ナンチャンが 「原因」 を “げいいん” と読んでしまった原因。 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓1月2日の


   『ネプリーグ新春3時間スペシャル』


ですよ。


〓めでたい正月2日目のネプチューンチームのゲストは、


   ナンチャンこと南原清隆、切れたナイフこと出川哲朗


という、専門学校時代からのクサレエンの2人。


〓でね、事件は 「ファイブ ツアーズ (ジェット)」 で起こりました。漢字のヨミガナを入力して “よみがなミサイル” で漢字を撃破するアレです。


   ナンチャンが 「原因」 という漢字の読みを 「げいいん」 と入力して自爆した


んですね。
〓これが相当にショックだったらしく、そのあとのナンチャンはガタガタで、けっきょく、ネプチューンチームまでガタガタになってしまいました。



               雪               雪               雪



〓「原因」 の読みは?


〓もちろん、正解は 「げんいん」 なんですが、テレビの前のアァタ シラー。 アァタがたの中にも、


   「えっ? なんで “げいいん” じゃダメなの?」 あせるあせる


とヒックリ返ったヒトがいたハズです。


   なぜ、“原因” を “げいいん” と読んじゃだめなの?


〓「原因」 を “げいいん” と読んでいるヒトの名誉のために言うなら、


   “げいいん” という読みは、正しいとも言えないが、マルッきりダメとも言えない


のです。


〓言語学というのは、テストの解答に○×をつけるための学問ではありません。言語学が解明し、説明しなければならないのは、


   なぜ、「原因」 の読みを “げいいん” とするヒトがいるのか


という点です。





  【 世にも珍しい [ ɴ ] という日本語の子音 】


〓まず、「原因」 を “一拍ずつ、ゆっくり” 発音するとどうなるか、示してみましょ。


   【 原因 】 [ ɡe - ɴ - i - ɴ ] [ ゲ - ん - イ - ん ]


です。


〓日本語の [ ɴ ] という子音は、かなり特殊な子音で、世界的に主要な言語でこの子音を持つのは日本語だけです。日本語を母語とするヒトなら 「ン」 を単独で発音するのはゾウサもないことですが、どんな子音なのか、と問われたら説明できるヒトは、まず、いないでしょう。


Wikipedia なんぞを見ると、


   口蓋垂鼻音 (こうがいすい・びおん) とは子音の類型の一つ。
   後舌と軟口蓋の後端で閉鎖を作り、口蓋帆を下げて
   呼気を鼻へも通すことによって生じる音。


と書いてあります。学術的な定義というのは、フツーのヒトにはナンの役にも立ちませんですナ。


   上の説明でわかるヒトには、上の説明は必要ない


〓下の系列を見てください。これは、ニンゲンの発音しうる [ n ] の系列の子音です。 [ n ] の系列の子音というのは、舌によって閉鎖をつくり、鼻から息を抜いて出す音です。


   [ n ] → [ ɲ ] → [ ŋ ] → [ ɴ ]


〓矢印が後ろに行くほど、閉鎖をつくる位置が 「舌の後ろのほう」 になります。


   [ ɲ ] は見たことがないかもしれませんが、「ニャニュニョ」 の子音


です。つまり、



   [ n ] …… [ na ] で “ナ” / 英語 on [ ɔn ]
     ↓
   [ ɲ ] …… [ ɲa ] で “ニャ” / スペイン語 ñ、フランス語・イタリア語 gn、ポルトガル語 nh
     ↓
   [ ŋ ] …… [ (maŋ)ŋa ] で “(マン)ガ” (いわゆる “鼻濁音”) / 英語 king [ 'kɪŋ ]
     ↓
   [ ɴ ] …… [ ɴ ] で “ン”


