正直な思いや国民の世論がこうなるといいなと思いつつ書いていますが、何せテレビや新聞、映画や書籍の一切に触れない私です。
世間の皆さんとは全く話が合わなくて当たり前。
特に昨日の戦争賛美はさすがにブッ飛んでいるように見えるかと覚悟して書きましたが、リアルな付き合いがあるフェイスブックでは嬉しい反応があり、さすがに違うなと逆に私の方が感動した次第です。

ただし書いている者の感覚と読む方の感覚は必ずしも一致していなくて、私がヤバイと思って書いても、意外に普通の内容だったりしますし、その逆もあります。
感想はあくまで私の個人的な印象に過ぎません。

昨日の戦争賛美は世間からすると行き過ぎも甚だしいとしても、私の場合、それ以外の投稿内容も相当にブッ飛んでいると自覚していますので、何を今更ではあるのですが。

今日は角度を変えて、『自由』による国家破壊について書かせていただきます。

職業選択の自由とか、自由恋愛とか、信仰の自由とか、言論の自由とか、とにかく今の我が国には自由が溢れ過ぎています。
過度な自由は何をもたらすか。
普通に考えると、誰だって楽な方に流れるという事で、そうなれば当然に社会は成り立たずに崩壊します。
そんな中で過疎の話です。
言わば、『引っ越しの自由』『居住地の自由』についてです。
それはいかんやろと私は感じています。

仕事で色々な町や家や企業、医療機関を訪ねます。
そんな中、例えば福井県とか、滋賀県の旧・東浅井郡浅井町とかを訪ねる機会に恵まれました。
いわゆる『日本がまだ残っている地域』です。

川のせせらぎに魚が泳いでいます。
民家は四角くなく、日本の家屋が並び、そして田園風景が広がります。
ここにも人が住み、地域社会を形成しているのですが、過疎化により消滅の危機に瀕しています。
こういう日本を残さないといけないのに、人が流出して消滅しようとしているのです。

コンビニもスーパーもありません。
企業も無ければ飲食店も娯楽施設も無い。
神社やお寺も消滅しつつあります。

『引っ越しの自由』『居住地の自由』、ちょっとそれはアカンやろ、と痛感させられる現実です。

暴論と承知ですが、一旦、日本中の全ての長男を、出生した実家に強制的に戻してみては如何かと思います。
二男は実家のある集落内、三男は実家のある市町村内に戻す。
女性は嫁いだ夫(死別していても)に従って移動し、離婚によるシングルマザーについてはシングルマザーだけが居住できる学区を各市町村に作って、強制的にその学区内に居住していただく。

長男がどうしても都会に出るのであれば、二男、又は三男が実家に暮らし、それが叶わないなら実家に養子をもらう条件を付ける。
転入してくる住民については、これも転入者専用の学区を市町村内に設け、そこに居住していただく。
学業などによる一時的な転出は期限付きとし、期限が過ぎれば実家に戻る事を義務付ける。
外国からの移民家系については、これも専用の学区を各市町村に設けて、その学区内に居住していただく。

職業選択の自由も甚だ疑問で、それについては機会があれば触れるとして、今回は全ての国民に、『引っ越しの自由』『居住地の自由』を与えない。
段階的にそうしてはどうかと思うのです。

夢物語ですが、そうする事ができるなら、先ず過疎化の問題は解消します。
優秀な頭脳の流出も防げます。
地元産業の維持と振興にも繋がります。
道を外れてしまったシングルマザー、転入者、外国からの移民系については、地域の伝統・文化の継承を妨げないよう、分かりやすく一箇所にまとめる。
先祖代々居住する地域の維持と発展を為し、和を持って居住する地域に誇りを持つ。
その誇りは日本人としての誇りに繋がるもので、ほぼ全ての日本人が日本人であるという誇りを抱く。
互いに顔見知りで、お互いに出自を知り合い、助け合う。
また外から訪れた人に対しては村人の誇りとして親切に接する。

こうして日本国中が地域色という個性溢れた、活気のある、誇りのある地域になり、日本人が日本人としての誇りを持って暮らす。

こうした『引っ越しの自由』『居住地の自由』の制限って如何なものでしょうか。

田舎に出る度に感じる『引っ越しの自由』『居住地の自由』の制限の必要性、それを書いてみました。

できれば戦後の市町村合併の全てを無効にし、村祭りなんかが復活すると素敵だなと思います。
今ならまだ間に合いませんかね。

今となっては多くの不都合や弊害がある事は承知していますが、その一つ一つの解消に知恵を絞り、地域振興や過疎化の解消を為し、日本全国、どこに行っても誇りと優しさが溢れる社会になればいいなと、そんな夢物語を想像しているものです。