“牛祭り” ―― あるいは 「ボスポラス」 と 「オックスフォード」 の共通点。── 1 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

   げたにれの “日日是言語学”-オーロックス

    オーロックス



〓ええ、みなさん、新年の御慶 (ぎょけい) めでたく申し納めます。

〓「ウシ」 というのは、インドに発生した 「オーロックス」 aurochs <英語> という野生の “原牛” (げんぎゅう) proto-ox を家畜化したものだそうにござります。

〓ここより北西に向かって拡大し、中近東を経て、西は北極圏以南の全ヨーロッパに分布し、さらに、北アフリカにも進出しました。
〓また、別のグループは、ヒマラヤ山脈・天山山脈という天然の要害に阻まれ、チベット高原を北に迂回しながらモンゴル高原に棲息域を広げました。
〓極東は朝鮮半島まで拡大を続けましたが、海にはばまれて日本列島へはやって来ませんでした。



   げたにれの “日日是言語学”-オーロックスの分布域
    オーロックスの分布域。

    緑 = B. p. namadicus

    青 = B. p. primigenius

    黄 = B. p. mauretanicus



〓現在、分類学では、この 「オーロックス」 を3つの亜種に分類し、以下のように呼びます。


   Bos primigenius namadicus [ ' ボース プリーミ ' ゲニウス ナ ' マディクス ]
   Bos primigenius mauretanicus [ ' ボース プリーミ ' ゲニウス マウレ ' ターニクス ]
   Bos primigenius primigenius [ ' ボース プリーミ ' ゲニウス プリーミ ' ゲニウス ]


〓すべての亜種に共通の 「種小名」 (しゅしょうめい) primigenius 「プリーミゲニウス」 は、“最初に生まれた、本源の” という形容詞です。“原牛” の 「原」 の部分にあたりますね。


〓亜種名 namadicus 「ナマディクス」 で呼ばれるのが、インドの原種です。これは、インド第5番目の大河 「ナルマダー川」 Narmada River नर्मदा のラテン語形容詞形です。


〓北アフリカの亜種 mauretanicus は、 Mauretānia (Mauritānia) 「マウリターニアの」 という意味です。ラテン語で、「マウリ人 Mauri の国」 という意味ですが、古代ローマでは、現在の 「モーリタニア」 とは別の地域の名称でした。すなわち、現在のモロッコ、もしくは、アルジェリアの地中海沿い地域の名称です。要するに 「北アフリカの」 という形容詞だと考えてください。
〓この 「マウリ人」 Mauri (単数 Maurus) の古フランス語形が More [ ' モール ] で、これを借用したのが英語の Moor 「ムーア人」 です。13~16世紀に渡ってイベリア半島 (スペイン) を支配下に置いていたイスラーム教徒です。
〓つまり、今のモロッコ、アルジェリアあたりのムスリム化した人々がムーア人で、彼らは、狭いジブラルタル海峡を1つ渡るだけでイベリア半島に攻め入ることができたわけですね。


〓最後のユーラシア大陸に広く分布する亜種は、


   Bos primigenius primigenius [ ' ボース プリーミ ' ゲニウス プリーミ ' ゲニウス ]


ですが、


   「なんで、こんなヘンな名前なんだ?」


と思うでしょ? 学術書のオモシロクないところは、こういうのをスルーするところですね。


〓こういうヘンな学名というのは、ママありまして、これにはリッパな理由があります。すなわち、上の3亜種は、もともと、3つの別々の種 (シュ) に分類されていました。


   Bos primigenius (Bojanus, 1827)
   Bos namadicus (Falconer, 1859)
   Bos mauretanicus (Thomas, 1881)


〓ところが、これらの原牛のことが詳しくわかってくるにつれ、これら3つの種は、「1つの種の亜種として分類すべきではないか」 という考え方が主流になります。すると、この3つの種の名前を変更しなければなりません。

