「中小企業診断士とは何ぞや?」

 実際、『私』は数ヶ月前までそういった名称を聞いたことはあってもイメージしたことは皆無であった。勉強してみようか、と思い立った今も具体的なイメージは何一つ掴めていないといえよう。
 書店で資格解説本などをさっと流し読みしてみたところ、良く言えば『経営コンサルタント』、ひらたく言えば『企業のよろず相談所』といったところか。

 例えば、あるHP(会社)を開設したとする。ところが高額なHP作成ソフトや素材集を購入(設備投資)して作り上げた割には思うようなアクセス数(売上)ではない。内容(商品)もまずまずの出来なのに。どうしたらアクセス数が増加するのか?管理人(経営者)は悩む。
 そんな時に登場するある人物X。Xはこういった悩む管理人にアクセス数増加のためのノウハウをアドバイスする。
「画面は見やすいか?フレームを多用したり、必要以上に広告バナーをつけていないか?」(ディスプレイ構成)
「想定訪問者(想定消費者)層と考えられる人々に受け入れられやすいデザインか?例えば高年齢層をターゲットにしたHPであるのに原色のみでJAVAを多用したデザインではないか?」(市場調査)
「新鮮味のある内容かどうか?また、今後新たにコンテンツを増やすかどうか?」(新規事業開発)
 管理人はXのアドバイスを検討し、HPに改良を加え、さまざまな案件に配慮した結果、アクセス数が向上した。
 このXが、言わば『中小企業診断士』の役回りだと、『私』は認識している。

 こんな具合であるので、現在のところ、『私』は中小企業診断士に熱烈な思い入れはない。中小企業診断士になりたい、というよりも中小企業診断士試験を受験してみたい、というのが本音である。

        *****************************************

 現在、『私』は社会的な区分から言うと、派遣社員である。
 派遣会社(派遣元)の請負先(派遣先)に出向して契約期間勤務する。契約が終了したらまた別の派遣先(派遣先)に勤務する。従って派遣先の会社が契約を打ち切れば、また、派遣元からその後仕事を回されなかったら、否が応でも勤務できなくなる≒失業する、という極めてドライな雇用関係にある。
 幸い、現在の派遣先(『私』にとって今回が初めての派遣就業である)は長期勤務を希望してくれていることもあり、すぐさま路頭に迷う心配はないのだが、数年後、ある程度の年齢(目安は30歳前後らしい)に達したときに新しい派遣先を斡旋してもらえない、という現状を考えると、自分の市場価値をなるべく高く、幅広いものにしておきたい。そのための自己啓発の一つが、資格取得なのである。

 さて、話は数ヶ月前にさかのぼる。
 現在の派遣先の上司は、上に記述した派遣社員を取り巻く状況をよく理解しているからであろう、自己啓発に熱心な人間である。聞けば上司自身、転職を繰り返す傍ら、仕事の内容を中心に、関係する資格など身につけられるものをどんどん身に付けていったという。一流企業の正社員だからといって安穏と出来ない現代では、こういった向上心溢れるタイプの方が適応しやすいように感じる。
 実はさらにさかのぼること半年、その上司が開いた簿記の勉強会に『私』も参加していた。同期入社の派遣社員が経理関係の補助業務を担っていたためで、つきあいと好奇心半分で同席したものの、販促・広報関係の補助業務に就いている『私』にとってはあまり興味がわかなかった。その頃、HP作りをしていたために関心がそっちへ向いてしまったことも原因だと思う。結果、簿記試験は落第し、『私』は(表向き、勉強と称して)会社のHP作成ソフトを拝借していたためそれまで以上にWeb関係業務の比率が増すようになってしまった。
 以上の件で、上司はどうも『私』には新規事業の立案や簡単なシステム構築など企業の経営全般に言わば“広く浅く”関わる『中小企業診断士』のほうに適性を感じたようである。
 無論、実際その資格が取れる取れないかはこの段階では別問題だということを付け加えておく。

