きよと十郎左衛門の面影求めて | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

泉岳寺には、梅が綻んでいた。

四十七人が語らうように、墓が並んでいる。

彼らが亡くなって315年。いまも線香が絶えない。

熱中しているドラマ『忠臣蔵の恋』が、明後日で最終回を迎える。

急に、墓参がしたくなり出かけてきた。

ここには、何度も来ているが、

今回は、ドラマの主役きよと磯貝十郎左衛門の面影を求めて行った。

 

ドラマは、

四十八人目の忠臣として討ち入りの成功を陰で支えた実在の女性がモデル。
磯貝十郎左衛門と愛し合ったきよ。

吉良家の内情を探り、浪士たちのために奔走する。

討ち入り後、十郎左衛門を失ったきよは、そこで立ち止まらない。

生き残った者の成すべきことのため、立ち上がる。

義士の遺児救済と浅野家再興のため、江戸城大奥への道を求めて歩き出した。

将軍家宣の眼にとまり、世継ぎを生み、ついに念願が・・・。

明後日、その念願成就が描かれるはずだ。

 

磯貝十郎左衛門は、14歳のとき、浅野家に側小姓として仕えた。

美顔で利発だったことから浅野長矩に寵愛され、

物頭側用人(150石)にまで引き立てられた。

だが殿中で刃傷に及んだ長矩は切腹を命じられ、

十郎左衛門は長矩の遺体を引き取り、泉岳寺に葬って、髻を切って仇討ちを誓った。

討ち入り当日、十郎左衛門は裏門隊に属して手槍を持って屋内へ突入した。

夜中だったため屋敷内は暗く浪士たちの進退は自由でなかったが、

機転を働かせて吉良家の台所役を脅して蝋燭を出させ、

それを各部屋に立てて屋敷内を灯した。

後の取調べで、幕府大目付はその機転を大いに褒めたという。

泉岳寺へ引き揚げる際に、十郎左衛門の家が途中にあったので、

大石内蔵助に病床の母・貞柳尼を見舞うよう勧められるが、固持したといわれる。

その後、十郎左衛門は細川家の屋敷にお預けとなる。

元禄16年2月4日、幕府の命により切腹。享年25。戒名は、刃周求劔信士。

十郎左衛門は、幼少から能や鼓に秀でていたが、

主君の長矩が芸事を好まないことを知りやめている。

しかし、琴だけはひそかに続けており、切腹後の遺品に琴の爪があったといわれる。

この琴の爪は、ひょっとしたら、きよのものであったかもしれない。

 

現実は現実として、25で命を散らせた若者に想いを馳せ、空想を巡らすことは自由だろう。

ドラマ『忠臣蔵の恋』も明後日で最終回。あぁ、終わらないでほしい・・・。

 

(磯貝十郎左衛門の墓)