東京、街の浮き沈みマップ | ブロッコリちゃんの写真日記

東京、街の浮き沈みマップ

TOKYO DESIGN FLOW paper
ワタシが書いている記事の一部をちょっとだけ掲載します。
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雑誌記事から探る! 東京「ナウいエリア」の変遷
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■ GO WEST~東京人も東から西へ

雑誌記事に登場する街の名前とその回数を1900年代から調査した。山手線沿線およびその周辺の街14エリアをピックアップ。東西に分割して、街の話題のパワーバランスを見る。1970年代以降、西と東の割合が逆転している。

ブロッコリちゃんの写真日記-EastWest
(*大宅壮一  文庫雑誌記事索引検索より。街の名前で件名検索しヒットした記事数を年代別に集計。西:池袋、新宿、原宿、渋谷、代官山、恵比寿、下北沢/東:浅草、上野、秋葉原、日本橋、丸の内、有楽町、銀座)


■東京古今東西、街の浮き沈みマップ

東京の西側と東側、それぞれ7つのエリアの浮き沈みを調査。○の大きさは話題のボリュームを表す。各年代で人々の関心を集めた街が一目で分かる。


ブロッコリちゃんの写真日記-1950
1900~1950年代を合計。銀座がトップで2位が浅草。銀座はモボ(モダンボーイ)モガ(モダンガール)、銀ブラ(銀座でブラジルコーヒーを飲む、という意味らしい)。日本中に「○○銀座」が出現し始める、戸越銀座が元祖。浅草は劇場の街。50年代に最盛期を迎え、一時30軒以上の劇場があった。そして花やしきには動物もいたらしい。西の新宿、渋谷では「赤線」「青線」(意味が分からない人はお父さんに聞いてみよう!)が発達、戦後には闇市が出現。



ブロッコリちゃんの写真日記-1960
1960年代。浅草が沈む。代わりに西の横綱、新宿がアングラ文化を背景に台頭。
唐十郎の「状況劇場」、寺山修司の「天井桟敷」といったアングラ芝居の拠点に。名曲喫茶「風月堂」には、全共闘の学生達が吉本隆明の『共同幻想論』を片手にたむろし、「フーゲツ族」と呼ばれた。1968年10月21日の国際反戦デーには、左翼学生による「新宿騒乱」が勃発、新宿駅が火を吹いた。一方、東の秋葉原は高度経済成長による家電ブームで電気街としての地位を確立。銀座では『VAN』などのアイビー・ルックに身を包んだ「みゆき族」が出現。



ブロッコリちゃんの写真日記-1970
1970年代。原宿と渋谷が浮上。1970年初頭に『an・an』と『non-no』が創刊され「アンノン族」と呼ばれる若者が渋谷と原宿に出現。渋谷には1973年に西武系の「渋谷パルコ」が進出。これを機に、パルコ前の通りは「渋谷区役所通り」から「公園通り」に改称された。1979年には「109」も進出。一方原宿には「原宿セントラルアパート」(現在GAPのある辺り)にデザイナーやカメラマンが集まり、「マンションメーカー」と呼ばれた若いアパレルブランドが出現。1978年には教会を取り壊し「ラフォーレ原宿」がオープン。同年、池袋では巣鴨刑務所跡地に「サンシャイン60」が竣工、日本一のノッポビルとして話題に。新宿でも西口超高層ビル群の建設がスタート。



ブロッコリちゃんの写真日記-1980
1980年代。引き続き原宿と渋谷が若者文化を引っ張る。原宿に「竹の子族」が出現、代々木公園横の「ホコ天(歩行者天国)」でジンギスカンを踊る。その影響で竹下通りも発展。1982年には日本初の“クラブ”「ピテカントロプス・エレクトス」がオープン。90年代に裏原カルチャーを創るメンバーが集まる。また代官山・恵比寿エリアが次のオシャレスポットとして徐々に注目され始める。東の浅草では、1981年から「浅草サンバカーニバル」がなぜか始まり、突如盛り返しを見せる。1986年には秋葉原で『ドラゴンクエスト』を買い求める少年達の行列ができた。



ブロッコリちゃんの写真日記-1990
1990年代。渋谷が原宿を抜いて新宿と並び、西側陣営の陣容が固まる。渋谷で「コギャル」が出現し社会現象となる。コギャルのバイブル『egg』は1995年に創刊、109がギャル御用達に。その後の「ヤマンバ系」「お姉系」や「ギャル男」、「お兄系」に繋がる一連のファッションの基礎が整えられる。センター街ではチーマーが出現、エアマックス狩りが行われる。音楽分野では1990年に「HMV」、1995年には「タワーレコード」がオープン。「渋谷系」アーティストが活躍。90年代後半、ITベンチャーの集積が進み「ビットバレー」と呼ばれるように。またこの頃から、若者集団のカテゴリーを指す名称が「族」から「系」へと変わる。銀座、表参道では海外メガブランドの進出が始まる。恵比寿にはガーデンプレイスがオープン。タウン誌が相次いで創刊し、新規オープンのショップや商業施設を逐一紹介し、店舗やブランドの消費速度アップと新陳代謝に貢献する。



ブロッコリちゃんの写真日記-2000
2000年代。旧財閥系企業による資本投入などにより、東側陣営が盛り返す。丸の内では三菱地所が2002年に「丸ビル」、2007年には「新丸ビル」を竣工させ、丸の内OLとその周りに群がるサラリーマン達を大いに喜ばせる。日本橋では2004年に三井不動産と東急不動産により「コレド日本橋」がオープン。マンダリンオリエンタルやペニンシュラなどの海外ラグジュアリーホテルも日本橋や有楽町に進出。一方、西側陣営では、新宿南口開発がスタート。代官山では2000年、同潤会代官山アパート跡地に「代官山アドレス」がオープン、周辺にもカフェやアパレルブランドが集積し、原宿に続くオシャレエリアとしての地位を固める。銀座にはエルメス、表参道にはプラダやルイヴィトンなど、海外ブランドの旗艦店オープンラッシュ。女性誌を中心に「セレブ」という言葉が浸透する。金融危機後、物欲金欲に変わる新たな価値基準が今求められている。

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