アート作品とは? | ミチュピチュ通信

アート作品とは?

今回は、「アート作品とは?」と言うテーマで書かせていただきます。





僕のアート作品としての定義は、作品が生きているかです。


この生きていると言うのは、大なり小なりどの作品にも当てはまるとは思いますが、


僕の言う定義とは、その作品から作者の魂を感じ作者と対話できる作品の事です。

歴史に残るアートの巨匠の作品からは僕はほとんどこれを感じます。


まるで生きている人間と対話するように、或いはそれ以上に分かり合えたエネルギ

ーを感じます。





僕はアートにのめりこんだのは高校に入ってからです。


それまでは、「人間とは?」「なぜ生きてるんだろう?」「死とは?」等の疑問を


常に持っていました。


何より「死」への恐怖がとても強かったのです。


たまたま僕は美術の成績が良く、周りにも進められて美術科の高校に行きました。


その当時は、僕の住む地域のアートが盛んで美術館でもとても優れた展覧会が


行われておりました。


そこで僕は、本物の対話できる作品達と出会ったのです。


それを知った僕は、「こういう作品を残していけば、死など怖くなくなるんだ!」


と気づきました。


それから、どんどんアートの世界にのめりこんでいったのです。







しかし現在の僕の住む「愛知」でそのような本物の生きた作品を展示している

美術館があるのでしょうか?


見た人が生きる希望を見出すような作品が展示されているでしょうか?


某世界的企業が繁栄しだしてから、美術は衰退してませんか?


「いいものは名古屋を素通り」とよく言われていますが・・・・・







僕が何故このような事を言いたかったかと言うと、現在行われている「あいち

トリエンナーレ」の出品作品が生きていないからです。

(全部がそうだとは、言いませんが)







僕はこの今回の「あいちトリエンナーレ」では、関係者の方へプレゼンを行わせて


いただきました。


しかし、大方の招待作家が決まった後という事もありお話はいただけませんでした。


それで、僕が目をひくような作品があればなにも問題はありません。


しかしまずあのポスターを見ても、とても10何億円かけたイベントには見えず、


僕の今年の個展のDMよりも弱いです・・・


関係者の方々の作品を見る目に疑いを持ちます。


「あいちトリエンナーレ」で生きた作品ありますか?








このような事を言うなら、募集枠を作ったのになぜ応募しない?


との声があると思いますが、枠を作ったのでは生きたアートは表現出来ません。


純粋に浮かんできたものを作品化したものが生きたアートです。


その観点から、これは誰々の作品だからとかあの有名な方の作品だからとか

と言う基準では作品は選べないのです。







巨匠の展覧会を見ても展示作品のレベルの上下はあります。


偽者では?と言う作品も一緒に展示されています。


それでその展覧会を企画した人の力量もわかってしまうのです。


公的なお立場であるならば、しっかりした見る目に基づいて純粋に判断していただ


きたいと思います。








今回の「あいちトリエンナーレ」については、純粋に現代アートを表現しているとは


思えません。


人間のいない世界を作ろうとしているかのようです。


これを現代アートだと言うところに怒りさえ覚えます・・・


「あいつらとは、もう関わりたくない」と言う声もありますよ?・・・









また「あいちトリエンナーレ」のために僕の母校の卒業制作展が縮小されると言う


話を聞いています。


拡大するならまだしも、将来のある一生懸命勉強している人達の展覧会をなぜ縮小


するのでしょうか?









お金ではなく、生きた人間のアートを見てください!









しかしながら、今回「あいちトリエンナーレ」を行おうとご苦労されておられる方々


には敬服しております。


どうか次回は、いい方向へ向かってほしいです!


取りやめと言うことにはなって欲しくないです!











最後に皆様へ、一部の人間の私腹を肥やす道具にならないでください!