麦角病の流行 | マーブル先生奮闘記

マーブル先生奮闘記

マーブル先生の独り言。2024年1月1日の能登半島地震後の復興をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。



中世(ちゅうせい)とは、西洋史観を元にした歴史の時代区分の一つである。古代よりも後、近世・近代よりも前の時期を指す。


 中世の麦角病の話を紐解いてみると、聖アントニウス会の修道士が麦角中毒の治療術に優れた技を有していることから有名になり、この病気そのものを「聖アントニウスの火」と呼ばれていた時代もあったそうです。聖アントニウスはエジプト生まれのキリスト教の聖者で3世紀を生きぬいた人。聖アントニウスの病の守護聖人と呼ばれ、あがめられた彼は実はこの麦角病にかかった人としても有名です。若くして修行の道に入った彼は貧しかった食生活の中でライ麦のパンを食べこの麦角病に罹患しました。麦角病は彼を失意のどん底まで叩き落しました。仲間の修道士や友人の介護で一命を取り留めたものの、彼は片足を失いました。彼は114歳まで生き、彼らの仲間の修道士とともに当時の不治の病「麦角病」の治療に尽力を尽くしました。
 彼は人々に自らの体験で「この病気はまるで火に炙られるような辛い痛みと苦痛である」ことを説いたため麦角病は「聖アンソニウスの火」と呼ばれるようになりました。彼らの治療の基本は「絶食」でした。また、宗教家の立場から罹病者には聖アントニウスの聖地であるフランスのリヨンまで巡礼することを進めています。多くの患者たちは尊敬する修道士の教えに従いリヨンを目指して旅たちました。巡礼を開始すると頭痛や壊疽などの麦角病の症状は急速に改善していきました。「聖アントニウスの奇跡」として人々は讃えましたが、これは待機・転地治療法と同じ効果で、まずは汚染されたライ麦から隔離されたことと適当な運動が収縮した血液循環を改善することになったためと思われます。麦角病は、この時代本当に貧しかった人々が安価なライ麦のパンしか口にできなかったという社会背景があったからです。
 「おそらく麦角菌が関与しているのではという話」がいくつかあります。まずは古代ギリシャのエレウシスの秘儀。エレウシスは古代ローマのアテネに近い小都市でギリシャ神話に登場する女神デメテルの祭儀の中心地として知られ、この祭儀は古典古代時代に最も良く知られた秘儀の一つとされています。その内容は語ることを許されなかったため断片的な情報しか残存していませんが、神の永遠なる浄福を直接見ることができたとされています。この精神的・感覚的な頂上感や絶頂感はおそらく麦角からえたアルカロイドを使用したのではないかと考えられています。
 また、西暦994年にはこの「聖アンソニウスの火」が大流行してという記録が残っています。流行地はフランスのアキテーヌ、リムザーン地方で実に4万人の人々がこの病気で亡くなったと記されています。この時の記録には多くの妊婦が子供を流産、早産、死産をしたと書かれています。



ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス1世
古代ローマ帝国の皇帝(在位:306年 - 337年)。帝国を再統一し、専制君主制を発展させたことから「大帝」と称されることが多い。また、キリスト教を公認してその後の発展の政治的社会的基盤を用意したことから、さまざまな教会で聖人とされている。