「ランドセル」 の語源 ── 「ド」 はどこから来たのか? - 後編 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

   げたにれの “日日是言語学”-ミリタリーショップ

    オランダのオンライン・ミリタリー・ショップ内の1ページ。

    商品名がハッキリと Randsel になっている。



   パンダ こちらは後編のアタマでやす。 前編は ↓

       http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10374586320.html




〓ハナシをもとに戻します。


〓オランダ語の ransel でも同じことが言えます。 [ n ] と [ s ] の間に渡り音 [ t ] が現れるのです。この単語はオランダ人にとっても語源が明瞭ではありません。おそらく、無意識に ran- + -sel と分析するのでしょう。すると、「ランツェル」 と発音し、それをそのまま表記しようとするヒトがいると、


   rand- + -sel


となります。なぜなら、オランダ語の普通名詞には rant という語がなく、次の語があるからです。


   rand [ 'ʁɑnt ] [ ' ラント ] 「縁、へり、フレーム」


〓複数形だと randen [ ' ランデ(ン) ] と [ d ] が現れますが、単数では、語末の有声子音が無声化するので 「ラント」 です。なので、


   randsel [ 'ʁɑntsəl ] [ ' ランツェる ]


です。


〓実は、こうした書記法は、すでにオランダ語ではオナジミのものです。


   Nederlands [ 'ne:dəʁlɑnᵗs ] [ ' ネーデルらンス / ' ネーデルらンツ ] 「オランダ語」
   IJslands [ 'ɛislɑnᵗs ] [ ' エイスらンス / ' エイスらンツ ] 「アイスランド語」


〓通例、 -nd に終わる地名に -s という接尾辞をつけて 「形容詞、および、言語名」 をつくると、語末の子音群から d [ t ] の音が脱落しやすくなります。つまり、日常の口語のレベルでは、


   ransel の -ns- と
   Nederlands の -nds は発音が同じになる


わけです。すなわち、実際に d [ t ] が綴られる単語と、 [ t ] が無いのに渡り音が発生する単語が等価になる。そのために、


   randsel


というカン違いの綴りが生まれるわけです。さすれば、「ランツェル」 であるのに、 rantsel よりも randsel という綴りのほうが多い理由がわかるでしょう。






  【 オランダ語の ransel の語源 】



〓しかし、オランダ語で randsel と綴るヒトがいる原因は、単に、「渡り音」 が聞こえるから、というだけではないかもしれません。それは、 ransel という単語の語源を探ることで見えてきます。

〓オランダのネットで使われている randsel という綴りが、単なる、“カン違い綴り” ばかりではないことを、ひとつ、次の文章で証明してみましょう。



――――――――――――――――――――
Zijn voorhoofd is rond, zijn aangezicht ovaal, ogen blauw, neus gewoon. Zijn haar en wenkbrauwen waren lichtbruin. In 1834 had hij al een sabelkoppel gekregen, in 1840 een “randsel”, maar pas in 1843 kreeg hij een sabel met schede. Als smid bij de artillerie-inrichting te Delft heeft hij zijn toekomstige vrouw leren kennen.


彼の額は丸味を帯び、顔はタマゴ形で、目は青く、鼻は人並み、まゆ毛は栗色だった。1834年、彼はすでにサーベルの剣帯 sabelkoppel を、そして、1840年には “背囊” randsel を手に入れていたが、鞘 (さや) 付きのサーベルを手に入れたのは、ようやく1843年になってからだった。デルフトの砲兵隊付きの鍛冶屋をしているときに、将来の妻と出会った。


http://www.familie-jense.nl/html/generatie_ii.html
――――――――――――――――――――



〓これは、小説ではありません。ネット上に公開されている、とあるオランダの 「イェンセ(ン) Jensen 家」 の年代記の一部です。ここに登場する 「彼」 というのは、Jan Jensen 「ヤン・イェンセン」 という人物で、1815年、ロッテルダム生まれ、砲兵隊で鍛冶職人をしていました。つまり、軍隊で働いていたんですが、兵隊ではなかった。軍備が支給されなかったんでしょう。


