「ハルマゲドン」 と 「アルマゲドン」 はどう違うのか? | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

   げたにれの “日日是言語学”-アルマゲドン




〓先週の土曜日に、また、『アルマゲドン』 やってましたなぁ。

「ハルマゲドン」 「アルマゲドン」。よく似ていて、ビミョーに違う、この2つのコトバが気にかかっているヒト、必ずやいるでゲショウ。


〓映画を最後まで見ても、ナニが違うのかわかりません。さあて、こういう疑問てえのは、なかなかもって、誰も解決してくれませんやね。






  【 「ハルマゲドン」、「アルマゲドン」 の登場 】



〓「ハルマゲドン」 というコトバを日本で有名にしたのは、


   『ノストラダムスの大予言』  (1973)


を書いたフリーライターの五島勉 (ごとう べん) 氏、


   角川映画 『幻魔大戦 (げんまたいせん)  (1983)


のCMで使われた 「ハルマゲドン接近」 というコピー、そして、


   オウム真理教のとなえていた 「ハルマゲドン」  (1995)


といったところだと思います。10年ごとなのが不気味です。


〓この 「ハルマゲドン」 というのは、


  日本語版の 『新約聖書』 から取られた語形


です。ノストラダムスが、「ハルマゲドン」 について何語で書いたにせよ、フランス語でもラテン語でも 「ハルマゲドン」 は Armageddon であり、これをカナに写すと 「アルマゲ(ッ)ドン」 になるはずなのです。


〓1998年のアメリカ映画 『アルマゲドン』 “Armageddon” のタイトルも、やはり、『新約聖書』 からとられたものです。邦題 『アルマゲドン』 は、この “Armageddon” という英題のカタカナ転写。発音は、


   Armageddon [ ˌ ɑɚmə ˈ ged˺n ] [ ˌ アァマ ' ゲドヌ ] 「アーマゲドン」


です。つまり、映画のタイトルは 『アーマゲドン』 でよかった。しかし、「ハルマゲドン」 というコトバが日本で定着していたので、それに引きずられて 「アルマゲドン」 になった。なので、フツーのヒトには 「?」 なことになった。


〓この映画に、なぜ、「アルマゲドン」 というタイトルがついたかというと、


   英語では、「この世の最後をもたらすような深刻な戦争・戦闘」


という比喩的な意味で Armageddon を使うからです。つまり、「地球の最後を掛けた、小惑星相手の戦争」 という意味で Armageddon と言っているんです。






   【 「ハ」 と 「ア」 の違い 】


〓では、この 「ハルマゲドン」 と 「アルマゲドン」 の語頭の h の有無はなんなのか?


〓「ハルマゲドン」 というのは、そもそも、現在はイスラエル領内にある、パレスチナの土地の名前です。以前、「ヒヤシンスと風信子」 について書いたときに、長い長い回り道の “道ばた” にちょっと書きました。
〓しかし、「ハルマゲドン」 というコトバの意味を説明する前に、ちょと、『聖書』 と、それが何語で書かれているか、を説明いたしやしょう。




〓『聖書』 には、『旧約聖書』 と 『新約聖書』 があります。そして、


   『旧約聖書』 はヘブライ語で (一部にアラム語)
   『新約聖書』 はギリシャ語で


で書かれています。日本人は、ヨーロッパ基準でモノを考えるので、


   『聖書』 = 『旧約聖書』 『新約聖書』


と考えがちですが、ユダヤ教徒にとっては、『聖書』 と言えば、『旧約聖書』 のみです。


〓“旧約” というのは、「ユダヤ人が神とのあいだに結んだ、古い契約」 のことであり、“新約” というのは、イエス・キリストが提示することによって 「神とのあいだに新たに結ばれた、新しい契約」 という意味です。
〓古代のユダヤ人の母語であったヘブライ語は、地域の有力言語である 「アラム語」 が擡頭 (たいとう) するにつれ、しだいに話されることが少なくなっていきました。イエス・キリストも、ヘブライ語とアラム語の両方を話した、と伝えられています。


〓ヘブライ語が、口語としてまったく使われなくなったのは、紀元4世紀ころと考えられています。現在、イスラエルで話されているヘブライ語は、帝政ロシアに生まれたアシュケナージ系ユダヤ人、ベン・イェフダーの努力により、20世紀に話しコトバとして復活したものです。
〓いったん、口語としては死語となった言語が、日常の口語として復活した例は、あとにも先にもヘブライ語だけです。