〓しかし、学名をむやみに変更すると、これまで積み重ねられてきた資料とのつながりがわからなくなってしまいます。学名は、基本的には決して変更してはならないものです。



〓上の3つの種を、1つの種の亜種として分類し直す場合、まず、「種小名」 は、もっとも早く命名された primigenius が有効となります。つまり、すべて、


   Bos primigenius


という種のもとにまとめられるワケです。

〓そして、今まで、「種小名」 の位置にあった単語が、自動的に亜種名になります。なので、


   Bos primigenius namadicus
   Bos primigenius mauretanicus


ができるワケです。

〓そして、「種小名」 を提供した種は、「亜種名」 が無いので、自動的に、「種小名」 を 「亜種名」 として繰り返します。そのために、


   Bos primigenius primigenius


というヘンな学名になるのです。

〓これは、たとえば、


   Gorilla gorilla gorilla ニシローランドゴリラ


というケッタイな学名が生まれた理由でもあるのです。



〓ところで、ヨーロッパ全域に広がった 「オーロックス」 aurochs は、印欧祖語で以下のように呼んだようです。


   *taur- [ タウル ] 「オーロックス」。印欧祖語
   ――――――――――――――――――――
   ταῦρος tauros [ ' タウロス ] 古典ギリシャ語
   taurus [ ' タウルス ] ラテン語
       toro [ ' トーロ ] イタリア語、スペイン語
       taureau [ ト ' ロ ] フランス語
       touro [ ' トウルゥ ] ポルトガル語
       taur [ ' タウル ] ルーマニア語
   *tūrъ [ ' トゥール ] スラヴ祖語
       тур tur [ ' トゥル ] ロシア語
   *þiura-z [ すぃウラズ ] ゲルマン祖語
       tyr  古英語
       tjur [ ' シュール ] スウェーデン語
       tyr  ノルウェー語



〓ゲルマン語では、これとは別に、以下のような語を発生していました。


   *ūra-z, *ūrēn [ ウーラズ、ウーレーン ] 「オーロックス」。ゲルマン祖語


〓ゲルマン語でのみ、別の語を生じた背景には、オーロックスは紀元前より家畜化が進み、有史時代に野生のオーロックスが多く棲息したのは、ゲルマン人の居住域付近であったことと関係があるように思えます。

〓実際、ヨーロッパの 「野生の牛」、すなわち “オーロックス” を言い表すために、ラテン語はゲルマン語を借用して、


   ūrus [ ' ウールス ] 「オーロックス」。ラテン語


と言っていました。これは、そもそも、ラテン語でオーロックスを指していた taurus が 「家畜の雄牛」 に転義していたからです。


〓「オーロックス」 Aurochs というのは英語ですが、これはドイツ語 Aurochs [ ' アウロクス ] を借用したものです。現代ドイツ語では、 der Auerochse [ ' アウエロクセ ] となっています。古高地ドイツ語では ūrohso [ ウーロふソ ] と言っていました。


   ūro [ ウーロ ] 「オーロックス」。古高地ドイツ語
     +
   ohso [ オふソ ] 「雄牛」。古高地ドイツ語
     ↓
   ūrohso [ ウーロふソ ] 「オーロックス」。


〓おそらく、 ūro という単語が短くて弱いので、後半に ohso 「牛」 を補ったものでしょう。中期高地ドイツ語では、さらに、 ūr(e) というぐあいに音が擦り切れ、現代ドイツ語には、これの後継の単語は残っていません。



〓英語では、古英語の段階ですでに ūr と単語が短くなっており、そのために、ドイツ語が借用されたものでしょう。しかし、現代英語として、ほぼ、廃語で、


   owre [ ' アウァ ] 「オーロックス」。現代英語


が残っています。発音は our と同音です。ですから、 Aurochs というドイツ語からの借用語は、純粋な英語で置き換えてみることができます。すなわち、 owre-ox 「アウァロックス」 とでもなりましょうか。



   げたにれの “日日是言語学”-ラスコーのオーロックス


〓有名なラスコーの洞窟にはオーロックスが描かれているようです。オーロックスは、もちろん、現存していませんが、意外なことに、絶滅したのは有史以前などではなく、1627年のポーランドでした。


