大相撲秋場所が終わった。
大の里が大関に昇進し、貴景勝が引退するという、新旧の大関が交代する象徴的な場所になった。
徹底した押し相撲。愚直なまでの姿勢が好きだった。
多くを語らず、言い訳をしない姿は、まさに武士道に通じるものだった。
勝っておごらず、負けて腐らず。感情を表に出さない自らの相撲スタイルと美学を貫いた10年の土俵人生だった。
気概を持った力士が土俵を去るのは寂しい。
秋場所初日を3日後に控えた今月5日。
稽古を終えた貴景勝が、掃除する若い衆を見つめながら、
ポツリとつぶやいたそうだ。
「この子たちが相撲界の未来だから」。
場所前は首の痛みで相撲を取る稽古ができず、ぶっつけ本番だった。
現役最後の取組みは、埼玉栄高校の後輩でかつての付け人、元横綱大鵬の孫の王鵬。ここでも「未来」への期待がうかがえた。
大関昇進の伝達式で「武士道精神を重んじ」と口上を述べた。
入門時の師匠、貴乃花親方の「貴」と、戦国武将上杉景勝の「景勝」を合わせたしこ名。本名の「貴信」の「信」は織田信長が由来。
武士にまつわる名の通り、敗れても「弱いから」と言い訳はしなかった。
義理堅さも武士のようだった。
貴景勝は、21日、東京・両国国技館で引退会見に臨んだ。
10年間の現役生活を終え、すがすがしい表情で振り返った。
「小学校3年生から横綱になることだけを夢見てやってきたが、横綱を目指す体力と気力がなくなった。けがあっての自分なのでそこで力を出せなかったのはもう終わりだなと思った」と引退を決断した理由を話した。
およそ10年間の土俵人生を振り返り「横綱になることだけを考えてきて、手をいっぱい伸ばしてきたが届かなかった。燃え尽きた。すばらしい相撲人生を歩ませていただいた」とも語った。
最も印象に残っている相撲については、大関昇進を決めた平成31年春場所の千秋楽で大関 栃ノ心と対戦した一番を挙げた。
「やるかやられるかの勝負だったので、前の日に『自分の人生が決まるな』と思って臨んだ一番だった。自分との戦いに打ち勝てたというのが自分の誇りです」と話した。
今後は湊川親方として後進の指導にあたる。
「今の時代には不向きかもしれないが、武士道精神、根性と気合を持
った力士を育てていきたい」と抱負を話した。