坂本 : 『イラストレーション』からの依頼で、高橋ユキヒロ氏と坂本が喋ります。では、音楽について。
坂本龍一(27才): 《教授》の異名を持つ、若手ダントツの名アレンジャー + キーボード奏者。東京芸大では、国費を使ってシンセサイザーと遊んで来た!? 若い女性に人気バツグン。
高橋 : いきなり音楽について喋るんですか?(笑)
高橋ユキヒロ(27才): なんと!武蔵美基礎デ中退の過去を持つ、ファッション・デザイナー(ブリックス主宰)であり、ミュージシャン(ドラム担当)。両方とも第一線でやってゆきたいと。
坂本 : じゃ、イエローマジックオーケストラ(YMO #①)についてでもいいや。まず、イエローマジックとの関係ね、「美しい日本と私」みたいな感じで。
高橋 : 「美しい日本と私」ね。関わり … 合い …… えー …… Pause !(「テープを止めて」の意味)
坂本 : だから、今やっていることを概略的に述べよ。
高橋 : まず、関わり合いね。これはまぎれもなく、坂本龍一くんと細野晴臣さんとの出会いであると。
坂本 : ま、それはいいんだけど。どういう音楽なんですか? 今やってるのは。
高橋 : 僕にとってはですねえ、例えばね、2000年代があるでしょ、もう近いじゃない。
だからポップスでもさ、例えばドラムはこうだとか、ここにベースが入ってくるだとか、色んな形態がある訳だけど、そろそろ違う形態の何かをやりたいなと。
こう思っていたときに、ちょうどこのグループがありまして。そこに、僕はただポップスの心で入っただけなんですよ。(笑)…… それで ?
坂本 : これから違う形態になっていくということ?
高橋 : 『いく』というか、今までのポップスのカタチというのに、軽薄な言葉で言ってしまえば、飽きて来る。
そうすると、なんか違う形態で、しかも同じようなことを僕たちが今までやってきた凡ゆるコンセプトを混ぜ合わせてね、やってみたい。
ツクツクと、胸がうずくような音楽がね、昔あったりしたわけでしょ、それを聞いて育ってきて、それをまた自分の中で、新しい音にしようとするときにね、新しい形態が無いかなと思ってたときに、僕が考えてきたものと、このバンドの感じってのが、共通点が非常に多かった。
坂本 : 胸がツクツクするってのは、フィーリングでしょ。それを …
高橋 : だから、それはね … 抒情的なことに限らない。
坂本 : フィーリングを表わすテクニックは、新しいほうが面白いと。
高橋 : そういうことです。
坂本 : その方法ってのは、イエローマジックでは、コンピューターを使った正確なリズムで、大変デジタルな方法なんだけど、それが、新しいと?
高橋 : 僕はリズム楽器でしょ、(だから)突き進んでドンドンやって行くと、“ 正確さ ” っていうのは、正確になってしまえば其れ迄でしょ、発展性はあまり無いしね。
そうすると今度は、正確な一つのビートがある処にね、細野(晴臣)さんの言葉を借りれば《 振り子の様に纏わり付いて行くビート 》を、つまり、人間でなきゃ出来ないビートを付けてゆくとかっていう発展性を持たせることは可能だと思うのね。
ただ、それはデジタルなリズムを中心にして、それを生かしたものでないと意味が無いんだけどね、単にズレているだけだったら、正確に出来ないでズレているのと一緒だから。
坂本 : 方法は、まあデジタルな方法なんだけど、曲を作る時にも、ただ何と無くじゃなくて、過去のデータとか、記憶とか、複数のものを混ぜ合わせたりしながら、結構、意識的にやってる訳ですよね?
