昨日は福岡県大牟田市に行ってきました。(もうイヤになるくらい飛行機に乗っています。)

前日福岡に入ったのですが街は大にぎわい。

聞けばどうも福岡ドームでEXILEのコンサートがあったようです。

二週間程前にホテルを予約しようとしたらどこも満室で焦りました。

その後キャンセルが出て何とか宿を確保。

さすがEXILE、凄い人気です!

さて大牟田では「大牟田能」が行われ我が師、塩津哲生先生の「清経」が上演されました。

清経の地謡を勤めながら思い出したのはフランスで上演した新作能「ジャンヌダルク」の事。

清経は上掛り(観世・宝生)と下掛り(金春・金剛・喜多)とでは演出の面で異なる部分があり、我々下掛りの演出が何とも斬新なのです。

清経の妻に形見を届けるワキ・粟津三郎。役目を終えると上掛りの演出では舞台上から居なくなるのですが、下掛りでは残って清経が平家の敗戦を悟る非情なる神の御告げを謡います。(上掛りではシテ謡)

「ジャンヌダルク」では後半に火刑に処されたジャンヌが神に自分の無実を訴える場面があり、そこで神の声として賛美歌が挿入されます。

この賛美歌を狩野先生に頼まれて私が地謡座から独吟したのですが、「これは清経のワキ謡と同じだ!」と気が付きました。


以前は役目を終えたワキをわざわざ残して神の御告げを謡わせる演出に少し無理があるように感じていたのですが、新作能に携わったお陰で「先人はこれを狙っていたのか!」とこの度深く納得したのです。(あくまでも私見ですが)

もし今後誰かから「何で下掛りの清経はワキに神の御告げを謡わせるんですかねぇ?」と聞かれる事があったら教えてあげよう。

「あの演出意図はね…」