〓オーロックスは家畜化されるとともに、その棲息域は牧草地として開拓されたのではないでしょうか。そのようにして、個体数と棲息域を同時に減らしてゆきました。
〓13世紀には、その棲息域は、東プロシア (現在のリトアニアの一部+ロシアの飛び地カリーニングラード州+ポーランドの一部)、ポーランドリトアニアモルダヴィア (ルーマニア東端+モルドヴァ <ルーマニア語域>)、トランシルヴァニア (ルーマニア北西部) という、東欧の開発の遅れた地域に限られました。
〓その後は、貴族の狩猟の対象となり、1627年、ポーランドのヤクトルフ Jaktorów で最後の一頭が息をひきとりました。



〓オーロックスを家畜化した “牛” は、すべてまとめて1つの種です。「犬」 にはさまざまな犬種がありますが、すべて 「イヌ」 Canis lupus familiaris (タイリクオオカミの亜種) という1つの種であるように、「ウシ」 にさまざまな牛種あれども、やはり 「ウシ」 という1つの種なのです。

〓学名では、


   Bos taurus [ ' ボース ' タウルス ] ウシ


と言います。これは、


   bōs 「ウシ」。ラテン語
   taurus 「雄牛」。ラテン語


という2つの名詞を組み合わせたものです。


〓それはさておいて、家畜化された 「ウシ」 も、やはり、「オーロックス」 と同じ種 (シュ) である、と考える分類学者もいます。そのような分類学者は、


   Bos primigenius taurus [ ' ボース プリーミ ' ゲニウス ' タウルス ] 「ウシ」


と分類します。先ほどの法則どおり、 taurus が亜種名に転用されているのがわかりますね。



〓ところで、アラビア語を学んだヒトならば、


   ثور θawr [ ' さウル ] 「雄牛」。アラビア語


があるのを思い出すかもしれません。この語の祖語は、


   *θawr- [ さウル ] 「雄牛」。セム祖語


と再建されるようです。この語頭の *θ は、アフロ・アジア語族 セム語派では、 θ, t, ʃ, s などで現れます。たとえば、ヘブライ語では、


   שור shōr [ ' ショール ]  (שׁוֹר)  「雄牛」。ヘブライ語


となります。この語が古いことは、以下の例でわかります。


   šūru [ シュールゥ ] 「雄牛」。アッカド語
   θr  「雄牛」。ウガリット語  ※ウガリット語は母音を表記しないので読めない
   šwrh  「乳牛」。アラム語  ※やはり母音が表記されない
   tōr [ トール ] 「雄牛」。聖書アラム語
   tōrā [ トーラー ] 「雄牛」。ユダヤ・アラム語
   sor [ ソル ] 「雄牛」。ゲエズ語 (古代エチオピア語)


〓つまり、


   *taur- [ タウル ] 印欧祖語
   *θawr- [ さウル ] セム祖語


ということになるわけです。これが何を示すかと言えば、次の3通りの場合のいずれかである、ということです。


   セム祖語 *θawr- → 印欧祖語 *taur-
   印欧祖語 *taur- → セム祖語 *θawr-
   未知の言語X → 印欧祖語 *taur-、セム祖語 *θawr-


です。

〓オーロックスが、インドから西に向かって広がったとすると、「セム祖語 → 印欧祖語」 という借用関係が妥当と思えます。しかし、今では絶滅してしまった何らかの言語が、両祖語へ 「オーロックス」 を意味する単語を提供した可能性も考えられます。


〓また、インド・イラン語派には、 *taur- に相当する単語がまったく見当たらない、というのも興味深い現象です。オーロックスは、まさに、インド・イラン語派の方角から広まったにもかかわらず。

〓同じ語族のインド・イラン語派に同源の単語を持たず、語族を異にするセム語派に同源の単語を持つ、という奇妙な状態ですね。

〓また、アフロ・アジア語族の中では、セム語派以外で、 *θawr- に相当し、「雄牛」 を意味する単語を持つグループはないようです。


   「実に面白い……」  かお


〓これが何を意味するかは、あとは御自分でお考えいただきませう。で、ハナシをガラリ変えまして……



     おうし座 2に続くんだモ~。 ↓

       http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10561253586.html