〓この文章の原文を見ると、わざわざ引用符を用いて、


   “randsel” 「ランツェル」


と記してあります。この引用符はアッシが付けたものではありません。


〓この引用符は、現在の正書法から言うとオカシナ randsel という綴りがママであり、19世紀の半ばの人にとっては、「背囊」 は randsel であったことを示唆しているのでしょう。
〓日本語で言うなら、「彼の家は貧しかったので “ピヤノ” を買ってはもらえなかった」 と書くようなものでしょう。



               もみじ              もみじ               もみじ



〓では、ransel の語源を探ってまいりませう。


〓そもそも、この単語の祖先は、まず、


   rentser [ ' レンツェル ] 「旅囊」  (りょのう)


としてオランダ語に現れているらしい。 s が ts になっており、語末も -el ではなく、 -er です。


〓日本語では、何とも表現のしようがないんですが、とりあえず、「旅囊」 としましょう。「囊」 (のう) というのは 「大きな袋」 という意味です。文字を分解すると、

   
    げたにれの “日日是言語学”-嚢の象形文字1

という 「大きな袋」 の象形文字の中に 「襄」 という音をあらわす文字が入っているんですね。上の

   
    げたにれの “日日是言語学”-嚢の象形文字2
の部分は 「袋の口を閉じたようす」 をあらわしています。


〓「囊」 の場合は、底の部分に当たる 「木」 (底の綴じ目) が省略されています。また、合字の都合から 「襄」 の上部にある 「亠」 がやはり省略されています。

〓同じ方式で造字されている文字に


     音読み 「タク」、訓読み 「ふくろ」  ※「小さな袋」 の意。


があります。こちらは 「袋の底の綴じ目にあたる “木”」 が残っています。



〓どちらにしても、“囊” は 「大きな袋」 の意。日本では、近代以降、生物の袋状の器官を指す学術語、および、軍隊における袋状の装備を指す用語に頻用されています。


〓一般によく知られたコトバで 「囊」 を使っているものは意外に多いんですが、「のう」 と仮名書きされる傾向があります。


   土囊 (どのう)
   氷囊 (ひょうのう)


なんてのはオナジミですね。軍隊用語としては、


   背囊 (はいのう)
   雑囊 (ざつのう)


があります。生物の器官を指すコトバとしては、


   育児囊 (いくじのう) “カンガルーなど有袋類のメスにある袋”
   砂囊 (さのう) “焼き鳥で言う砂肝 (すなぎも)”
   胆囊 (たんのう) “消化に必要な胆汁をたくわえる器官”
   陰囊 (いんのう) “タマブクロですね”


などがあります。
〓学術用語、軍隊用語としては、ふだん聞かないようなコトバにもっとたくさん使われています。



rentser 「旅囊」 というのは、昔のドイツ語圏の旅人が身のまわりの物を運ぶために使った “大きな袋” を指すようです。


〓「ムーミン」 に登場するスナフキンのようなイメージが浮かぶかもしれませんが、現在のリュックサックのように袋を肩のベルトで背負うものは、すでに申し上げたとおり 16世紀、スイスの生まれで、標準語圏で知られるのは19世紀です。
〓だから、あれじゃない。


〓中世のドイツ語圏には、職人が 「徒弟」 から 「マイスター」 (親方) になるにあたって、各地の都市を渡り歩いて修行を積み重ねる、という習慣があったようです。こうした、「遍歴職人」 ein fahrender Gesell [ ' ファーレンダァ ゲ ' ゼる ] が、身の回りの品を袋に詰め、棒の先に吊し、テコの原理で肩に担いだものを rentser と言ったようです。




   げたにれの “日日是言語学”-エツィの装備の再現
    エツィの装備を再現したもの



〓ところで、1991年、オーストリアとイタリアの国境にあるエッツ渓谷 Ötztal [ 'œtsta:l ] の、海抜3210メートルの氷河の中から、5300年前のミイラが見つかりました。紀元前3300年ごろの男性で、彼は新石器時代から銅器時代に移るころの人類でした。


〓日本では、彼は 「アイスマン」 Iceman として知られていますが、ドイツ語では、エッツ渓谷で見つかったことから、 Ötzi [ 'œtsi ] [ ' エツィ ] ( -i は愛称語尾) の名で呼ばれています。


