げ続ける白人と日本人は似ているのかも知れない。

その加害性に於いて・・・・・・・・・・

新谷さんの記述には北海道の辺境に追いやられたアイヌ民族の悲劇が丹念に語られる。

それらは、僕自身が北海道で見聞してきた事象と一致する。

日本人であることが恥ずかしく情けなくなるような内容だ。

シャモ=和人とアイヌの歴史は陰惨を極め悲惨だ。

しかしながら、こういった歴史を直視せずして単一民族日本だとか「美しい国」などといったところで何になろうか?


我々人間の抜き差しならぬ問題。

心に潜む差別や偏見

殺戮に虐待

人間の奴隷化に道具化

果てるとも知れぬ愚行の輪


和を以って尊ししとした談合大国日本。

チャランケによって幾晩にも渡って話し合いを重ねたアイヌ民族。

日本文化とアイヌ文化の基層が一緒なのだ。

日本人の僕が直感的にシャモもアイヌも同じだと思った言葉。

釧路の山本エカシの言葉「自然にじっと耳を澄ませなさい、草や木が話すのを聞いた事があるのか、草や木、鳥の話すこともわからんで何がアイヌの復権だ、この馬鹿者どもが!!」

と筆者、新谷行氏と結城庄司氏を一喝する場面だ。

加害と被害を超えて

人間同士が和解できるか?


これが非常に難しい・・・・・従軍慰安婦問題も根は一緒かと思う。

在日米軍問題や広島長崎の問題もまた・・・・・・

やった、やられた

とった、とられた

と・・・・いつまで続く泥濘ぞ!!!


なああんであります。


人間同士が互いを尊重しあえるか?


これが難しいのでありましょうねえ・・・・・

人間による権力と権威への依存。

これが病根なのではありますが・・・・・・