        ※日本語の 「ニャニニュニェニョ」 は、精密には [ ȵ ] であらわすべき子音だが、
          [ ȵ ] という IPA 記号は、今ひとつ普及していない。
        ※ [ ȵ ] は [ nʲ ] (ロシア語の нь) と [ ɲ ] の中間の子音。つまり、この系列の子音を、より精密に並べるなら、
          [ n ] → [ nʲ ] → [ ȵ ] → [ ɲ ] → [ ŋ ] → [ ɴ ] となろう。



と言うふうに、閉鎖を後ろにズラしながら発音してゆくと日本語の [ ɴ ] と他の子音との位置関係がわかります。


   [ ɴ ] は舌で閉鎖をつくって発音しうる “いちばん後ろの鼻子音”


です。つまり、


   「舌のいちばん後ろ」 × 「口の天井 (口蓋) のいちばん後ろ」 (=ノドチンコの位置)


という、おたがいドンヅマリの 「背水の陣」 的な位置で発音される子音です。


〓ニンゲンは、物を食べながらでも呼吸できますが、気道を確保する一瞬には、食物が気管に入らないように、口の中にとどめておかなければなりません。そのときに閉鎖されるのが [ ɴ ] の位置です。



〓まんいち、アァタがアラビア語の ق [ q ] の発音ができるなら、この位置で破裂させずに、鼻から息を抜くと [ ɴ ] になります。


〓また、この位置で閉鎖をつくらずに、


   狭め (せばめ) をつくって、ノドチンコをブルブルさせるなら、それはドイツ語の [ ʀ ] であり、
   ノドチンコと舌とのあいだでフーフーと摩擦音を出すなら、それはフランス語の [ ʁ ]


です。

〓アラビア語、ドイツ語、フランス語ウンヌンは、わからなくても大丈夫。


   [ ɴ ] という子音の “調音位置” がわかれば OK


です。






  【 「原因」 は、実際には、どう発音されているのか? 】


〓先ほど、「原因」 の発音を、


   【 原因 】 [ ɡe - ɴ - i - ɴ ] [ ゲ - ん - イ - ん ]


だと申し上げましたが、これは、一拍ずつ区切ったときの発音です。日常会話で、そんなふうに発音するヒトはいません。日が暮れちゃいますよ。


〓ならば、


   【 原因 】 [ ɡeɴiɴ ]


でいいか、というと、そうは問屋がオロしまへん。これでは、


   「ゲニン」 というか、「ゲキ゚ン」 というか、そんな音になってしまう


のです。日本語では、 [ ɴ ] はゼッタイの言い切り ── つまり、語末・文末でしか現れませんから、こういう発音はありえない。日本語には [ ɴ + 母音 ] という発音は出現しません。


〓英語では、


   on-air [ ˌɔn 'nɛɚ ] [ ˌ オン ' ネァ ] 「放送中の」


のごとく、「連声」 (れんじょう=リエゾン) を起こします。つまり、“渡り音” の [ n ] を生じます。そして、そのような発音をしても意味は変わりません。

〓しかし、日本語ではそうはいかない。「ン」 のあとに母音が来ると、「連声」 を避けます。どのように避けるか。


   先行する母音を “鼻母音” にすることで、 [ ɴ ] という子音の代用にする


のです。すなわち、


   【 原因 】 [ ɡẽ:iɴ ] [ ゲ˜ーイん ]

       ※ IPA (発音記号) では、母音字の上に [ ˜ ] を付けることで鼻母音をあらわす。
       ※ここでは、カナ表記の臨時表現として [ ˜ ] で、前の母音が “鼻母音” として響くことをあらわす。


となります。


「鼻母音」 (びぼいん) というのは、鼻からも息を抜きながら発音する母音で、フランス語に頻繁に現れます。あのナンか 「フンフンフンフン」 いう感じの音ですね。実は、日本語というのは、フランス語ほどではないにしても、鼻母音が多い言語なんです。



               雪の結晶               雪の結晶               雪の結晶



〓どうでしょう。「原因」 というのは [ ɡẽ:iɴ ] と発音されるので、これをカナでは便宜的に 「げんいん」 と書くのです。 “ん” が2回出てきますが、実際には、それぞれ、異なる音です。


