吉祥多聞天の館 【諸行無常】 -091018_150053_ed_ed.jpg


「かかか」は、呵々大笑(カカタイショウ)と同じく喜び笑う声です。
 


お地蔵様がありがたいご利益をたくさん授けてくださることを願い、感謝もしつつ唱えます。


「びさんまえい」とは、珍しい、不思議なといった意味です。


「おん」は帰依しますという聖語、「そわか」は成就しますようにという聖語です。

 

全体では、「すべての人々が喜悦する不思議霊妙なご利益をお授けくださる地蔵菩薩へ帰依します。その成就あらしめたまえ」となります。
 
 

ただし、こうした意味を考え「ああ、そうか」と思っても、生き方はあまり変わりません。
 


真言はあくまでも実際に唱えてこそ、その意義が発揮されます。
 


お大師様は「真言は不思議である。はたらきを知って唱えれば無明(ムミョウ)を除く」と説かれました。
 

私たちが真理に導かれず右往左往するのは、真理を生きるための柱とせず、我欲によって動くからです。
 


そうさせてしまう無明と呼ばれる根元的な愚かさを脱するには、知識を貯めるだけでなく、いのち全体をかけた実践が欠かせません。

 


お地蔵様は菩薩(ボサツ)であり、菩薩は智慧による慈悲行の実践者です。
 


お地蔵様の持つ智慧は、宿命無漏智力(シュクミョウムロチリキ)という生き死にの宿命と歴史を知る力です。
 


お地蔵様は、この智慧によって貧乏な人も、病気の人も、家運が衰退した人も、その苦のよって来たるところを観てお救いくださいます。
 


また、お地蔵様は手にした錫杖を聖なる音で打ち鳴らし、迷いの六道にいる私たちへ「目覚めよ」と呼びかけておられます。
 


そのお力にすがり、呼びかけに呼応するためには真言を唱えることです。

 

ずうっと唱えていると、聞こえている声が自分の喉から出ているだけではなく、自分のいのちを含むこの世全体が発しているような気持になります。
 


凡夫の世界とみ仏の世界の交感です。
 


こうした即身成仏体験を重ね、より「かかか」というお地蔵様の浄土へ近づきたいものです。