皇国史観によれば足利尊氏後醍醐天皇の逆臣とされ 悪人の代表とされてきた。しかし 歴史を念入りに検討すれば決してそうではなく むしろ尊氏の節操なき優柔不断と政権維持のためのマキャベリズムが混乱を招いたと言えるであろう。目的の為には手段を選ばぬとするのがマキャベリズムの真骨頂であるが 北朝持明院系を皇統としながら 同母弟直義(ただよし)に対抗する為に南朝大覚寺系に降参するなどして政局を混迷させ 南北朝の混乱期を醸成した歴史結果を批難されるべきである。歴史は繰り返すと言うが 足利尊氏の失敗はそのまま自民党の過去に踏襲されており 自社さ、自公と称される政権奪取のためのマキャベリズムが現在の政局を作り上げ 直近までの政治戦国時代を捏造してきた。日本において政治を「祀りごと」とする以上 大和民族の持つ伝統文化と祭祀を離れた政治を政治と呼ぶことは出来ない。


 3流政治が奏でる狂想曲が垂れ流した自社さ政権は 自民党が主導してマルクスレーニン思想の持ち主である村山富市を首相に推戴した。この事件が如何に大和民族を侮辱したものであったかを自民党は反省し 二度と同じ過ちを繰り返さぬことを肝に銘じなければならなかったはずである。この失敗が自民党に対する国民の失望を買ったことで 後に次なる民主党政権を誕生させたのだが 鳩山由紀夫韓直人も村山富市に匹敵する偽和(ぎわ=偽日本人)であり 国民の更なる失望は消極的選挙選択によって再び自民党を浮上させたのが現状である。だが 社会主義思想を党是とする公明党と連立を組み 自公政権に固執して自主独立の道を歩めず 公明党に配慮し支那と南朝鮮の嘘に対抗出来ぬようでは いずれ元来た道を辿らねばならないだろう。尊氏は弓矢、直義は政道と揶揄されて失政を問われたように 政権中枢の2局が存在すれば政治は更なる混迷を生み 戦国時代に突入せざるを得ない。





※ 明日に続く