多くの皆さまから私の入院について励ましのメッセージとかコメントをいただきました。

本当にAmebloの会員の皆様はとても温かく気遣いを示される方ばかりです。

私も今度は病気などでもし治療。入院されてる方には温かい言葉とか励ましのメッセージを差し上げたいと思います。

徐々に回復していますのでまた皆様のためのブログを作って行きたいと思います

本当に有難うございました。


暮も押し迫った12月6日から28日まで鎌倉市の湘南鎌倉病院に入院するはめとなってしまいました。


96歳になる母の糖尿病に気をつけながら10年間の介護の疲れが尾を引いていたのか救急車で病院に、救急措置で心臓に水が少したまっていることで、喘息の点滴と吸入で2時間で帰れると思っていたら、医師からすぐ入院してくださいということで酸素濃度が低いので酸素吸入を受ける身となってしまいました。


私は「一回家に帰って電気も消して着替え、メモ帳いろいろタクシーで持ってきたいけれどすぐ折り返して入院するから」と医師に話したが、「それよりすぐ入院の方が大切です」といわれて3時間後4階の東病棟に移りました。

幸い軽い心不全だった4階に上がる時はもう酸素を外されて着のみ着のままで病院が用意した病衣に着替えさせられて6人部屋の一員となってしまいました。

でも当夜の食事は認められず栄養剤の点滴、顔、足がむくんでいるので利尿剤の点滴でトイレに行くのにも看護士が付そってくれる情けない姿となりました。


一番つらかったのは9時の消灯でした。普通私は宵っパリです。読書をしたり、新しい短編小説を書いたり新しく備えた20インチの地デジ液晶テレビはBS・さらにスカイパーフェクトTVを含めると実に65チャンネルを見ることができます。

そこからまた小説、シナリオの材料をメモしたり、Amebaブログの来訪者にペタをお返しすると有に午前2時を過ぎることがあります。


2時から朝9時まで寝れば7時間それで時間的にいいではないかと思ったのがいけなかった。体の中の体内時計がすっかり狂ってしまい病気の一因を作ってしまったのです。


9時の消灯、我慢してじっと目をつむった。最初の内はきつかったが4日間も過ぎると眠れるものです。でも利尿剤が効いてきて夜中5度も起きてトイレに行きました。

しかしもう4時くらいかと思って時計を見るとまだ12時過ぎで、「うえっ、まだ6時間あるよ」と思いながらベッドに戻り、しばらくは起きていてベッドに入る、そんな生活を続けているうちに、カーテンから夜明けを思わせる午後6時、部屋の電気が点き、優しく微笑んだ看護士が脈拍、酸素濃度、体重を量りに来るのです。


なんとさわやかな目覚めでしょう、それは言葉に出しつくせない快適さでした。

ここではじめて夜遅く寝ても7時間寝れば大丈夫だろうと2時から朝9時まで7時間寝ていた愚かさに気がつきました。


それから朝のTVを見ます。病院にはTVカードがあり、見た時間にしたがってカードで観れる時間も減るのですが、ここは100円で1時間30分、1000円カードですので10時間30分も見れるのです。退院して残りの度数は精算できますし、患者へのサービスが行き届いています。


6時30分お茶が配られて7時地下の売店の入り口にある新聞販売機で毎日新聞を買って読む、これが私の日課となりました。


7時から楽しみの食事が運ばれてきます。心不全患者には塩分一日5G、減塩食が2日目から食べていいということで私も食べました。

ちなみにメニュは

◎ご飯、七ぶかゆ

◎たらのクリームソース煮

◎春雨ときうりの甘酢和え物

◎かぼちゃの煮物2個

◎牛乳 私はヨーグルトを希望


ほとんどが塩を使っていませんが、多くの香味料、調味料を使っているので実においしく食事が食べられるのです。

入院3週間を通じて・ぶり・鯛などの白身魚、鶏肉に統一されていました。

まさに味の魔術と思いました。

そして徹底しているのは、この料理を作った調理師がやってきて一人一人に料理の感想、希望などを聞くのです。

さらに退院後の減塩食の食事指導までやってくれるのです。


さて、朝6時から夜9時までの消灯までは実に長~い時間です。

物書きの私はさっそくノートを買ってきてブログに掲載した「浦島竜太郎物語」後編を書きました。

さらに青山シナリオセンターの宿題「帽子」を新しく書きました。

ぼけ防止のために形状記憶しているかどうか、ノート2ページを使って東京管内鉄道線路地図を書いてみました。

これが珍しかったのか、いつも巡回にやってくる看護士さん、お医者さんの評判になって「あなた、凄いね、ぼけどころかこんなもの正確に覚えているなんて」と言われて親しくなることができました。