〓『旧約聖書』 の 「イザヤ書」 によれば、ヒゼキヤ王時代の (紀元前700年ころ) ユダ王国に、アッシリアが攻めてきたことがあって、次のような記述があります。




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エルヤキムとシェブナとヨア (ユダ王国の高官たち) は、ラブ・シャケ (アッシリアの武将) に願った。「僕 (しもべ) どもはアラム語が分かります。どうぞ、アラム語でお話しください。城壁の上にいる民が聞いているところで、わたしどもにユダの言葉で話さないでください。


      ── イザヤ書 36:11


――――――――――――――――――――――――――――――




〓これは、すなわち、敵の武将との会談において、アッシリア側の言う脅しが、ユダ王国の一般民衆に聞こえるとパニックが起こる、とユダ王国の高官たちが考えたことを示しています。つまり、この時代、


   紀元前700年ごろ、一般のユダヤ人は、まだ、アラム語が理解できなかった


ということを示しています。
〓しかし、このころからアラム語は古代オリエントの通商語・国際語として通用を始めていました。


〓そのユダ王国は、紀元前612年に新バビロニア (カルデア王国) に滅ぼされ、多くのユダヤ人がバビロニアに強制移住させられました。いわゆる 「バビロン虜囚」 です。「エレミヤ書」 によると、




――――――――――――――――――――――――――――――


ネブカドレツァルが捕囚として連れ去った民の数をここに記すと、第七年に連れ去ったユダの人々が三千二十三人、ネブカドレツァルの第十八年にエルサレムから連れ去った者が八百三十二人であった。ネブカドレツァルの第二十三年には、親衛隊の長ネブザルアダンがユダの人々七百四十五人を捕囚として連れ去った。総数は四千六百人である。


      ── エレミヤ書 52:28-30


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〓紀元前550年に、小アジア、メソポタミアを征服したアケメネス朝ペルシャは、古代ペルシャ語とならんで、アラム語も公用語としました。紀元前537年、ペルシャは新バビロニアを滅ぼし、ユダヤ人は故地に帰還することを許されました。 3/4世紀にもおよぶ虜囚生活でした。


〓しかし、紀元135年には、この地上からユダヤ人の国が消滅しました。ローマ帝国は、ユダヤ属州の反乱に手を焼き、これを根絶やしにする挙に出ました。ここにユダヤ人のディアスポラが始まります。
〓そして、四散したユダヤ人のあいだでも、しだいにヘブライ語が話されなくなっていったものと推測できます。



                お月様            お月様            お月様



〓ハナシをもとに戻しやしょう。「ハルマゲドン」 とは、どういうコトバなのか、ということですね。まず、


   הַר har [ ' ハル ] 「山」。ヘブライ語


というのは、ヘブライ語で 「山」 の意味です。


〓そして、「マゲドン」 のもとになったのは、同じくヘブライ語の


   מְגִדּוֹ məgiddō [ məɣid ˈ do: ] [ マギッ ' ドー ] 「メギドー」。古典ヘブライ語音


で、これは地名です。




げたにれの “日日是言語学”-メギド地図2  げたにれの “日日是言語学”-メギド地図1


げたにれの “日日是言語学”-メギド



〓日本語名は 「メギド」、英語名は Megiddo [ ˈ gɪdoʊ ] [ ミ ' ギドゥ ]。この地は、エジプトとメソポタミアを結ぶ要衝であったため、先史時代より戦乱が絶えませんでした。


〓現在、メギドには、古代のメギドの都市の廃墟があります。地図を見ると、山地の手前の平地に、この都市の廃墟だけ小高い丘になっているのがわかります。
〓この当時、都市は戦争によって廃墟になると、その上に、また都市が建設されてゆきました。移動しないのは、水の確保と関係があるようです。ですから、戦乱がくりかえされると、都市は丘のように高くなってゆきます。メギドの場合は、26層の廃墟からなっているそうです。



〓現在、「メギド」 はイスラエル領内にあり、その名前は、現代ヘブライ語で


   תל מגידו tel Megido [ tel me ' gi:do ] [ テる メ ' ギード ]


