自己肯定感が強い者 | 脳幹出血患者☆松田のんが100%の日常を取り戻すまで

脳幹出血患者☆松田のんが100%の日常を取り戻すまで

焦点が合わない…歩く事も出来ない…箸もペンも使えない…
…42歳の主婦を突然襲った「脳幹出血」…
発病から12年が過ぎ、13年目の闘病生活へ突入。
穏やかで充実した毎日を過ごしています。
生きている事に感謝!人生は楽しまなくっちゃ!!

私は、人一倍「自己肯定感」が強い。


ちょっとした事で、自己嫌悪に陥る事があっても、

すぐに立ち直れる方だ。


自分がやってきた事に対しては、大体肯定出来る。


もちろん失敗もあるのだけど、

失敗した時は、それなりの理由があったから仕方ないし・・と、

開き直る事が出来る。


そして、やたらと自分で自分を褒める


「私、すご~い!!」


「天才的!なんて凄いの!」


「よくやった!よく頑張った!偉いぞ私!!」


日常の些細な事であっても自分を褒める姿は、

家族にとっては、うっとおしがられているのかもしれないが、

気にせず、褒めまくるヽ(゚◇゚ )ノワタシスゴ~イ!


褒める事が溜まってくると、ご褒美をあげたくなる。


コンビニの大福とかを買って食べるだけ、ではあるがσ(^_^;)


。。。。。。。。。。。。。。。。。


先日、友人と話していて、この自己肯定感の強い所が、

病気から回復する時にプラスに働いたのではないかという

指摘をもらった。


なるほど~。確かにそうかも~('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)


そして、この性格が出来たのはどこだったのか、考えてみた。


。。。。。。。。。。。。。。。。。


私は、田舎にある本家の長女。


妹と両親、祖父母の六人家族で育った。


私の両親は共働きのサラリーマンで、祖父母は畑仕事が忙しかった。


大みそかの夜でも帰りが遅い母(地方の銀行員だったので)に、

私は、なにかねだるとか出来ない子どもだった。


お友達のお母さんは、ほとんど専業主婦の時代。


手作りの洋服や、うちでは出て来ないような料理とか作る

他人の母の事を、ちょっぴり羨ましく思っていた。


日中は、祖母に育てられた。


大正生まれの祖母は、とっても厳しい人で、

子ども心にはその厳しさが嫌で辛く思っていた。


今考えれば、その厳しさがあったから、

私はブレずに成長できたのだと思うのだが。


大人になってからは、その祖母がとてもとても好きになり

今はもう亡き人ではあるが、いまだに夢に出てきたりしている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


とにかく!

仕事に忙しい母と、厳しい祖母に育てられた私は、

自分の空想の世界に入っている事

多かったのかもしれない。


裕福な家ではなかったし、

欲しいものが簡単に手に入る訳でもないので、

なんでも工夫したり考えたりしていた


お菓子の本とかを眺めても、

食べたいものは自分で作るしかなかった。


なので、小学生高学年の頃にはひとりだけで、

クッキーやシュークリーム等を作るようになり、

チャーハンなど簡単ではあるが家族の食事も作るようになった。


高校生でお弁当が始まると、

自分のお弁当はもちろん、母親のお弁当まで作った。


マスコット人形や、自分が着る為のスカート等もよく作った。


今考えると、よくやってきたな~と思う。


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この子ども時代、一番良かった事はよく褒められた事だ。


なにか大きな賞や級をとったりした訳ではないが、

我が家の住人は皆、ここぞという時に褒めてくれていた。


普段は忙しい母や厳しい祖母も、

私が作った料理やら作品やらを、本気で褒める。


ワザと褒めていたのかもしれないが、

子ども心には、私って凄いんだ!褒められて嬉しい!!という

気持が積み上がっていった。


そうやって、「自己肯定感」の強い私が出来あがった。

(のだと思う。)


。。。。。。。。。。。。。。。。。


この世で一番強いのは、

「変化に対応出来る者」だと言われているけど、

「変化に対応出来て、自己肯定感が強い者」だと思う。


たとえ、どんな事が起こっても、

絶対に諦めず、なんとかしていこうと工夫する。


自分を悲観しても何も変わらない。


私は、どんな試練がやってきても、

いつでもなんでも乗り越える事が出来る気がする


これからも、きっと!ずっと!!!


このような性格に育ててくれた「褒める事」を、

他の人にもおすそ分けしなくては・・・と思う、今日この頃である。