次に電車の顔と言うことで全国JR・私鉄の最前部の顔を書いてみました。なんと65種類まで書けるのです。

これで完全に頭脳のほうは自信を得ることができました。


そのうち病室内でお友達ができました。一人はFさんといって高校の数学の先生をやられた方で74歳、この方は丁寧に250枚もの年賀状に肉筆で丁寧に宛名を書いておられました。もう一人は部屋のカーテン越しでYさんが直接話しかけられた80歳の方でした。年齢が近いのでお互いに共通の話題が持ててとても楽しく過ごせました。


病院生活で一番うれしいのは医師から入浴許可が出ることです。それまではペーパータオルで顔、体、足を拭きますが不完全で拭いた気持ちになれません。

「入浴していいわよ、タオル持ってくるから」嬉しい看護士さんお言葉です。これは同時に退院まじかしのしるしともなります。

病室一角の通路に入浴室は、あるのですが、病院とは思えない広々とした入浴室に

西洋式の大きな浴槽、シャンプーからボディーシャンプー、櫛も数種類そろっていて部屋に入ると病院を忘れるほどの立派な入浴室です。

久しぶりに前もってシャワーを浴びて足を思い切り伸ばし体全体を思いきって伸ばしてお湯を変えたばかりの大きな浴槽に身を任す、思わず歌が出てきます。

究極の素晴らしい患者サービスです。


病院ではかなり頻繁に血液検査が朝6時に行われます。80に及ぶ項目の数値を医師は追いかけているのですが、ある数値が非常に高いときは、たとえば肝機能とか膵臓機能が疑われて、考えてもいなかった肝臓、膵臓から胃腸の小腸、大腸に至るまで追加のCT検査がありますが、ここでがんとかポリープが見つからないか、このときだけは心配で神に祈ります。

結果的には一時高かった数値もワーファリンが悪さをしていたことがわかり難なきを得ました。

考え方によっては安心です。


またこの病院は看護士さんが暇な時には入院しているすべての患者に親しく話しかけてくるのです。ちなみに可愛い猫ちゃんの写真を飾っていたある人には猫のことを詳しく聞いたり、私の場合は韓国語をどれだけ覚えているか、暗記してるノートを発見、韓国語やってるのと言うので、私は

カノサシ・チョンマル・キョウル・アン・アチム・イッソヨ

看護士さん、今日は本当に熱もないよ

と話すのですが、じゃ、この意味知っていると質問してくるのです。

きけば大学時代、韓国語を選択したとか。


また私には5年前入院した時、「愛は時を越えて」を書いて退院後、お世話になったお礼に本を差し上げたので見てねというと、知りませんでした。病院での記念の本誘臆読んでみたいとこんなところからも親近感が出てきて入院生活がそれなりに実に楽しくなるのです。


こうして約3週間暮もいよいよ押し迫った12月28日、医師、看護師から「よかったですね、十分気をつけてくださいね」という言葉をあとにして病院を去ることができたのですが、久しぶりに親しい仲間に逢って、マックでなにか食べようということでマックドポテトフライ、それに珈琲を飲みました。数日はおにぎり、お弁当で過ごし、それから減塩食メニューを作ろうと、翌日鳥のから揚げ弁当を食べたら、腹痛が起こり便秘から下痢になってもう8日目になろうとしているのに腹痛は治まりません。


どうやらテレビで言っていた新型インフルがいま一段落しているが変わって冬の胃腸ウイルス、ノロウイルスがはやって腹痛の人が多くなっている。

私の場合、胃はまったく以上ありません、でもお粥の食事、1週間は普通のご飯でしたが食事は油っぽいおかずは病院食で出ませんでした。

なんとうかつなことをしたことか、最初はお粥から始めるべきでした。


75歳の壁が大きく立ちはだかってるのです。

直るのにさらに1週間かかるようです。

ご同輩の方、どうかくれぐれももし病院入院後退院された方は気をつけてください。

あのお腹に優しい病院食を懐かしんでいるのですから。

これで病院入院日記は終わりです。