長男がお空にいってしまってから。

グリーフケアに関する本を読み漁ったり、

SNSを検索したり。


何の情報が欲しいのかも、

何の情報を探しているのかも

わからずに。


ただただ無心で、探しては読んで

を繰り返していた時期があります。


そのなかで。

ずっと違和感を感じていたこと。


死別を経験したから、

人に優しくできるとか、

人の傷みがわかるようになるとか。


大切なあの人をなくしたからこそ

こんなことができるようになった、

あんなふうに感じられるようになって

成長できた、とか。


まるで、死別があって良かったかのような。

まるで、長男がお空にいってしまった

ことを肯定するような。



私は、優しさや人の傷みがわかるとか

そんなかけらもないような、

世界中を敵にまわすような

超がつくほどの極悪人でもいいから、

長男とずっと一緒に生きていたかった。


長男がお空にいってしまうことを

経験しないとわからないような、

そんな気持ちなんてわからなくていい。

そんな成長なんていらない。


他の人が聞いたら、ブラックな感情

なのかもしれませんが。

私は本気で、こんなふうに

思っています。





グリーフケアを学び出した今も、

そう思っています。


グリーフケアを学び始めてから

知った言葉があります。

PTG、Posttraumatic Growthの略で

心的外傷後成長といいます。


「トラウマティック」な出来事、

すなわち心的外傷をもたらすような

非常につらく苦しい出来事を

きっかけとした人間としての

こころの成長を指します。


確かに、私にも長男がお空に

いってしまう前と後では

変化はあります。


人の温かさや優しさに触れ、

人とのつながりの大切さを

再認識することができました。


グリーフケアを学びたいとか、

グリーフケアを社会に広めたいとか。


そんなふうに思ったのも、

長男がお空にいってしまったことを

経験したからです。


こんな変化は、

PTGと呼ばれるもの、

なのかもしれません。



でも。

それは決して、決して、

望んで得た変化ではありません。


あくまでも、

もう長男がお空にいってしまったことは

変えられない。


その今の現実の中で考えると、

という前提の上に成り立っている

ということも理解しているつもりです。


でもそれを、成長と言われるのは

少なくとも今の私は受け入れられません。


成長を感じられることで、

前を向いて新たな人生を歩もう。


そんなふうに思える方もいらっしゃると

思うので、そんな方は

ご自身のその想いを大切にしてください。


グリーフは本当に、

ひとりひとり違うものだから。


これは

あくまで私の個人的な思いです。





PTGについて、少しお話します。

PTGは、非常に辛いできごとを

きっかけとした、

苦しみやもがきの中から

人間として成長する

ということです。


この言葉を知ったときには、

先に書いたようなことから

このことについて

深く知りたいと思いませんでした。


あたかも、

成長することがいいこと、

すばらしいことのように

書かれていると思ったからです。


でも、ブログでも紹介しましたが

3月に開催された

グリーフ&ビリーブメント学会で

PTGについての講演がありました。


そのことがきっかけで、

PTGについて、詳しく知る機会と

なりました。


そのあと、PTGに関する本も

読みました。


私が思っていたような、

PTGはいいこと、すばらしいこと

というような内容よりは、

私の違和感にも

しっかり触れた内容だったのです。


『遺族にとって、大切な人の死から

 自分が人間として成長した

 ということを認めるのは、

 死を自分の成長に利用しているのでは

 ないかという葛藤から、

 非常に困難なこと』、


『大切な人を亡くした悲しみから、

 なんらかの成長があったと

 遺族が認識するということは、

 同時に個人の死を肯定してしまう

 ことにもつながる』、


『苦しみからの成長は

 あくまで結果論である』

 ことが書かれていました。

 (悲しみから人が成長するときーPTG

 著:宅 香菜子より引用)






そして、学会の講演の中でも

トラウマのできごとを良かった

ことにしない。

PTGをゴールにしない。

PTGを求めることは酷である。

PTGと苦悩は共存する。

とのお話がありました。


私は正直、これらのことを聞いて

安心しました。



PTGがあたかもすばらしいことのように、

それをグリーフケアのゴールや目標

とするような、

そんなことが言われていなくて

よかった。



私のように、

PTGと言われても、

成長と言われても。

すんなりとそのことを認められない。


そんな遺族もいるんだということも

しっかり強調してくださっていました。



私は

大切なあの人がいない人生を、

再び歩むことを支援、サポート

することが、

グリーフケアのひとつの目標だと

思っています。



そのために、決して

PTGを無理に求めることはせず。


もがき苦しみ、自分の中で

さまざまな想いと葛藤する中で

あくまで結果論的に、

何か自分の中で変化や成長として

PTGを感じることがある。






あくまでPTGを感じるのは

自分自身。


そして、PTGを感じることが

目標ではなく、

感じることがなくても

それはそれでいいということです。



私はPTG、成長としては

なかなか受け入れられませんが。

決してPTGを否定しているわけでは

ありません。


自分自身の変化。

これはあくまで

結果論としての変化として。


自分の中で大切にしていきたいと

思っています。


これからも、人と人とのつながり、

決して当たり前ではない日常に

日々感謝をしながら。


長男とともに

グリーフケアを社会に広めることを

目標に

歩んでいきたいと思います。


そして、PTGを感じられたからといって

悲しみや苦悩はなくなることはなく、

その悲しみや苦悩とともに

遺族はその先も

自分の新たな人生を歩んでいく。


そんなふうに思います。