〓実は、エツィは、すでに 「背負子」 (しょいこ) を用いていました。つまり、リュックサックのように、ベルトを両肩に掛けて、背中に荷物を背負う道具ですね。
〓しかし、リュックサックとは決定的な違いがあります。つまり、背面が 「袋」 ではないのです。彼が背負っていたのは荷物をくくりつけるフレームに、肩に掛けるベルトが付いているだけなんですね。こうした道具は、遙かな紀元前から存在していました。


〓こういうものを日本語では 「背負子」 (しょいこ) と言いました。「知らん」 とは言わせませんぜ にひひ



   げたにれの “日日是言語学”-二宮尊徳貯金台紙
    二宮金次郎 (尊徳) さん



を見たことありまっしゃろ。あれは、二宮さんが 「背負子にくくりつけた薪 (たきぎ) の山」 を背負っているようすをあらわしておるんですよ。


〓永六輔氏によると、二宮尊徳という人は、集めた薪を背負って町へ行き、それを売ったお金で本を買い、帰る道すがら、それを読んでいたのだ、と言います。つまり、二宮尊徳像というのは、二宮さんの勤勉を強調するために、


   行きと帰りの二宮さんの姿を合体させた像


なんだそうです。だから実在しなかった姿です。

〓するってえと、二宮尊徳像というのは、1つの立像の中に複数の時間を表現した、一種のモダンアートということになります。「未来派」 Futurismo “フトゥリズモ” の彫刻作品ですね。



〓というタワゴトは置きまして……

〓リュックサックを生んだ土地ガラだけのことはあって、ドイツ語には、


   Kraxe [ 'kʀaksə ] [ ク ' ラクセ ] 「背負子」。ドイツ語


という、「背負子」 を指す単語があります。これに相当する英単語というのが、ちょいと見当たらないんですね。「背負子」 の誕生と、けわしい山がちの地形、というのは関連性があるのかもしれません。

〓もちろん、「エツィ」 の背負っていたものも Kraxe です。



〓で、ハナシを rentser に戻します。
〓このオランダ語の rentser は中期低地ドイツ語 (1370~1530のあいだのドイツ北部のドイツ語) からの借用語でした。中期低地ドイツ語では、


   rentsel, rentel [ ' レンツェる、' レンテる ]
   rentser, renter [ ' レンツェル、' レンテル ]


などと言いました。 -el は動詞の語幹に付けて 「~する道具」 という名詞を派生し、また、 -er も 「~する人・道具」 という名詞を派生します。つまり、接尾辞は -el, -er と異なっていても、意味は同じ、ということです。


〓現代ドイツ語の辞書を引くと、


   Ränzel [ 'ʀɛntsəl ] [ ' レンツェる ] <方言> 「旅囊」 (りょのう)


という単語が載っています。これこそが、標準ドイツ語 (ドイツ南部の高地ドイツ語) に入った、北部の低地ドイツ語の rentsel 「レンツェル」 です。


〓この語は、現代低地ドイツ語 Plattdeutsch にもあり、


   Ranzel [ 'ræntsəl ] [ ' レンツェる ] 「リュックサック、背囊」。低地ドイツ語


と言います。



〓ここで、「高地ドイツ語」 と 「低地ドイツ語」 の説明をしておきましょ。


〓「ドイツ語」 は大きく2つの方言に分けられます。


   「低地ドイツ語」 ── 北部の標高の低い、海沿いの地域のドイツ語
   「高地ドイツ語」 ── 中部・南部の標高の高い、山がちの地域のドイツ語


〓この2方言のうち、現代の標準ドイツ語になったのは 「高地ドイツ語」 でした。「古期高地ドイツ語」 とか 「中期高地ドイツ語」 などというのは、現代ドイツ語につながる、古い時代の言語である、と覚えておいてください。


〓いっぽうで、「低地ドイツ語」 は、現代に至るまで、統一的な文語、および、正書法が成立せず、しばしば 「標準ドイツ語」 に比して劣勢におかれ、格が低く見られています。
〓しかし、「低地ドイツ語」 は、日本人でもその名をよく知る、中世の 「ハンザ同盟」 の共通語でした。



〓ビートルズが好きなヒトならば、 “She Loves You” のドイツ語版を聴いたことがあるかもしれません。


   »Sie liebt dik, ja, ja, ja...« [ ズィ りープト ディック ヤーヤーヤー ]


