今は昔。大和の国に長者がいた。屋敷の中に山を作り、池を掘るなど、豪勢な暮らしぶりであった。


この家の門番の女の息子で、真福田丸(まふくだまろ)という子供がいた。


春のこと、池のほとりで芹を摘んでいると、この長者の箱入り娘が外に出て遊んでいる姿を見てしまった。そのあまりの美しさに身分違いの恋心が生まれたが、それを伝えるすべもなく、真福田丸は悩んで、ついには病の床に臥せってしまう。


母が病の理由を強いて問うと、真福田丸は、主人の娘に恋をしてしまったことを正直に語る。


我が子の道ならぬ恋が叶うはずもない。我が子はこのまま死んでしまうだろうと思うと、母もまた病の床についてしまう。


そのとき、お屋敷の女房たちが、この門番の女のところで遊ぼうとやってくると、母と息子とが床についている。どうしたの、と聞くと、母親が言うには、「たいしたことではないんです。これこれのことを思い悩んで、親子ともに死にかかっているのです」


女房は笑って、このことを姫君に伝える。


姫君は憐れに思って、「たやすいことです。はやく病を治しなさい」と言う。それを聞いて、親子ともに喜び、起き上がり、それまで病のために食事ものどを通らなかったのだが、食事もとり、以前のように元気になった。


姫君が真福田丸にこう言う。「密かに手紙を交わそうにも、あなたが文字を書けないのでは、だめでしょ。文字を習ってちょうだい」。真福田丸は喜んで、一、二日の間に文字を習って覚えてしまう。


また姫君が言う。「私の両親もそんなに長生きできないわ。両親が死んだあと、あなたがこの家のことを取り仕切らなきゃならないのに、あなたに学問がないんじゃそれもだめね。学問をしなさいな」。真福田丸は学問をして、物の道理を見極めることができるようになった。


また姫君が言う。「私のもとに忍んで通うのに童姿じゃいやよ。法師の姿になりなさいな」。真福田丸は、頭を剃り法師姿になった。


また姫君が言う。「形ばかりの僧が来るんじゃ嫌だわ。心経や大般若などのお経を読みなさいな。本物のお坊さんにお経をあげてもらうような形でもてなせるから」。真福田丸は言われるままに経を覚えた。


また姫君が言う。「少し修行の旅に行ってらっしゃいよ。そうして一人前の僧になれば、夜に私のそばにいたって、誰も不審に思わないもの」。真福田丸は修行の旅へと出る。


姫君は憐れに思って藤袴をあつらえてやる。片袴は姫君自ら縫い付ける。


これを穿いて真福田丸は修行の旅に出たが、姫君は、はかなくも病にかかって亡くなってしまった。


真福田丸は修行の旅を終えて、早く姫君に会いたいと思って帰ってくると、なんと姫君はすでに亡くなってしまったという。


悲しむこと限りなし。真福田丸は道心が起こって、諸国を巡り貴い上人となった。名を、智光という。すでに往生してしまったが。


智光の弟子たちが、智光の後生を弔おうと行基菩薩を導師に招いたところ、行基は礼盆にのぼって、


真福田丸が藤袴、我ぞ縫いし方袴(真福田丸の藤袴、私はその片袴を縫ったのだ)


とだけ言って、礼盆から下りた。


弟子たちが不審に思い、問うと、「今は亡き智光は、極楽往生すべき人なんだ。それが、思わずも、色香に迷ってしまったので、私がこんなふうにしつらえたんだよ」とおっしゃった。


行基菩薩は、智光を極楽に導こうと、かりそめに長者の娘となったのである。


行基菩薩は文殊である。真福田丸は智光の幼名である。


仏でも菩薩でも、人間の男女の姿となって人々を極楽に導いてくださるのである。


『古本説話集』より。



『今昔』の真福田丸さんのパートよりは、はるかにわかりやすい話である。智光が死んだ後に行基登場とか、細かい(?)違いはあれども。


「牛に引かれて善光寺」とかいう話よりも、こっちの方が、リアリティーがあるわな。いい女にセックスちらつかせられたら、たいていの男の子は言うこと聞いちゃうでしょ。


「藤袴」の歌(?) ― 『今昔』では、智光のかつてのいやしい身分を智光自身に思い出させるようにも思える歌だったが、この『古本説話集』では、今、すでに亡き智光への、行基(前世の長者の娘)からの鎮魂歌のように思える。



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