ビジネスの現場には、驚くほど、不可解な造語が多い。

「なるはや」
これは分かる。

「やぶへび」
これも分かる。

「なるほどですね。」
・・・・!?
(なるほど、が動詞になった。)

「正直ベースで申しますと、、、」
・・・・!!!?
(いままで嘘ついてたのかよ。。。。)

買わねーよ。




No ramen, No riceの北斗の拳、パロディネタをあこがれのNAVERのまとめに載せてもらっていたようです。少しだけ、ドキッとしました。

コチラです

2ページ目、2コマ目、ジャギのそれが、そうです。

「おまえはもう、まとめられている」

ジョンレノンのイマジンを口ずさんだことのない人を「夢追い人」と呼ぶ訳にはいかない。
僕は、小学校の頃から、口ずさんでいるし、また、自分流のイマジンをたくさん歌ってきた。
自分流のイマジンが頭に流れている時、僕の幸せは誰にも邪魔されなかった。
このまま、僕のイマジンを歌っていたい。大嫌いな社会科の授業中も、中間試験の時も、僕はイマジンを歌った。
だから、結果は悪かった。でも、幸せだった。

ジョンレノンJohn lennonのイマジンは、万人の夢にあわせてアレンジされうる歌なのだ。
老若男女、誰もが、どんな境遇にいても希望をもたらす歌だ。

あなたは、今、会社員となり、上司になじられ、希望が見えないかもしれない、
あるいは、あなたは、追いかけている夢を挫折するかしないかの瀬戸際で、
なんとか乗り越えるよう、自分自身を叱咤激励している度の途中かもしれない。

そんな人たちにこそ、あえて、今一度、自分のイマジンを歌ってほしい。


ー以下、オリジナル和訳、抜粋ー
「想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?

殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い

想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず

いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ」


ーオリジナルリリック作成、例ー

例 (40代、会社員、毛なし)

「想像してごらん、10人に9人がハゲ散らかしている世界を
そんなに難しくないでしょう?

隠す理由も増やす理由も無く、
ヅラすらも無い

想像してごらん みんなが
ただ平和にハゲているって…

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず

いつかあなたもみんなハゲになって
きっと世界はひとつになるんだ」



さぁ、あなたの想像する世界はどんな世界だろうか?



ようこそお越しくださいました。

本ブログ、「No Ramen, No Rice」は文字で笑わすことをテーマに”シリアスバカ”という独自のスタイルでお送りしています。

時にビジネスを交え、時に時代を映し出し、
世の中の悲劇を喜劇に変え、
眉間の深いしわが危険すぎるおたくの会社の中間管理職を笑わせたい。

そのようなスタイルです。
スタイリッシュです。

$No Ramen, No Rice.....



座右の銘「”笑わせる”は究極のサービス精神である。」を胸に日々精進してまいります。

やれんのか?
やれません。

どうぞお楽しみください。



「鼻毛のパラドックスに注意されたし。」

鼻毛が出ているか気にするあまり、鼻をやたらといじってしまう。
それがほじっているように見えてしまい、
結果、回りの人に、「やたらと鼻をほじる人」と誤解されてしまう。

まだ、「鼻毛が出ている人」のほうがましだ。。。


このように、1のことを隠すために行った事が、3くらいのダメージになって返ってくる。あなたにも覚えはないだろうか?

目先の事にとらわれず、全体を見渡せる森の目が必要になってくる。
このことは、ビジネスにとどまらない。

鼻毛は自宅でカットしてください。

昨今深刻になっている少子化について、意外な理由がある事が判明している。

それは、

「へその緒カット店が存在しないことである。」

もし貴女にお子さんがいるならば、一度くらいは町中で
「今この瞬間に子供が産まれてきたらどうしよう。」
という念に苛まれたことがあるはずだ。

世の中には、もよおしてきたと思いトイレに入ったら、子供が産まれてしまった、という事例が星の数ほどある。問題はその後の処置である。


へその緒カット店は、そのような悩みを解決してくれる。
(往々にして、新しいビジネスとは世の中の悩みを解決してくれるものだ。)


さぁ、新しいベンチャー産業の幕開けだ。
最初は”へその緒バブル”という、ITバブルにも似たような風潮も始まるかもしれない。

ゆくゆく、へその緒カット産業が世の中に定着して、
「あそこのへその緒カットは、斬新だ。」
「一度あそこで切ったら、よそには行けない。」
「お産は〇〇病院だが、カットはあそこのお店が良い。」

などと、へその緒カットのカリスマが出てくる可能性もある。

カリスマ主婦などのオピニオンリーダーにすりよってくるスタイリストがいるかもしれない。

また、
「へその緒カット無料。」
を売りにして、その後のお母さんの骨盤矯正エステを
メインの商売とする輩が出るかもしれない。


どのような産業も、最初は混沌からはじまるものだ。

新しいビジネスとは、思い立った瞬間にすでに競争が始まっているという。
へその緒カット産業、、、、
他言無用でお願いしたい。





新年あけまして、おめでとうございます。

2011年に始めたno ramen no rice、もおかげさまで3周年を迎えました。
このところ、なかなかブログを更新出来ておらず、
ご心配をおかけしてすいません。