〓この dik 「ディック」 ですね。歌詞があったら dich と書いてあるかもしれない。すなわち、標準ドイツ語の dich [ 'dɪç ] [ ディヒ ] 「きみを」 の低地ドイツ語式の発音です。ビートルズはハンブルクのクラブで、この低地ドイツ語式の発音を覚えたんでしょう。



〓で、 rentser ですが、古い時代のオランダ語に rentser があったと言っても、現代オランダ語では ransel です。 rentser が変化して ransel になることは考えづらい。つまり、 ransel は rentser を継承したコトバではないのです。




〓この先は、少々、込み入ったハナシになります。コトバの歴史というのは、あんがい、複雑で “わりきれない” ものであり、説明を聞いたあとで、ヒザを打って 「なるほど!」 などと感心できるものはメッタにありません。


〓低地ドイツ語の rentser, rentsel 「旅囊」 ですが、これは中期高地ドイツ語に借用されて、こうなっていました。


   rans [ ' ランス ] 「腹、太鼓腹」。中期高地ドイツ語


〓なるほど、旅の品を入れる大きな袋が 「太鼓腹」 というのはよくわかります。これが、初期新高地ドイツ語 (現代ドイツ語の一歩手前のドイツ語/1350~1650) で、こうなります。


   rantz [ ' ランツ ] 1510年


〓そして、この時代、西はアルザス (現在はフランス領東部) から東はシュレージエン (現在はポーランド領南部) に至るまで、すべての高地ドイツ語圏において、


   Sack [ 'zak ] [ ' ザック ] 「粗布でこしらえた大型の袋」。現代ドイツ語


を意味する隠語として、遍歴職人たちのあいだで使われていました。つまり、この rans, rantz というのは、つねに、「旅人の持ち運ぶ袋」 か 「それを思わせる大きな腹」 を意味する俗なコトバだったのでしょう。そして、このコトバを広めて歩いたのは、遍歴職人であったらしい。


〓現代ドイツ語につながる 「新高地ドイツ語時代」 (1650~) に入ると、この単語は口語として一般の人々にも普及し、しだいに、「旅囊」、「腹」、「太鼓腹」 などを意味する普通のドイツ語彙となってゆきました。


rantz が現代ドイツ語では、


   Ranzen [ 'ʀantsən ] [ ' ランツェン ] 「背囊、ランドセル」。現代ドイツ語


となっているのは、 rantz の格変化の型が変わってしまったからです。複数の語尾 -en が単数主格にまで付くようになってしまいました。






  【 軍隊の近代化と 「背囊」 の誕生 】


〓古い時代のオランダ語形 rentser に対して、現代オランダ語形が ransel となっているのは、フランス革命をキッカケとして、19世紀初頭にヨーロッパでドミノ式に起こった軍隊の近代化と関係があります。


〓軍隊の近代化は、装備の近代化をともなっており、その近代的な装備の1つとして 「背囊」 がプロイセンからオランダに導入されたのです。コトバの導入は、あらたな物の導入をともないます。


〓軍隊の装備としてのリュックサック型の 「背囊」 が生まれたのは、リュックサック (16世紀スイス) より遙かに新しい19世紀の初頭です。


〓戦争というものが、職業軍人ではなく、一般の国民から徴発されたシロウト兵士の集団によって戦われるようになったのは、18世紀末のフランス革命、ジャコバン独裁期からでした。近代国家における 「国民皆兵」 制度の幕あきです。
〓19世紀初頭のヨーロッパにおいて、このフランスの徴兵制は、周辺諸国に対するたいへんな脅威であり、これに敵対するために、各国が相次いで徴兵制を導入しました。



   1810 オランダ
   …………………………
   1812 スウェーデン
   1814 プロイセン、ノルウェー
   1831 スペイン
   1849 デンマーク
   …………………………
   1873 日本



〓オランダは、1810年当時、フランス統治下にあり、その支配下での徴兵制の導入でした。


〓こうしたシロウトから成る近代国家の軍隊は、シロウト兵士の訓練と同時に、軍装備の機能の強化と統一的な規格を必要としました。そうしたなかで、プロイセンで採用されたのが、食糧や弾薬などを運べて、なおかつ、両手が使え、戦闘でジャマにならない 「背囊」 でした。


