オプションの資金運用は順調と言うべきか、着実に儲けていましたが資金は増えないまま半年が経ちました。
なぜ、資金が増えないのか...それは儲かった分をすぐに会社というか社長が使ってしまうからです。
それよりも、私は何故損をしなくて済んだのか?
私に特殊な運用能力があったわけではありません。
このころのオプション市場はまだまだ市場参加者も少なく、損してでも学習をしようというプレイヤーもたくさん存在しました。
生保や信託銀行など機関投資家のオプションに対する運用スタンスも掛け捨て保険としての活用レベルなので対戦相手ではありません。
サラリーマン運用担当者がヘッジもしてますよと言うために、お金を捨てに来ているのだいうイメージで捉えていました。
株式先物日本上陸からまだ日が浅く、そういう未成熟な段階だったということです。
何か煮え切らない状態が続いたので、そろそろ自分で道を切り開こうという発想が芽生えました。
そんな時知り合ったのが、大物演歌歌手Sの親族と名乗る男です。
Sとは、東北を代表的するあの海外不動産投資家兼演歌歌手です。
その親族と名乗る彼(ここではAとしておきます)は近々独立を考えていて、パートナーを探していました。
何を事業としてやるのかということよりも、私にとってプライベートな事業窓口が必要だったので
「いっしょにやりましょう。会社ならすぐつくりますよ。」
と勇み足です。
国分町近くにマンションの一室を契約し、有限会社を設立しました。
もちろん費用は全て私が出しました。
仙台に来てからすぐに収入源が確保できたおかげで、証券時代に貯めておいたお金はほとんど使わずに済んでいました。
代表者はA、私は取締役として参加です。
とりあえず、その頃可能になった個人輸入を活用した輸入代行業をはじめました。
業務を始める準備として、事務機器類の導入も必要です。
事務機器のリース契約をするのに代表者であるAが不安を訴えます。
まあ、事業の先行きもわからないのに当然かもしれないと思い、
証券時代に購入していた投資信託200万円の預り証と取引口座の印鑑を彼に預けました。
私はその輸入代行がうまくいくように広報や紹介営業など、時間を見つけては努力したつもりでしたが、彼はビジネス(営業そのものについても)について全くの素人だったようです。
夜の仕事の関連で、ローレックスを個人輸入で買いたいなどのお客さんができ始めた頃、妙な噂を聞きました。
Aがつき合っていた彼女が 偶然 私の努めるデベロッパーの管理物件に入居しており、メンテナンス部のS君はその彼女と顔見知りだとのこと。
その管理物件に電気かガスの検針に行ったS君は、彼女が新品のバイクに乗って帰ってくるのを見たそうです。
「どうしたの?バイク買ったの?」
「Aがポンとお金出してくれたんだぁ」
A君はかねてから、給料の安いメンテナンス部から、5割増しくらいの収入になる私が管理している飲食事業部へ転属を希望しており、たびたび相談を受けていました。
Aとのことは少し話していたので、何か不自然さを感じたS君は私に話してくれたのです。
だいたい察しはつきました。
翌日、輸入代行の事務所に行って、Aに投資信託の預り証を見せて欲しいと言ったところ、
バイクについてS君に言ってしまったことを彼女から先に聞いていたのか、自分から謝ってきました。
200万円の投信の預り証は既に手元になく、N証券仙台支店に持ち込み投信を売却してしまったこと
そのうち100万円余りを既に使ってしまったこと
そんな話を聞いて、もうこの関係は終わりだなと決めました。
事業でも投資でも“割り切った損切り”は必要です。
ところで、Aは実際 大物演歌歌手Sの親族だったのか?
彼と最初に会ったときに渡された名刺が大物演歌歌手Sの東京の事業会社の名刺であったことと苗字が大物演歌歌手の本名と同じであったことは事実です。
私のこのような無防備は後に大きな損を招くことになります。
<次回に続く>