高橋 : うん。凄く抒情的な … 何て言うかなあ? 今、無機的(#②)なものを作ることも、僕にとっては抒情的な意味があるんで、同じことなのね。
要するにポップスだからポーズである可能性も強いけど、音楽の心は昔の、胸がジーンとしたようなものとか、ワクワクしたようなものと同じだしね、また一方で、そんな風にやりながら、全然表情のないリズムにつけるメロディはこういう方がいいとか、そういう意識はかなりあるみたい。
坂本 : 使う音は、だいたいシンセサイザーで、何から何までシンセサイザーでやってるんですけど、そのとき大事なのは、音色を選ぶ事なんですね。それはやっぱり、メロディをつけるのと同じような意味で、意識的なところが多いわけで。
例えば、シンセサイザーでやるんだけれども、わざと昔のコンボオルガンみたいな音(色)を作って入れてね。そうするとドアーズとかさ、60年代ロックの感じが出てね、そういうのを知っている人にとっては、昔の記憶と混ぜ合わさった今の僕らのサウンドが、(過去と現在を)行ったり来たりしてね、独得な心理的効果が出て来るとかね。
高橋 : 完全にそうだよね。だけど、100%昔のコンボオルガンの音を作ったとするでしょ。でもそれが、実はシンセサイザーで作ってあるという事が、意図的に分からなければ意味が無い訳だよ。教授(坂本さんのニックネーム)はキーボード奏者だから、そう言う処ってあるよね。
ドラムの音に関しては、まだそんなに開発されて無くて、本物のドラムの音か、シンセサイザーの音かというのは直ぐ分かるのね。その位が逆に面白いんですよね。
坂本 :僕はシンセサイザーであると言うことに、特別な意味は余り感じて無いのね。(有るとしたら)ひとつはさ、一つの楽器で色んな音が出せるってことと、操作のし易さね。それから細かいアタックとか、コンピューターで音が出せるとか、その位なのね。
だから、コンボオルガン的な音色を使うかどうかは、シンセサイザーを使ってる事とは関係なくて、その曲のその部分には、本当のコンボオルガンを使ってもいいのね。
高橋 :コンボオルガンという物のコンセプトと言うかね、その舞台効果なり、趣味の問題もあって、今の話は面白いよね 。ちょっと違う例をとったら、必ずしもそうじゃない場合もあるでしょ。
坂本 :もちろん、そうなんだけどね。やっぱりシンセサイザーで無ければ表わせない効果もあるよ。
高橋 :シンセサイザーで何かを作っているから面白いって事もある訳だから、確かに今、教授が言ったみたいに(ある音を)シンセサイザーでやってるのか、どっちでやってるのか、余り大した問題じゃ無いけどね。
坂本 :だけどさあ、シンセサイザー・ミュージックってものは、21世紀になるとメインになっちゃうんだとしたら、まあ、それでも構わないけど、そうじゃ無いって言うか、平行して行って欲しいね。少なくとも今の段階では刺身のツマみたいなもんじゃない?
高橋 :この先、全体がシンセサイザーになるって事は、僕の感じから言って、まず、無いと思うんだよね。当然また、生ものがぐっと新しくなって来たりね、するわけね。冷蔵庫の中から取り出してね、それを聞いてまた喜んだりしてね。そういう繰り返しというのは、ある程度は有ると思うんだよね。
坂本 :ハイ、そうです。
高橋 :ハイ、そうです(笑)だんだん対談が盛り上がって来ました。
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)
#① 同世代の他の人に比べると、僕はどちらかと言うと新し物好きの方だと思っていたが、彼らの音楽はその範囲に収まってくれる様なものでは無かった。
それまでのレコーディング見学と言えば、誰かが同じ曲を繰り返し演奏するのを目撃するものだったが、最初にスタジオにYMOを訪れたとき、僕が聞いたのはシーケンサーのピポポ…ポポポ…というクリック音だけだった。
3度目に訪れてインタビューした時は既に“ファイアー・クラッカー”がおおよそ出来上がっていた。それは間奏のゴージャスなピアノ演奏を除けば、ぱっと聞いただけでは、何処までコンピューター・プログラムされた音で、何処まで人が演奏しているのか分からないような音楽だった。
手間隙かけてプログラムすればコンピューターで音楽が演奏出来ることは、理論としては分かっていた。
しかし腕利きのミュージシャンが何故そんな事をするのか、しかも出来上がりつつあるのが、一見コンピューターを使わなくても良さそうな音楽なのは何故なのか、というのが僕の戸惑いの理由だった。
北中正和 / 時代との共謀から生み出された“顔の見えない音楽”
雑誌『レコード・コレクターズ』2003年2月号 “特集 YMO”
#② YMOと “ 無機質なビート ”
時代が前後しちゃったんで話を少し戻すと、その頃は其れ迄とは違った無機的なビートを作って行こうと、龍一とあれこれ試行錯誤していた時期でもあった。YMOに繫がる様なアイディアが、徐々に出て来ていたんだね。
YMOの原型みたいなビートを龍一と考えていても、バンドに参加できる可能性なんて殆んど無いわけ。実際、紀伊國屋ホールのコンサートでは、幸宏に二回代わって貰ったしね。“ 何で幸宏さんに頼むんですか?”って、周囲には言われたけど。
1978年 “ フュージョン・フェスティヴァル ’78 ”
ラーセン・フェイトン・バンドを含む多彩な出演者が、数日間、日替わりで登場した。
『YMOのドラマーには幸宏がいいんじゃないか?』って、細野さんに薦めたのも俺だもん。あいつは姉さんがデザイナーやってた関係もあって、服も作れる。中国の人民服をコスチュームにアレンジしようとか、ファッションのイメージも持ってたしね。ドラマーとしては確かに線が細いんだけど、でもその固さがYMOが目指す “ 血の通わないビート ” には寧ろ合ってるんじゃないか。そう言う予感もあった。
村上 “ポンタ” 秀一 / 『自暴自伝』第一章 70年代のポンタ~青春編~ 2006 文春文庫PLUS