ずいぶんご無沙汰してしまいました。

夏真っ盛りの中、皆さんお変わりありませんでしょうか?

我々はいま薪能シーズンを迎えています。

私の地元福山では例年二カ所で薪能が行われていて、今年はその両方共シテを勤めさせて頂きました。

7/28福山八幡宮薪能では「鞍馬天狗」を、8/4三和の森薪能では「殺生石・白頭」をそれぞれ舞いました。

鞍馬天狗は初演、殺生石も白頭では初演でした。

共に上演回数の多い人気曲ですから地謡は何度も謡った経験があり、それなりに曲のイメージは持っていましたが、シテを勤めると今までと少しイメージが変わったり新たな発見があったりして両曲に対する思い入れがより深くなりました。

その辺りを明日以降にアップしたいと思います。
フランスから帰国してから一週間が過ぎましたが、未だ時差ぼけが抜けきらず夜なかなか眠れない日々を過ごしています。

今回のフランスツアーでは幸運にもパリで自由行動の取れた日があり、その時は喜び勇んで数人で美術館に出掛けました。

私の第一希望ルーヴルは余りに巨大過ぎるというので敢え無く却下。
「ならオルセーじゃい!」という事でオルセー美術館に行きました。

オルセー美術館は先ず建物そのものが素晴らしい。
昔の駅舎をそのまま美術館にしてしまうという大胆な発想!

またその駅から出た列車の生き先は我々が前日まで公演していたジャンヌダルク生誕の地オルレアンであった、という事を聞いて感慨もひとしおです。

中には素晴らしい絵画の数々。
小学生の頃に教科書で見た事のある絵の本物が目の前に出てくると妙に感動してしまいます。

ただインパクトという点ではやはりゴッホの作品が群を抜きます。
ジィ~っと見ていると「この絵、動き出すんじゃないか?」と思わせる立体感と、見ている方が思わず健康を害してしまいそうな切迫感を感じました。

そりゃあこんな物が内在している人は長生きは出来ませんわな。
たとえ将来何かの間違いで大金持ちになったとしてもゴッホの絵だけは買ってはいかん!と心に誓ったのでありました。

翌日には現代彫刻の父とも云われるロダンの作品を見に行きました。
長くなってきたのでそれはまた次回に。
昨日は福岡県大牟田市に行ってきました。(もうイヤになるくらい飛行機に乗っています。)

前日福岡に入ったのですが街は大にぎわい。

聞けばどうも福岡ドームでEXILEのコンサートがあったようです。

二週間程前にホテルを予約しようとしたらどこも満室で焦りました。

その後キャンセルが出て何とか宿を確保。

さすがEXILE、凄い人気です!

さて大牟田では「大牟田能」が行われ我が師、塩津哲生先生の「清経」が上演されました。

清経の地謡を勤めながら思い出したのはフランスで上演した新作能「ジャンヌダルク」の事。

清経は上掛り(観世・宝生)と下掛り(金春・金剛・喜多)とでは演出の面で異なる部分があり、我々下掛りの演出が何とも斬新なのです。

清経の妻に形見を届けるワキ・粟津三郎。役目を終えると上掛りの演出では舞台上から居なくなるのですが、下掛りでは残って清経が平家の敗戦を悟る非情なる神の御告げを謡います。(上掛りではシテ謡)

「ジャンヌダルク」では後半に火刑に処されたジャンヌが神に自分の無実を訴える場面があり、そこで神の声として賛美歌が挿入されます。

この賛美歌を狩野先生に頼まれて私が地謡座から独吟したのですが、「これは清経のワキ謡と同じだ!」と気が付きました。


以前は役目を終えたワキをわざわざ残して神の御告げを謡わせる演出に少し無理があるように感じていたのですが、新作能に携わったお陰で「先人はこれを狙っていたのか!」とこの度深く納得したのです。(あくまでも私見ですが)

もし今後誰かから「何で下掛りの清経はワキに神の御告げを謡わせるんですかねぇ?」と聞かれる事があったら教えてあげよう。

「あの演出意図はね…」
昨日フランスから無事に帰国しました。

一昨日、パリから今回のツアー最後の公演地である南仏・エクス-アン-プロバンスに移動しました。

この地にはこの旅の団長である狩野秀鵬先生の能舞台があります。

当時九州の久留米にあって使用されていなかった能舞台を狩野先生がプロバンスに寄贈されたのが94年の事。

それ以降、狩野先生はこの地で多くの公演を続けてこられました。

私は初めて伺ったのですが、半野外の能舞台はプロバンスの街に何の違和感もなく溶け込み、夕陽が射し込むその姿は感動的ですらありました。

その夜の公演も新作能「ジャンヌダルク」を上演しました。(私は地謡を担当)

オルレアン、パリと公演を重ねてきたのですが、囃子方との連係がしっくりいかなかった部分もあり、もう一つ手応えが得られずにいました。

それがプロバンスでの公演では三回目にしてようやく「これだ!」という感覚を得る事ができました。

上演しながら「この感覚は回数を重ねたというだけではない。能舞台の力だ。」という確信を持ちました。

これまではホールに仮設舞台を作っての公演でしたが、場所に対する不馴れからくる不安感や音の抜けの悪さなど、どうしても普段通りにいかない事が多々ありました。

それが能舞台に立った瞬間、全てのマイナス要素が消え去ったように感じたのです。

謡と囃子とが響き合い、シテがそれに呼応する。

一句ごとに溢れる感性と一体感。

「戯曲の中に我々は確かに生きている!」という実感が身体を包みました。

能は能舞台で演じてこそ最大の魅力を発揮出来るという、当たり前の事をプロバンスの能舞台が教えてくれました。

この能舞台がいつまでもこの地に在り続けてくれる事を心から願いながら、フランスを後にしました。
フランスに来て4日目を迎えました。

「ジャンヌダルク」公演、出演者一同元気で順調にスケジュールをこなしています。

今年はジャンヌダルク生誕600年という事で彼女の生まれ故郷のオルレアンでは様々な記念イベントが行われ、その一環として我々の能公演も実現した訳です。

昨日オルレアンでの公演を無事に終え、次の公演場所であるパリに移動してきました。

少し時間が取れたのでパリ市内を観光した後、紹介してもらったレストランに向かう為シャンゼリゼ通りに出た時、通りでは人々が大騒ぎしていました。

しばらくしてからこの異様なまでの喧騒の原因が、フランス大統領選にある事が判りました。

車から身を乗りだして国旗を振り回し、クラクションを鳴らしながら大声を上げる大勢の人々に圧倒されました。

「日本では政権が交代しても、こうはならない。政治に対する感心度に日本とは随分差があるなぁ。」と思いました。

現在の日本の停滞した政治状況を作り出した原因の一端は国民の無関心にあろう事は間違いないと、熱狂のシャンゼリゼに立ちすくみながら感じたのでありました。