 『私』が、がむしゃらに勉強してみる対象として中小企業診断士資格を挙げたのは、こういういきさつがあったからなのだ。

        *****************************************

付記

 上記のようないきさつで、中小企業診断士受験を志し、学校へ通い始めて数ヶ月になるが、現在のところは至ってのんびりと講義を受けている状態だ。が、10月現在、第1次試験まで残すところ10ヶ月となっている。中小企業診断士取得の目安となる勉強時間は1000時間と言われており、そろそろ本腰を入れなければいれないな、と思う今日この頃である。
 なお、『私』の(お世辞にもほめられない)勉強の様子については、また後日、述べてみたいと思う。
AD
(お断り:今回のエッセイは、以前掲載していたBBSからの再録分です。なお、以前はこのエッセイが初回でした)

「どうも、お久しぶりです。
本日○月×日、資格と○○(□□出版)に私の記事が掲載されました。
特集記事の第一位の所です。よかったら読んでみてください。」
(※雑誌名、出版社は仮名である)

 ある日突然『私』のメールボックスに上記のようなごく簡素な文面のメールが舞い込んできた。
 一瞬、「また迷惑メール?」と削除キーに指が伸びたが、差出人を見て慌てて手を止めた。
 それほど、差出人とはご無沙汰だったのである。

 差出人Nは、『私』の学生時代からの友人でかれこれ7、8年の付き合いになる。
 イギリスの語学学校に通っていったときに知り合い(丘の上から歩いてきたNに声をかけたのがきっかけなのだが、仲間内では未だに“逆ナンパ”と言われる。そんな色気のあるものじゃあない)、帰国後も互いにいろんな夢を語り合った仲なのだが、ここ数年はすっかり疎遠になっていた。
 大学を卒業し、就職し、環境が変わり、それぞれ価値観がずれてきたのだろう。
 いや、もしかしたら彼はそのままで、『私』が現実との折り合いをつけていっただけなのかもしれない。良い意味でも、悪い意味でも。

 とにかく、仲間内でも「ほう(報告)・れん(連絡)・そう(相談)のないヤツ」として有名なNが、今は何をやらかしているのか。
 『私』はそうした興味9割・期待1割という構成比の心境をかかえて書店へ行った。

        *****************************************

 特集記事第一位、と言うから「どれだけデカデカと記事が載っているんだろう」と思ったが、なんてことはない、“今一番人気のある資格(今回はTOEICであった)”をどの方法(学校)でマスターしたか、という各種資格学校の広告塔の役割を果たしていただけだった。この時点で『私』の1割の期待は限りなくゼロに近づいている。
 が、ページの上半分、そこのさらに三分の一ほどを占めるNのコメントを読んだとき、不思議と顔がほころぶのを止められなかった。

「頑張っていたんだなぁ」
 『私』は素直にそう思った。

 Nは、学生時代から公認会計士をずっと目指していた。日本の公認会計士から米国公認会計士へ目標の修正はあったものの、基本的なスタンスは変わらなかった。そのために回り道を経験することも少なからずあったと思う。受験のためにあえて留年したことがあった。超氷河期に得たせっかくの職を手放したこともあった。そんなNの生き方を、学生時代は共感していたものの、『私』はいつの間にか彼を「ただ単に不器用な種類の人間」だと位置付けるようになっていた。いつかは夢と現実に見切りをつけて、こじんまりまとまってしまうのだろう、そう思っていた。

 しかし、そのささやかな記事から、現在もNはその目標を捨てていないことを知った。
 スコアアップしたTOEICを武器に、会計士が身近にいる職場に転職を果たしてもいた。

 遠回りしているようで、Nはまっすぐに歩いていたのだ。
 一歩一歩着実に踏みしめながら。

        *****************************************

 今の生活には満足している。
 仕事にもやりがいこそあれ不満はない。
 しかし、何かの目標へ到達するために自らがむしゃらに動き回るということはない。
 『私』にはNがまぶしく映った。

 なぜか、がむしゃらな自分を取り戻してみたくなった。
 書店から帰る道すがら、『私』は数ヶ月前の上司の一言を思い出していた。


「君、中小企業診断士の勉強をしてみたら?」

AD
 『彼』は、いつも背筋を伸ばして正座していた。
 『彼』がいるだけで、空気がピンと張り詰めた。
 たった一つ歳上なだけなのに、この差はどこから来るのだろう、と『私』は不思議でしかたなかった。