と言います。tel というのは 「丘」 の意。確かに、「メギド」 の廃墟を見ると、「山」 と言うより 「丘」 ですね。






   【 聖書の 「ハルマゲドン」 】



〓これほど有名になった 「ハルマゲドン」 ですが、聖書には、このコトバはたった一度しか出てきません。『新約聖書』 内の 「ヨハネの黙示録 (もくしろく)」 16:16 です。前後を引用すると、



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  「神の怒りを盛った七つの鉢」


 また、わたしは大きな声が神殿から出て、七人の天使にこう言うのを聞いた。「行って、七つの鉢に盛られた神の怒りを地上に注ぎなさい。」
 そこで、第一の天使が出て行って、その鉢の中身を地上に注ぐと、獣の刻印を押されている人間たち、また、獣の像を礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた。
 第二の天使が、その鉢の中身を海に注ぐと、海は死人の血のようになって、その中の生き物はすべて死んでしまった。
 ……
 第六の天使が、その鉢の中身を大きな川、ユーフラテスに注ぐと、川の水がかれて、日の出る方角から来る王たちの道ができた。…… 汚れた霊どもは、ヘブライ語で 「ハルマゲドン」 と呼ばれる所に、王たちを集めた。
 第七の天使が、その鉢の中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大声が聞こえ、「事は成就した」 と言った。そして、稲妻、さまざまな音、雷が起こり、また、大きな地震が起きた。それは、人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの大地震であった。……


       ── ヨハネの黙示録 16


――――――――――――――――――――――――――――――




〓たった、これだけのことなんですね。『新約聖書』 は、先ほど説明したとおり、ギリシャ語で書かれていますので、ヘブライ語の地名をギリシャ語に転写しなければならない。そこで、


   Ἁρμαγεδών Harmagedōn [ ハルマゲド ' オヌ ] 「ハルマゲドーン」


となります。


〓ヘブライ語の [ ə ] は 「シュワ」 と呼ばれるアイマイ母音なので、これは α [ a ] に転写され、摩擦音の gh [ ɣ ] は、閉鎖音の γ [ g ] で転写されました。
〓語末の -ών -ōn [ ~オ ' オン ] というのは、以前も説明したとおり、「場所をあらわす接尾辞」 です。これによって、ギリシャ語式に 「曲用」 (変化) することが可能になります。



〓ところがギッチョンチョン。

〓ギリシャ語では、[ h ] 音が早くから脱落を始め、古典ギリシャ語の時代で、すでに、語中の h 音は無く、[ h ] 音が残るのは語頭だけでした。(現代日本語が、実は、まったく同じ現象を起こしています)。
〓そのため、文字 H [ h ] の表記に当てずに、長母音 [ e: ] の表記に当ててしまいました。そして、語頭に [ h ] があるかどうかは、語頭の母音に添える


   ʽ [ h ] 音あり
   ʼ [ h ] 音なし


というアポストロフィのような記号で表していました。


〓古典ギリシャ語と言えども、方言では、語頭の [ h ] 音すら、すでに消失しているところがありました。そして、ビザンチン帝国 (東ローマ帝国) の時代には、上流階級の人々にいたるまで語頭の [ h ] を発音しなくなっていました。
〓つまり、『新約聖書』 には、「ハルマゲドーン」 Ἁρμαγεδών と書いてあるけれども、そうは発音していなかったわけです。


〓4世紀末から5世紀の初頭にかけて、ヒエロニムスによる新しいラテン語訳聖書の決定版 『ウルガータ』 が完成しました。しかし、なぜか、ヒエロニムスのラテン語訳では、「ハルマゲドーン」 は 「アルマゲッドーン」 となっていました。


   Armageddōn [ アルマ ' ゲッドーヌ ] 「アルマゲッドーン」。ラテン語


〓フシギなことに、『新約聖書』 では消失している 「ヘブライ語の d の重子音」 が復活しています。なぜ、このようなことが起こったかというと、当時の 『新約聖書』 の写本では、「ハルマゲドーン」 という固有名詞に対して、さまざまな質の異綴が存在したからなのです。