〓ここで、遍歴職人の荷物入れであった


   Ranzen [ ' ランツェン ] 標準ドイツ語 (高地ドイツ語)
   Ranzel [ ' ランツェる ] 低地ドイツ語


というコトバが刷新され、一躍、脚光を浴びることになったのです。


〓プロイセンで実用化された 「背囊」 が、すぐにオランダの軍隊でも導入されたことは容易に想像できます。その際、プロイセンの国土の大部分が 「低地ドイツ語圏」 であったことは重要かもしれません。


〓標準ドイツ語で 「背囊」 を Ranzen 「ランツェン」 と言ったとしても、大多数を占める低地ドイツ語地域の出身者は、これを Ranzel 「ランツェル」 と呼んだにちがいないからです。


〓また、オランダ語は “低地ドイツ語方言の1つ” であることも重要です。言語学的には、そのように言えますが、政治的にはそのように言うことが憚 (はばか) られるのですね。つまり、ドイツの低地ドイツ語の諸方言とオランダ語とは、兄弟の言語と言ってもいい。




げたにれの “日日是言語学”

 左はドイツ語の方言圏の地図。 黄緑が 「低地ドイツ語」、黄土色が 「高地ドイツ語」。

 また、右の地図で、紺色であらわされているのが、1815年のウィーン会議後の 「プロイセン」 の版図。



〓プロイセンで徴兵制が始まったのが 1814年ですから、オランダに、軍装備としての ransel が導入されたのは、もちろん、それ以降でしょう。ここで、先にあげた 「イェンセン家の年代記」 の文章を思い出してみましょう。



――――――――――――――――――――
1834年、彼はすでにサーベルの剣帯 sabelkoppel を、そして、1840年には “背囊” randsel を手に入れていたが、鞘 (さや) 付きのサーベルを手に入れたのは、ようやく1843年になってからだった。
――――――――――――――――――――



〓おそらく、ここに登場する砲兵隊付きの鍛冶屋、ヤン・イェンセンは、


   当時の最新の軍装備


が欲しかったにちがいありません。しかし、「剣帯」、「背囊」、「鞘つきのサーベル」 を揃えるのに9年もかかっています。それほど高価で垂涎 (すいぜん) のものだった、と想像できます。


〓すると、ここで、高野長英が 1850年に 「ラントスル」 というオランダ語を書き記したことが重要になります。つまり、「背囊」 は、当時のオランダの軍隊でも最新鋭の装備だったのです。

〓つまり、


   日本に 「ランドセル」 と呼ばれる軍装備が入ってきたのは、
   オランダ軍じたいがそれを導入してから、さほど年月が経っていないころ


だったのではないでしょうか。
〓そして、


   導入当時の日本語における表記がおしなべて 「ランドセル」、「ラントスル」


であるのは、当時のオランダ人が、プロイセン渡りの 「背囊」 を、まだ完全にオランダ語化していない低地ドイツ語音で randsel, rantsel と書き記していたことの証拠になります。



〓ここで、オランダ語の基本に戻ってみます。

〓軍隊の 「背囊」 は、ドイツ語で Ranzen [ ' ランツェン ]、低地ドイツ語で Ranzel [ ' ランツェる ] と、どちらも [ ts ] 音が現れます。ところが、


   オランダ語には [ ts ] という音素がない


のです。 z という文字は使いますが、あらわす音は [ z ] 音です。なので、 [ ts ] の表記には使えない。
〓だから、 Ranzel を “厳格に” オランダ語化すると、


   ransel [ ' ランセる ]


になってしまう。

〓しかし、ここで、先に述べたとおり 「渡り音」 がからんでくるんですね。つまり、オランダ語に [ ts ] という音素はないので ransel となるハズだが、「渡り音」 のために、実際には、


   ransel [ 'ʁɑnsəl ] → [ 'ʁɑnsəl ]


というふうに、低地オランダ語ふうに発音できてしまう。すると、オランダ人は d をはさんで randsel と書きたくなる。


〓いずれにしても、オランダ人が ransel を 「ランドセル」 のごとく発音した可能性はゼロです。「ランセル」 か 「ランツェル」 以外ありえない。


〓ですから、日本人が ransel を 「ランドセル」、「ラントセル」 としたのは、その当時、直接、オランダ人の発音を聴いて書き写したからではなく、randsel, rantsel という当時のオランダ語の綴りを、そのままカナに置き換えたからだ、と考えられるのです。