 そして数年経過した今。
 『彼』は逝き、『私』は生きている。


        *****************************************


 『私』の最近の日課は、いわゆる自己啓発本を読むことである。
 中小企業診断士資格試験への準備段階である、スタートアップ講座の前半が終了し、財務・会計まではそこそこ続いてきた早朝の勉強が、すっかりおざなりになりつつある。おそらく、最も手強いと覚悟していた財務・会計が思ったよりも難しくなく(あくまでスタートアップ講座でのレベルだが)、すっかり気が抜けてしまったのだろう。電車の往復でテキストを開いても船を漕ぐばかりという情けないありさまをなんとか打開しようと、図書館で片っ端から借りあさってはモティベーションを上げようと努力している。
 この週末に借りた本のなかに、辛辣なコメントで有名な田原総一朗氏の著作が含まれており、本日の電車通勤の友はその本であった。

 ひとかどの人物のメッセージにはやはり少なからぬパワーがあるのだと思う。
 ほんの一昔前まで理想とされていた「国立大卒、一流企業入社、終身雇用」というキーワードには片っ端からそっぽを向かれたものの、自身の愛すること(彼にとってはすなわち仕事なのだが)を追求した結果、充実した人生を過ごしているという田原総一朗氏。団塊ジュニア後期世代の我々は、就職率が「超氷河期」の時代に社会に放り出され、いやでも危機感を持って日々を過ごさざるをえなかったためか、彼のそうした生き方には共感するところが多い。
 が、今日、印象に残ったのはそうした彼の成功哲学ではなかった。
 文中にふと出てきた親友の死についての描写が、『私』にある思い出と共に、自分への問いかけを呼び起こした。


        *****************************************


 『私』は小学校から高校卒業するまで、地元の寺子屋仕立ての英語塾に通っていた。
 年齢(学年)を問わず、教室はいつも活気に溢れていた。
 好きなときに勉強しに来て、好きなときに帰るという、塾というよりも先生付きの自習室、と言ったほうがいいのかもしれないが、とにかくマイペースな『私』にはもってこいの場所だった。
 基本的に『私』は、それが成績に結びつくつかないはあるものの、語学が好きだし、勉強も好きなほうだ。しかし、残念なことに、ちょうど小学校から中学校という世代は勉強好きというのは極めて“ダサく”、場合によってはいじめに遭いかねない。したがって、英語塾でも友達とわざとおどけて騒いだり、勉強が嫌いなフリをしては先生にたしなめられていた。

 しかし、そんな『私』(また、一緒に通っていた友達)でも、「わっ、今日は静かにしておこう」と思う日があった。
 『彼』が来ている日だった。

 『彼』は、勉学に畏敬の念を払うかのように、背筋をただし、正座で机と向き合っていた。整った容貌に、理知的な眼鏡をかけ、手垢ですっかり分厚くなった辞書をいつも丹念にたどりながら勉強していた。『彼』がいるだけで、まるで塾が神聖な場所になったかのようだった(正確には、「まるで静かなお寺の広間みたい」というのが当時の『私』の印象だ)。どんなお転婆娘も、腕白小僧も、『彼』がいる時はきわめてお行儀良く勉強していた。『彼』がたった一つ歳上だと聞かされたとき、『私』は心底驚いた。
 中学校を卒業しても、学区でトップの高校へ進学した『彼』はその雰囲気を維持し続けた。時折、先生の手が空いていないときなど、『彼』に勉強を見てもらったこともあるのだが、先生以上に緊張したものだ。
 先生の話では、成績優秀なのはもちろんだが、バスケ部のエースで、文化祭のミュージカルでは主役を務め(確か「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐と聞いた)、その傍らでヴァイオリンを嗜むという(付け加えれば、『彼』の姉上は宝塚の元娘役トップスターだった)、非の打ち所のない人間で、当時の『私』は「天は二物を与えず」はウソだな、と、尊敬と羨望と、少しばかりのつまらなさも感じたものだった。
 その後、小学校教師を目指して旧帝大系への進学を勧める周囲をよそに某国立教育大にトップの成績で合格した彼は、(おそらく順調に)教員採用試験に合格し、子供たちに慕われている、と、先生は誇らしげに『私』に語った。

 そして、数年。
 大学を卒業し社会人2年目のころ、突然、先生と日ごろから親しくしている母から、『彼』の死を聞かされた。


        *****************************************


 死因は、心筋梗塞だったという。
 体育の授業中に意識を失い、そのまま眠るように逝ったらしい、と後日先生はポツリと『私』に言った。


 なぜ、あの『彼』が亡くなったのだろう?
 あんなに恵まれた、輝かしい未来を約束されたかのような『彼』が、どうして亡くならなければならなかったのだろう?
 『彼』よりもつまらない人間なんて五万といるのに、なぜ『彼』なのだろう?
 なぜ、平凡な『私』が生きているのに、あんなに人望を集めた『彼』が亡くなったのだろう? 
 『彼』ほどに『私』は生きている価値があるといえるのだろうか・・・?

