久々の日記です。というのも1.29から今流行りのインフルエンザAにかかりまして自宅謹慎中です。しばらく熱にうなされましたが2月に入って回復傾向。家でゆっくり過ごしています。

時間がない時は「時間があれば何でもできるのになぁ」と思いますが、実際時間ができると「やりたいこと一杯あってどれから手をつけたら良いか分からないから、取り敢えずコーヒーでも入れるか」みたいになり、TV見ながらぐうたらするのが落ちです。

最近思うのが、時間を作るのではなく、集中する時間を作る。自分を客観的に動かすことに注力するということです。操り人形じゃないけど、自分を自分が釣り糸で操作している〜みたいな。何かそんな感覚になれる時が一番仕事の効率が良い気がしています。

そんな意味でいうと、この休み期間は最悪。何にもできていません。ただそんな時間もあっても良いのかなとも思っています。

普段気付かない棚の埃に気づいたり、自分の体を労わるようになったり、料理を作るようになったり、色々なことへの感謝が深まったり。折角休むのだからと普段絶対読まない本を読んだり。

振り返った時、地味に充実していたじゃんと思えるように今動くようにしています。

ただそろそろ仕事もしたい。笑

仕事中は「早く休みたい」しか思わないのに。結局ないものねだりなんです。私。

2.1から中学入試が実施です。子供達も頑張っていますが、運営している先生方も頑張っているんです。休んでしまってごめんなさい。

大学入試も佳境に入ってきています。インフルなんかに負けず、風邪にも負けず、受験生には頑張って欲しいと思います。

以上久々の日記でした。




2018.2.2
うちの本棚は、ほとんどが参考書だ。



 と言っても私は教師だし、生徒に伝える方法論を学ぶためなら何でもやるのが私の流儀であるので、値段を気にせず必要な物を買い、他と比べてみてはどっちがどうのとか、この先生の教え方はどうのとかは確かに言っている。

 職業病と言ってしまえばそれまでだし、今流行のウェブデザインなんかをやっている人の家に行けば、少なからず本棚にはそれ系のものが陳列されているはずであって、私自身、特殊で異質な人間とはあまり思ってこなかった。



 しかし困ったことに、ついこの間、同僚の友人に「あれはさすがにおかしい」と言われてしまったのだ。確かに薄々自分は他人と異なり、同調できず変わった人間かもしれないとは思ったことはあったが、本当に単なる変人であることを痛感したのはこれが初めてだった。

 まさか同じ教員に「やりすぎ」と烙印を押されてしまうとは。酒の帰り道、トボトボ家に帰りながら言われたことを反芻したが、どうやらそれは本当のようだった。



 近々引っ越しをするというのも手伝い、改めて本棚を整理し始めて分かったのが、全体の本の数に対して学習参考書が8割。ブルータスや飲み屋の雑誌が1割。大きなファイルに挟まれた、かつてのバイトの資料(といっても大学生活4年間は学習塾のバイトなので実質は参考書)が1割。つまりただのオタクである。



 中学時代の友人とは未だに親しいが、その友人が言っていた言葉に「本棚は、その人の脳内を表している」というものがある。
 これが正しいとなると、私は単なる教育変人ではないか。段ボールに詰められた本たちを見ながら、私は脳内を整理すべく徹底的に本を捨て始めるのであった。



 まずは政治、倫理、歴史関係。ノートはきれいに板書してあったが「時代は変わっているのだ」と自分に強く言い聞かせて破棄。続いて地理も同様。専門は化学なので、一応その近辺は残しつつ、数学に手を付ける。落書きしか書いてない。何故このような物を26にもなっても取っているのか。自分に悲観しながらも作業は進める。ふと、挟んであった藁半紙に手が届く。将来の夢。恥ずかしげも無く書いてあるので見ている方が恥ずかしくなる。「世界をリードする教員になる」。あの頃の私と、今の私は、一体何が違うのだろうか。



 本棚が人の脳内を表しているのであれば、これほど面白い物はないだろう。片付けていくうちに、文庫本の間からは初めてのデートのときであろうか。映画の半券(恐らく記念に取っておきたかった)が見つかるし、本の背表紙が反対に入れられていると思ったら昔のエロ本が出てきたり(昔と今の趣向は違う)。真面目なことで言えば生徒からの感謝の手紙も挟んであったりした。



 群馬の片田舎で育った私であるが、家の居間にはいつも父親の本棚があった。そこには今の私は到底読まないであろう歴史の書物であったり、地図であったり、芥川龍之介の何かの全集とか、ヘミングウェイとか、今でこそ分かる格式高い書物たちが並んでいた。
 そしてそのすき間には、フジカラーで撮った家族の写真や、どこかでもらったお土産や、虫眼鏡が挟んであったりした。



 今でこそ尊敬しているが、昔は父親が嫌いだった。家に帰って酒を飲むことしかせず、母親に怒られては隠れて最後の焼酎に手を延ばす。
 学生の私には頬が赤らめた父親は格好悪く見え、こんな父親にはなりたくないと思ったが、酒を飲む20歳を過ぎてからは、父親の気持ちが痛いほど分かるようになってしまった。



 自分の脳内を変えられるのなら、今この時しかない。いらないものを捨て、昔の情報を拭い、新しい本棚として生まれ変わる。私はそうして、一つの理性を得ることになる。



 売れる物は古本屋で売り、新しい物を取り入れていきたい。例えば旅の本であったり、コーヒーの本であったり、池井戸潤の本であったり(私は半沢直樹ファンです)、自己啓発本でも何でも良い。新しい生活、新しい部屋。
 何より新しい本棚によって、私の思考は変わってゆくのであろうと思う。
 
 これからの成長と、自分自身に期待しながら今日も酒を飲む。
 どうやら、頬が赤らめてきたようだ。