このブログは、私の魂そのものであり、生きた証です。
ものすごく研ぎすまされている風な顔をして、
今年も思いっきり力が、入ったまなざし、眉間に深いシワで、
だが、しかし、鼻に割り箸を刺して行きたいと思っています。


このブログの読者の方々は、笑に敏感な人々だと思います。
そのような方々の感性にも響く、シリアスバカという笑いの境地をお見せしたいと思っています。

2014年、no ramen no riceをどうぞ宜しくお願いします。




「その会社は計画通りかなり暇な会社だった。」

とは、京都大学出身の某大物ニート「a氏」を象徴する名言である。

我々は、ある程度計画的に企業を選び、入社する。
今度こそ理想の会社に巡り会えたのではないか、という淡い期待を胸に入社するも束の間、残念ながら、その会社でも上司が前職と同じくらいハゲ散らかっているというケースは珍しくない。

よって、その会社を退職する、という選択肢を選びたいものだが、諸事情によりそれは最後の選択肢となる。

人間はある時から嫌いな物を嫌いと言えない、大人というレッテルを貼られる。たとえ大人であっても、グリンピース抜きで、ピラフをオーダーをしたいものだ。

そして、諸君は、今の会社が嫌いだ。是が非でも退職したい。


「お任せください。」


ここで紹介する退職方法は、数々の事例などのデータベースをもとに紹介されているいわば、退職虎の巻とも言えるものだ。古典的な退職方法を始め、ゲリラ退職あるいはノスタルジック的退職方法までもが網羅されている。

回りに、退職方法に悩んでいた暁には、是非ご紹介願いたい。


■「持病が再発」
この退職手法には、メンタル的な持病(ソフト)と古傷的な(ハード)部分があるが、職種、業種によって使い分ければ良い。その職種に支障をきたす職種であれば、周囲も止めることはできない。古来より伝わる伝統的退職手法である。


■「親族が重体 or Die」
言わずと知れた王道的退職方法。この流れで、家業を継ぐ。等に展開することができる。
ご参考までに知人の例を紹介すると、彼は、実の父を1回、兄2回、母にいたっては5回殺している。


■「DJ になる夢を諦められない」
このケースは、熱く語れば、語るほど効果てきめん。「こいつは完全に神経をやられている。」と思われ、退職がしやすくなる。精神科を進められることになる可能性もあるため、諸刃の剣である。


■「米国大統領選挙に立候補することになった」
「お?こいつの家筋はとんでもない血筋なのか?」と、まわりの一般社員から尊敬の眼差しを浴びる事受け合い。「ウソはでかければでかいほど、人は信じる。」一か八か、できるだけシリアスな顔で上司に伝えてみると・・・。


ここに紹介したのはごく一例。
退職方法には無限の可能性がある。

みなさんも、Let’s退職!!

わたしの会社のトイレは狭い。

この中小企業のトイレという、小空間において、
深刻な災害が発生していることを霞が関の官僚などは知る由もない。


ケーススタディを見てみよう。

半端じゃなく臭い大便(以下、DB)をした御仁が、いたとしよう。
その御仁のDBの匂いをかいだ、いわゆる現場にいるA君は1次災害の被害者。後で入ってきたそのDBの残り香にやられたB君も1次災害の被害者と仮定する。


しかし、今回の論点はこれ以降にある。


DB残り香にやられたB君が、トイレから出てきた、
すれ違いざまに入ったC君が残り香を嗅ぎ、「この匂いはB君の匂いだ」と断定する可能性は想像に易い。


これこそが真の2次災害である。


そして、2次災害は、得てして想定外のケースが多い。

中小企業にお勤めのみなさん、2次災害には気をつけましょう。
「チャン・リン・シャン」という言葉が未だはかりしれないポテンシャルを秘めていることに
今さら言及するつもりはない。


当時はリンス イン シャンプーのCMで、ちゃんとリンスもシャンプーもする
という意味合いだった。

まさか十数年後にすべらないフレーズになるとは知る由もなかっただろう。


もしかしたら、死ぬ間際につぶやく言葉なんて以外とこんな感じの言葉なのかもしれない。

「チャン リン シャン・・・」
「・・・ご臨終です」



そこで今回は「チャン リン シャン・・・」の言葉としての可能性について真剣に考えたい。


まずは先述の死ぬ間際につぶやく場合。

これが武士であったならさしずめ辞世の句となる。



「憂き世での

  思いを胸に
  
    チャン リン シャン」

(この世に未練があるとしたら、死ぬ前にちゃんとシャンプーもリンスもすることだけだ)の意


なんとあっぱれな散り際だろうか。
言葉というのは恐ろしいものである。
ほんのカタカナ一行がその男の生き様を上げるのだから。

ここで少し、指向を変え、俳句にしてみる。

「鳴かぬなら

   鳴くまで待とう

     チャン・リン・シャン」

(ちゃんとシャンプーもリンスもできるならいくらでも待とう)の意

お分かりだろうか?ここでもチャン・リン・シャンで俳句全体を洗練させている。


現代においてはどうだろうか?

たとえば、邦画のタイトルとして・・・

「世界の中心でチャン・リン・シャンを叫ぶ」


香港の大ヒットアクション映画の主人公として・・・

「主演 チャン・リン・シャン」



むぅぅ・・・・おそるべき可能性。


検証結果:
「チャン・リン・シャン」は時代を超えてどんなジャンルにでも使えるオールマイティカードである。