今では信じられないけれど、わたし、いいこでした。
小学校の通知表にも、とってもいいこって書いてあります。明るくて、正義感が強くて、決まりを守り、お友だちに優しい。そう、私は、元気ないいこでした。この世の春を謳歌していたのです。通知表の評価以外は、もちろん私の主観ですので、実際のズレはあったでしょう。嫌っている子もいたでしょう。でも、私は物怖じなんてすることなく発言し、クラスを引っ張る、そんな子でした。
子どもの頃の私は、ちょっぴり苦労人でした。だからこそ、私は自分を誇っていたのです。環境の悪さでグレる子どもの話を聞いて、ちょっぴり軽蔑していました。たったそんなことで、どうして?
私はえらいなあと思っていました。えらいって言われて、そうかえらいのかあと思って、いいこで頑張ろうと思いました。
でも……
ずっといいこではいられなかったのです。
わたしは中学生になって、なんだかやる気をなくしてしまいました。
つかれていたのです。いまからがんばっても無駄じゃないか? という気持ちが芽生えてしまいました。
そこそこでいいじゃないかと思いました。いちばんにはなれないんだし、そこそこで過ごそうと思って、少なくとも、それはそれでよかったはずなのです。でも、わたしはまだ知りませんでした。中庸でいいじゃんっておもえるほど、余裕のある環境ではなかったのでした。
明るくていいこなわたしが消えていったことに気付いて、そういう本を読んでお勉強をしました。こどものこころの本です。でも、変に安心だけしてしまいました。わたしは、まだ、ぜんぜんいいこだ、とおもってしまったのです。いいこだとおもいこむ子どもはいましたが、あかるくていいこは、もう、どこにもいません。
進学するにあたって、ここでわたしは少しだけいいこになってしまいました。
いきたい学校は、程度が低いからだめだといわれたので、ちゃんと勉強したら、ちゃんと選択を認めてもらえるとおもっていました。いままでなにもしていなかったので、すこしやれば成績が上がりました。
せっかくだし、その学力に合った学校に、とおもいましたが、そこもダメだといわれてしまいました。遠いからです。前々からいきたかった学校は、逆にこの成績なのにもったいないと言われる始末です。わたしは混乱しました。もっともっと勉強をがんばって、どんな人も納得できるトップの成績でも出せればまた違ったかもしれないけれど、そこまでのやる気も能力もありませんでした。
いいこの出しどころを間違えてしまったのです。そして、このままやり直せるとおもってしまったのでした。おもい返せば、自分の気持ちを伝えるチャンスはあったのに、どうせいいや、わたしはやれる、とおもってしまったのです。

結局、希望ではない学校に進学しても、一ヶ月で不登校になってしまいました。
この時期のことは、いまでもかなしい気持ちになります。
それから、すっかりがんばれなくなってしまいました。

いろいろあって、すっかりやさぐれてしまったけれど、あかるくていいこなわたしは、本当にきえてしまったのでしょうか。
あかるくていいこ、本当にいいこだったのかもわかりません。
ずっといいこでいたかったです。
そんなげんきも、もうありません。
もうおとなになってしまったのに、わたしがなりたいものって、あかるくていいこのままなのです。