〓どれくらい “さまざま” だったかというと、テキストによって、次のような12通りもの綴りが見つかります。ヒエロニムスの時代の発音を示しておきます。



   Αρμαγεδδων Armagedón [ アルマゲ ' ドヌ ]
   Αρμαγεδον Armagedón [ アルマゲ ' ドヌ ]
   Αρμαγεδω Armagedó [ アルマゲ ' ドー ]
   Αρμαγεδωμ Armagedóm [ アルマゲ ' ドム ]
   Αρμεγεδδων Armegedón [ アルメゲ ' ドヌ ]
   Αρμεγεδων Armegedón [ アルメゲ ' ドヌ ]
   Αρμεγηδων Armegidón [ アルメギ ' ドヌ ]
   Μαγεδδων Magedón [ マゲッ ' ドヌ ]
   Μαγεδωδ Magedód [ マゲ ' ドッド ]
   Μαγεδων Magedón [ マゲ ' ドヌ ]
   Μαγιδων Magidón [ マギ ' ドヌ ]
   Μακεδδων Makedón [ マケ ' ドヌ ]


     ※ヒエロニムスの時代の 『新約聖書』 の古写本 codex は、通例、ラテン語で

      litterae unciales 「リッテライ・ウンキアーレース」 と呼ぶ書体で書かれている。
      これは、丸味を帯びたブロック体の大文字で、単語ごとにスペースを入れず続けて書く。
      まだ、アクセントなどの読み分け記号は一般化していない。
      「リッテライ・ウンキアーレース」 は、通例、英語音で 「アンシャル体」 と言う。
      「丸味を帯びる」 とは、たとえば、Σ, Ε, Ω С, Є, Ѡ のごとくになる。
      ロシア語の 「エス」 が С という字形なのはこのためである。古い時代には、ロシア語の Е Є であった。

      [ ɛ ] 音をあらわすロシア文字が Э なのは Є を逆向きにしたからである。




      げたにれの “日日是言語学”-新約聖書アレクサンドリア写本

      紀元 440年ごろの 『新約聖書』 の写本。“アレクサンドリア写本” の一部。




〓現在でこそ、『新約聖書』 のギリシャ語原典の 「ハルマゲドーン」 は Ἁρμαγεδών に固定されていますが、手書き写本の時代には、こういうさまざまなバリアント (異形) があったわけです。
〓『ウルガータ』 で Armageddon という綴りが採用されたのは、おそらく、ヒエロニムスの参考にしたテキストが


   ΑΡΜΑΓЄΔΔѠΝ


となっていたセイでしょう。


〓あるいは、ヒエロニムスはヘブライ語に堪能で、『旧約聖書』 を訳す際にはギリシャ語訳の 『七十人訳聖書』 (Septuaginta セプトゥアギンタ) の他に、ヘブライ語の原典にもあたっていた、というので、あるいは、「ハル・マギッドー」 という地名のヘブライ語原綴を参考にしたのかもしれません。しかし、Harmageddon とはしていないことを考えると、この可能性は低いように思います。


〓かくして、ラテン語版の 『新約聖書』 の決定版 『ウルガータ』 が完成し、ギリシャ語の 「ハルマゲドーン」 に対する訳語も、次のように決定したわけです。


   Armageddon [ アルマ ' ゲッドーヌ ] 「アルマゲッドーン」


〓この単語が、その後、広くヨーロッパで使用されたラテン語訳の 『新約聖書』 をとおして、西欧諸国に広まりました。ヨーロッパで 「ハルマゲドン」 に当たる単語の頭に [ h ] 音を付けている言語はほとんどありません。4世紀のビザンチン・ギリシャ語の発音が反映されているのです。

〓かくして、英語でも 「ハルマゲドーン」 は Armageddon です。つまり、語源は同じながら、2つのルートを経由した単語が、2000年後に日本で再会した、と、こうなります。



            ヘブライ語
              ↓
     ヘレニズム・ギリシャ語 (コイネー)
       ↓            ↓
       ↓       ビザンチン・ギリシャ語
       ↓            ↓
       ↓         後期ラテン語
       ↓            ↓
       ↓           英語
       ↓            ↓
      日本語         日本語
    「ハルマゲドン」    「アルマゲドン」



〓日本語は、ラテン語文化の系譜には連ならないので、ギリシャ語原典に準じて 「ハルマゲドン」 になるわけです。




〓まったくの余談でゲスが、たわむれに、Google で、


   マルハゲドン


を検索したら、なんと 1,220件もありました……