 『彼』の死を聞かされた翌朝、会社までの道のりが異常に長かったことを今でも鮮明に覚えている。

 『彼』とは塾でたまに一緒になるくらいで、全然親しくもなかったが、尊敬していたし、ある意味目標でもあった。いつか、もっと大人になって、親しい友人になれればどんなに素晴らしいだろう、とも思っていた。だから、ショックだった。
 『私』は『私』なりに『彼』の死の意味を消化しようと何度も自問自答を繰り返した。それが、『彼』に対する『私』にできる最大の供養になるような気がして。


        *****************************************


 『彼』が亡くなって、数年が経つ。

 今も、こうして読んだ文章のちょっとしたところに、『私』は『彼』の死を思い出す。
 そして、その度に、なぜ『彼』は逝き、『私』は生きているのだろうか、と自問自答する。

 その問いには今も答えを見出すことはできないが、このことを思い浮かべるたびに、『私』は『彼』に恥じない生き方をしようと決心する。
 そして、自分や自分をとりまく全てを前向きに見つめようと思う。
 『私』にとっての『彼』の死の意味は、案外そんなところにあるのかもしれない。


 そういえば、生前、『彼』が大学生のころに一度だけみんなでテニスをしたことがあった。
 高校時代まで人を寄せ付けないような雰囲気だったが、大学生の『彼』は以前と比べると格段に親しみやすく、塾の中学生たちも慕っているのを見て、『私』は少し不思議な気分でプレーを楽しんだ。後日、先生から『彼』が『私』を見て「きれいになった」と感心していたという話を聞いて、素直に嬉しかったことを覚えている。
 『彼』の死は、まさに「神様に愛でられた」という表現がピッタリだったな、と思う今日この頃。
 今年のお盆も終わりである。
 
AD
「人は、変わらない。変われるのは、自分である。」

 こうした日経新聞のコラムを読んだのは、かれこれ4年前のことになると思う。確かこの時期だった。

 6月も半ばを迎え、春から新生活をスタートさせた方々にとってはようやく一段落つく時期であると同時に、その生活がもたらすストレスや閉塞感を打破できず鬱々と日々をすごす時期でもある。特に、この春から新社会人になった方々はその傾向が顕著であろう。無論、数年前の『私』もそうだ。新卒で就職したのは2000年春、某準大手証券会社の営業職である。ただ、付け加えて言うなら、『私』の場合、大学前半を夜間部で過ごしていたため、昼間はアルバイトとはいえシステム関連の一般企業で2年近く働いていた経験がある。それゆえ「どの会社もそんなものだ」という新社会人に対する通り一辺倒の指導に対して「転職経験もないのにどうしてそんなことが言えるのだ?」と反発してしまうという、タチの悪い新入社員でもあった。

「人は、変わらない。変われるのは、自分である。」 
 最初に読んだときは、「当たり前だ」と思う半面、正直納得できなかった。
 高圧的な上司、悲観論と愚痴ばかり出る先輩や同期、強制義務的な長時間のサービス残業・・・・・・こうした環境を変えるべきだと、愚痴ばかり言うくらいなら上司と正面きって喧嘩でもするべきだ、とそう固く信じ込んでいた。
 とはいえ、『私』自身、必要以上につっぱねていた部分は自覚していた。“自分らしさ”を認めさせようと躍起になっていたのだと思う。
 だからこそ、こんな当たり前のことを綴ったコラムが、妙にひっかかったのだろう。