〓また、 [ ɡẽ: ] と長母音で表記するのは、「げ・ん」 が2拍分に発音されるからです。カナでは 「げ・ん」 と表記するものの、


   [ ẽ: ] という母音は、「エ」“鼻からの息であらわされる 「ン」” を同時に響かせる音


なんですね。だから、これを2拍に発音する。


「母音+鼻子音 (n 系統の子音)」 が “鼻母音” に転じる例は、多くの言語に見られます。一種の “省エネ発音” なんですね。



   sanctus [ 'saŋktus ] [ ' サンクトゥス ] 「聖なる」。ラテン語
    ↓
   saint [ 'sɛ̃ ] [ ' サん ] フランス語
   são [ 'sɐ̃w̃ ] [ ' サォん ] ポルトガル語



〓カナでは、発音を 「サん」、「サォん」 と書いていますが、実際には、母音と鼻音は同時に出ています。鼻音のほうが後に残って聞こえるので、「サん」 のように書きたくなるんですね。






  【 「原因」 の発音は、そんなにカンタンじゃない 】


〓ハナシはこれで解決ではありません。


〓ニンゲンの発する音声というのは、当人が意識している以上に複雑です。先ほど、日常会話における 「原因」 の実際の発音は、


   【 原因 】 [ ɡẽ:iɴ ] [ ゲ˜ーイん ]


だと申し上げましたが、これは、原理を説明したものにすぎません。


〓このコトバを、日常会話で [ ɡẽ:iɴ ] [ ゲ˜ーイん ] と発音しているヒトは、まず、いないでしょう。実は、


   [ ɡẽ: ] という2拍を発音しているあいだに、次の [ i ] にあわせて舌が移動している


のです。実際の発音を記すなら、


   【 原因 】 [ ɡẽĩiɴ ] [ ゲ˜˜イん ]


となります。


   どうですか? わかってきたでしょ? べーっだ!


〓この [ ɡẽĩiɴ ] [ ゲ˜˜イん ] という発音の “鼻音” を取り去ってしまうと、まさに、


   [ ɡeiiɴ ] [ ゲイイん ]


となります。


鼻音をまじえる発音というのはムズカシイために、これを単純に、この


   「ゲイイン」


という音で発音してすませる子どもたちがいるんですね。


〓こういう発音をしても困らない理由があります。つまり、カナ表記で 「げいいん」 となる単語、たとえば、「鯨飲」 などは、 [ ɡeiiɴ ] とは発音されないからです。


   【 鯨飲 】 [ ɡe:iɴ ] [ ゲーイん ]


〓ひじょうにヤヤコシイですが、標準的な日本語の発音に対して、鼻母音を使わない方式の発音、というものがありうるのです。



   標準音
    【 原因 】 「げんいん」 [ ɡẽĩiɴ ] [ ゲ˜˜イん ]
    【 鯨飲 】 「げいいん」 [ ɡe:iɴ ] [ ゲーイん ]


   鼻音抜きの発音
    【 原因 】 「????」 [ ɡei ] [ ゲイイん ]
    【 鯨飲 】 「げいいん」 [ ɡe:iɴ ] [ ゲーイん ]



〓どうですか。発音がオカシクても、一応、単語の区別はつく。現代日本語には、基本的に 「エイ」 という音がなく、歴史的に、すべて 「エー」 となってしまったため、その空いた 「エイ」 という音をたくみに再利用しているわけです。

〓こうした発音は、子どもたちに多いとは言え、


   「原因」 のように、子どものころから口語として言い慣れてしまった単語では、
   “鼻音” を抜いてしまった “非標準的な発音” を大人でも使っていることがある


のです。そうすると、


   大人でも 「原因」 を 「げいいん」 と発音する


という事態があらわれます。


〓今、申し上げたとおり、話しコトバでは、「原因」 と 「鯨飲」 の区別がつくので、意思の疎通のうえで問題は生じません。ところが、カンジンなところで1つの破綻 (はたん) が生じます。すなわち、


   [ ɡeiiɴ ] と発音している 「原因」 のカナ表記をどうするか?


