昨日、予告なんかしちゃったけども、

過去記事をよく見たらある程度書いてあったよ…


その記事はコレ (リンク有り)なんだけども。

(お暇だったら読んでみてね)


実母が嫁に来た時の私の実家って、

『農家の恐ろしい実態』 の話と

似たり寄ったりだったりするのね…



ちょっと、ほのぼの(?)したエピソードを加えると、


幼児期で、まだオムツが取れていなかった時期に

畑から道一本隔てた自宅に子供をお昼寝させて、

大人達(勿論母も)畑仕事。


お昼寝から起きてきた子供(兄姉私の幼児期)は

オムツを替えて欲しくて、

替えのオムツを引きずりながら

畑まで歩いて来たそうだ。


当然の様にその替えのオムツは泥だらけに…。

使い物にはなりません。


当時はもちろん布オムツ。


母は、子供が自分で替えを持ってきた事を

褒めなきゃという気持ちもあるが、

洗濯物が増えちゃって、また仕事が増える…

(睡眠時間が減る)と、

ため息が出たそうです。



こんな全然母の意志を取り入れられない生活が

改善(?)されたのは、

私が5歳の時。

一番上の兄は13~4歳の頃だから、

結婚して15年ほど経った時だ。


舅(私の祖父)が亡くなった時だ。

家長として、権力をバリバリ振りかざしていた人物が

消えたのだ。


その開放感

さらに、今まで溜まっていた鬱憤等が爆発したんだろう。


母は誰よりも自分の意見を通そうとする人間になった。

っていうか、自分が絶対正しいって

勘違いしている様にも見えた。


まあ、正しい事を言う時も有るけども、

世間知らずな部分もある母は、

思い込みだけで決めつける事も多々あった。


父は、

母を守り切れていなかった負い目もあるのだろうが、

母に意見するとヒステリーを起こしたかの様に攻撃的になる為、

黙ってしまう方が楽だと

達観してしまったようだ。



そして、2日前の記事、

【一番傷ついた母の言葉】

で頂いたコメントで気が付きましたが、

そんな素地の上

姉の死による悲しみによって

母の人格の歪みは激化したんだと思う。



まあ私は、父に

「黙っておけ。

反論すると火に油を注ぐ様なもんだから。」

と忠告されても、

納得いかない事はトコトン反論してしまう為に、

結構バトルメラメラした。



そんな私も結構ひねくれてしまって、

母の子育て苦労話を何回か聞かされましたが、、

『こんだけ苦労してアンタ達を育てたんだから、

もっと感謝しなさいよッ!!』

って言われてる気がして

この話が出てくるとあんまり気分良くない。


そんな事は表面には出さないけどね。



やっぱ、私も多少歪んでるんだろうなぁ。

そんな私は、旦那に

「お前、お母さんに(外見やしゃべり方が)そっくりだよ」

って言われると、結構傷つきます…。

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