 その後も『私』はたびたび上司や先輩と衝突した。が、自分は間違ったことを言っていない、と思う反面、あのコラムが脳裏にちらついて離れなかった。「人は変わらないが、自分は変えられる・・・」「・・・つまりは自分が変わったら人も変わるのだろうか?」そんな自問自答の日々が続いた。
 自分を変えるということがどういったことか掴めないまま、今の自分にできることをずっと考え続けた。 
 新人だからもちろん収益面は期待されていない。だが、皆が快適に楽しく仕事をできる環境づくりなら、今の自分も貢献できるのではないだろうか。
 そう思い始めたのはいつ頃かは覚えていない。
 しかし、今振り返ってみると、それが「自分を変える」ことにつながったように思う。

 皆が快適に楽しく仕事をできる環境づくり、などと大きなことを考えているが、実際の行動としては、笑顔を絶やさない・挨拶は大きな声で元気良く・叱られてもめげずに前向きに受け止める・客先で会社の悪口は言わない、等々、ごくごく当たり前のことをしていたに過ぎない。
 当たり前のことだが、意識的に行動することによって、仕事に対する主体性が生まれてきたのは事実である。
 例えば、残業も「無理矢理残らされている」ではなく「これだけ仕事が積み上がってしまったため自ら残っている」、上司と衝突しても一方的に反発せず自分の中での改善点を考える(さすがにそういった謙虚さを表面から出せるほどの素直さは持ち合わせていなかったが)方向へ受け止めることができるようになった。
 また、快活に営業することによって、「君の営業は聞いてるほうも面白いし、楽しい」と周囲に言われたらしめたもの。「新人ががんばってるんだから、ここらで僕らもふんばってみるか」となるのが人情だ。
 不思議なことに、そんなささやかな心がけを実践してから、『私』を取り巻く環境は、異動や退職などの偶然も重なって、徐々に自分が思い描いていた“明るく楽しい職場”へと変化していったのだ。
 
 思い描いていた職場になったという達成感と、全く異なる業界で働いてみたいという好奇心から証券会社を退職してあと数ヶ月で2年になるが、今でも上司や先輩・後輩などからはこまめに連絡が来る。『私』にとっても非力ながら全力で取り組んだ分、愛着のある職場だ。
 4年前、あのコラムに出会わなかったら、どうなっていたのだろう。
 自分を変える、ということについて真摯に考えなかったら、こんな風になれただろうか。

 だから、今、現状に悩んでいる新社会人の方は、状況から逃げる前に一度自分自身を振り返ってみてほしい。
 今なら自信を持っていえる。「人は、変わらない。変えられるのは、自分である。」と。
 そして、もう一つ。

「自分が変われば、人も変わるのだ。」と。



 学校が始まった。
 言うまでもないが、中小企業診断士資格取得のための資格予備校である。

 中小企業診断士はもともと国や地方公共団体(都道府県や市町村など)が民間の中小企業に融資もしくは援助額などを決定する際に、対象企業の経営状態を把握するため派遣されたきわめて公務員色の強い資格(実際、以前は公務員の比率が高かったらしい)だったが、数年前に施行された試験内容の大幅な改正によって、経営コンサルタントの国家資格として脚光を浴びているらしい。ウワサでは難関かつ人気のMBA(経営学修士)に近い形の勉強が必要だという。
 資格ブームの昨今、各種受験機関がそれに乗らない手はない。大手資格予備校から現役中小企業診断士の個人指導まで、通学・通信といったオーソドックスな学習方法から果ては動画のウェブ講座まで、実に多種多様の選択肢が並べたてられているのだ。これだけ選択肢が多いと、逆に勉強する機会がないなどと言い訳ができないというのがツライところだ。

 さて、学生時代から大手受験予備校(もしくは大手進学塾)という形式の学校にマトモに通学した経験のない『私』だが、今回の資格受験に関しては比較的あっさりと通学を決めたように思う。社会人になってからも独学や通信教育でスキルアップを図ったものの、仕事を理由にすっかり怠けグセがついてしまい、ほとんどモノにできなかったという苦い経験を踏まえてのことである。なにより、中小企業診断士講座に関しては、意外と通信教育も通学同様の費用がかかるのだ(これには驚いた)。
 もう一つ、新たな人間関係を構築する機会を欲していたためである。いわゆる『学習仲間』だ。特に今回のような試験まで1年以上という長丁場では、一人ではモチベーションを保つ自信がない。