という問題です。 「????」 に当たる表記です。


〓発音どおり 「げいいん」 と書くと、 “鯨飲” の 「げいいん」 とバッティングします。つまり、「正音法」 (せいおんほう=発音法) と 「正字法」 (せいじほう=綴り方) のあいだに1つずつ “変遷” のズレがあるために、こうなるのです。つまり、現代日本語が 「鯨飲」 を表音的に 「げーいん」 と書くのであれば不整合 (ふせいごう) は生じなかったのです。


〓フツーの日本人は、こんなに細かい問題に気がつきませんネ。だから、


   ナンチャンは、自分が発音しているとおり 「げいいん」 と書いてしまった


わけです。



               雪               雪               雪



〓“ん” のあとに “母音” が来るコトバでは、こういう問題の起こる可能性があります。たとえば、


   【 全員 】 「ぜんいん」 [ dzẽĩiɴ ] → [ dzeiiɴ ] 「ぜいいん」
   【 店員 】 「てんいん」 [ tẽĩiɴ ] → [ teiiɴ ] 「ていいん」
      cf. 【 定員 】 [ te:iɴ ]


などですね。ただし、これらは子どものころからよく使うコトバです。


〓これに対して、


   大人になってから覚えたコトバでは、こういう問題は起こらない


のが普通です。
〓「原因」 を “げいいん” と発音しているヒトでも、


   【 参院 】 [ sãĩiɴ ] [ サ˜˜イん ]
   【 軍医 】 [ ɡũĩi ] [ グ˜˜イ ]
   【 婚姻 】 [ kõĩiɴ ] [ コ˜˜イん ]


などはチャンと発音できるはずです。



               雪の結晶               雪の結晶               雪の結晶



〓以上のハナシと関連した例として、


   【 雰囲気 】 「ふんいき」 [ ɸɯ̃ĩiki ] [ フ˜˜イキ ]
      ※実際の発音は語末の -i が無声化する


があります。これを 「ふいいき」 と覚えているヒトも多いようです。「げいいん」 と同様、鼻音を抜いた発音です。「雰囲気」 というのも子どものころから使うことが多いコトバですね。


〓ところが、この単語の場合は、もういっぱいフシギな異音が生じているようです。


   「フ(˜)イ˜(イ)キ」 → 「フ˜キ」


〓まったくキミョウなんですが、


   “フの鼻音” と “鼻音でないイ” を抜いている


んですね。つまり、「ふいんき」 という読みです。


   「フイ˜キ」 [ ɸɯĩki ]  [ ɸɯiŋki ] 「フインキ」


〓単に、「ふんいき」 の “い” と “ん” が転倒しただけだ、という解釈もできますが、


   「雰囲気」 を “ふいんき” と発音するヒトは、そもそも、“ふんいき” という音を認識していない


ことから起こるものです。また、そもそも、


   「ふんいき」 という単語は、「ふ→ん→い→き」 という順番に発音がなされているわけではない


んですね。だから、


   【 山茶花 】 「さんざか」 [ sandzaka ] → 「さざんか」 [ sazaŋka ]
   【 舌鼓 】 「したつづみ」 [ ɕitatsɯzɯmi ] → 「したづつみ」 [ ɕitazɯtsɯmi ]
       ※母音の無声化は無視している


のような、言いやすくするための 「音の転倒」 とは、少々、異質と言えましょう



               雪               雪               雪



〓ナンチャンは、「原因」 が “げいいん” でなかったことに、トテツもない衝撃を受け、ガッカリしてしまったようですが、まあ、それほど落ち込むにはあたりません。少なくとも、自分が、どういう発音をしているか、自己分析するだけの能力があるわけですから。