 学校を選定するにあたって、ポイントとなるのは『私』の場合、

①実績対費用のバランス(費用は高すぎず、実績は低すぎず。一コマあたりの授業料を考えると案外NO○Aなどよりも安かったりする)
②自由に振替受講ができるかどうか、欠席時のフォロー制度は充実しているか(社会人としてはここは外せない)
③交通の便(仕事を終えてから出席するので会社に近く、時間にゆとりのあるほうが良い)
④自習室の有無(活用する機会があるかはわからないが、自宅では誘惑も多いし図書館は基本的に自習禁止)
⑤講師の相性(講義があまりに眠い講師では、勉強効果も半減)
⑥開始時期(すでに開講済みだとビデオなどで追いつかないといけないし、あまりに開講が遅いのも今のヤル気をそいでしまう)

と多岐にわたっていたため、老舗の資格学校から大手資格予備校まで6校ほど資料をとりよせ、そのうち3校の学校見学会へ参加した。

 最終的に『私』が選択したのは、大手資格予備校のT○Cであった。
 何事にもあまり大手好みではないのだが、今回は①~⑥すべてのポイントを一応網羅していたのと、大手だけあってレジュメの進み具合や講師による指導内容のムラがないようある程度統一されていることに安心感を覚えたことが決め手である。
 さすがだと思ったのが、いわゆる『教育』だが『サービス』を強く意識している点だ。講義内容を「教える」というよりも「提供する」に近い。実際、中小企業診断士の体験談などでこうした「教育サービス業」としての概念を持ち込むことによって、学校改革に取り組んだ事例があるらしいが、今後は公立の小・中・高校などでもこういったスタンスが必要になってくるのかもしれない。


 ひとまず、講座が開講して2週間。
 『企業経営理論』から始まったため、会社勤めの人間にはとっつきやすい分野でもあり、なかなか勉強は楽しい。
 問題は、再来週から始まる『財務・会計』なのだが・・・・・・。

延びあくびせよ

テーマ:
 延びあくびせよ   フランシス・ヴィエレ・グリフィン

延(の)びあくびせよ、傍(かたはら)に「命」は倦(う)みぬ、
――朝明(あさけ)より夕をかけて熟睡(うまい)する
  その臈(ろう)たげさ労(つか)らしさ、
  ねむり眼(め)のうまし「命」や。
起きいでよ、呼ばはりて、過ぎ行く夢は
大影(おほかげ)の奥にかくれつ。
今にして躊躇(ためらひ)なさば、
ゆく末に何の導(しるべ)ぞ。
呼ばはりて過ぎ行く夢は
去りぬ神秘(くしび)に。

いでたちの旅路の糧(かて)を手握(たにぎ)りて、
歩(あゆみ)もいとゞ速(はや)まさる
愛の一念ましぐらに、
急げ、とく行け、
呼ばはりて、過ぎ行く夢は、
夢は、また帰り来(こ)なくに、

進めよ、走(は)せよ、物陰に、
畏(おそれ)をなすか、深淵(しんえん)に、
あな、急げ……あゝ遅れたり。
はしけやし「命」は愛に熟睡(うまい)して、
栲綱(たくづぬ)の白腕(しろただむき)になれを巻く。
――噫(ああ)遅れたり、呼ばはりて過ぎ行く夢の
いましめもあだなりけりな。
ゆきずりに、夢は嘲る……

さるからに、
むしろ「命」に口触れて
これに生(う)ませよ、芸術を。
無言(むごん)を祷(いの)るかの夢の
教をきかで、無辺(むへん)なる神に憧(あこが)るゝ事なくば、
たちかへり、色よき「命」かき抱き、
なれが刹那を長久(とは)にせよ。
死の憂愁に歓楽に
霊妙音(れいみようおん)を生ませなば、
なが亡(な)き後(あと)に残りゐて、
はた、さゞめかむ、はた、なかむ、
うれしの森に、春風や
若緑、
去年(こぞ)を繰返(あこぎ)の愛のまねぎに。
さればぞ歌へ微笑(ほほゑみ)の栄(はえ)の光に。

(『海潮音』上田敏 訳 より)


 このエッセイは、2003年の終わり頃から自設のHPにて公開していた『ノビアクビセヨ』というコーナーに連載いたものを一部再掲載しております。したがって、当初数本のエッセイには時間的に合わないものが含まれていることをご了承ください。

 ブログタイトルは、私の大好きな詩集『海潮音』からの引用です。