『北北西に進路を取れ』 ── 存在しない方位の謎。 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。


   北北西1


   北北西2 北北西3



〓先週の火曜日に、ひさびさに NHK BS2 で、アルフレッド・ヒッチコック Alfred Hitchcock


   『北北西に進路を取れ』   (1959)


の放送がありました。前回、BS2で放送したのが 2002年11月で、当時、ビデオで録画しましたねえ……


〓なんともいいなあ、と思うんですよ。今のミステリーは現実の社会を反映した殺伐としたものが多いですが、アッシが子どものころに読んでいた “推理小説” は、もっと、“思考遊技” みたいな面が大きかった。
〓最近、クロフツあたりの未読の作品を数十年ぶりに読んでいますが、パズルのような謎解きの魅力を思い出して、嚙みしめているところです。ヒッチコックにも、その味があります。



〓ところで、みなさん、何とも思わずに 「北北西」  という方位を聞き流しています。それでいいのか? 英語の原題は、


   “North by Northwest”


です。これは、どんな方角なのか? まず、“by” を使った32方位の言い表し方を勉強しましょう。基本の4方位は、


   コンパス1
   North - East - South - West




ですね。それぞれの間の方位が、


   コンパス2
   Northeast - Southeast - Southwest - Northwest
   北東 - 南東 - 南西 - 北西




です。さらに、それらの間が、


   コンパス3
   North Northeast - East Northeast - East Southeast - South Southeast -
   北北東 - 東北東 - 東南東 - 南南東 -

   South Southwest - West Southwest - West Northwest - North Northwest
   南南西 - 西南西 - 西北西 - 北北西




です。これで16方位。

〓さらにこれらの間の方位が加わると32方位になります。残りの16方位は、North North Norhteast というような言い方はしません。「北-北東-東-南東-南-南西-西-北西」 という8方位を基準にし、「北寄り、東寄り、南寄り、西寄り」 の句を付け加えて表します。


〓たとえば、「北と北北東の間」 ならば、


   North by East 北微東 (ほくびとう)


と言います。つまり、“by” を使うと、


   A by B  の方角に 11.25度寄った」、「


という方角を表すことができます。そして、by のあとには North, East, South, West の4方位しか使いません



   コンパス4
    by は小文字の b と略す。




〓これを踏まえて 『北北西に進路を取れ』 の原題を解釈すると、奇妙なことが出てきます。


   North by Northwest 北微北西?


〓まず、


   (1) by Northwest 「微北西」 という修飾句は存在しない。


しかし、あえて 「北西に 11.25度寄った」 と解釈するなら、


   (2) その方角は 「北微西」 North by West である。


わざわざ、North by Northwest と言う必要はないのです。



   北北西7

   北北西9 北北西10






  【 “North by Northwest” は方角なのか? 】


〓『北北西に進路を取れ』 を見たことのある人は、主人公 ソーンヒル Thornhill (ケーリー・グラント Cary Grant) の足取りをアメリカの地図でたどってみてください。


   ニューヨーク → (列車 電車 ) → シカゴ → (飛行機 飛行機 ) →
            → ラピッドシティー → (車 車 ) → マウント・ラシュモア 霧



北北西地図
   この縮尺の地図だと、ラピッド・シティーとマウント・ラシュモアの位置は、ほとんど同じ。




〓ニューヨークからラピッドシティーまでは、「ほぼ西への移動」 です。正確には West by North 「西微北」 です。ラピッドシティーからラシュモア山への移動は、なんと 「南南西」 です。つまり、移動方向を模式図で示すと、



  ――――――――――――――――――――――――――――――

   ラピッドシティー ← シカゴ ← ニューヨーク
        
   マウント・ラシュモア

  ――――――――――――――――――――――――――――――



という感じです。


   北微北西はおろか、北北西への移動もない!


〓実は、ヒッチコックは、撮影中、


   “In a North-Westerly Direction” 『北西の方向に』


という 「仮タイトル」 をつけていたそうです。これなら言葉づかい自体はおかしくない。northwest ならば 「北西」 であり、その形容詞形が north(-)westerly です。


〓ならば、なぜ、“北西” にしていたかというと、実は、当初、ヒッチコックは、この映画の大団円 (だいだんえん) をアラスカに設定していたんだそうです。「ニューヨーク → アラスカ」 なので “北西” なんですね。






  【 なぜ、North by Northwest になったか? 】


〓ドナルド・スポトウ Donald Spoto のヒッチコック評伝 『ヒッチコック-映画と生涯』 (早川書房) によれば、最終的に “North by Northwest” というタイトルに変更したのは、MGM の脚本部長 (head of the story department) ケネス・マッケンナ Kenneth McKenna という人物だったそうです。


“The Man on Lincoln's Nose” 『リンカーンの鼻の上の男』 (なんともモッサイ!) など、他のタイトルも検討されましたが、“North by Northwest” を超えるものがなく、このタイトルがそのまま決定版になりました。


〓関係者が、North by Northwest という方角が存在しないということに気がついたのは、映画公開後だったそうです。
〓ヒッチコックは、この映画の公開当初から、この 「奇妙な方角のタイトルについての質問」 を受けることがあったらしく、まったく 「アルフレッドの災難」 だったんですね。



〓かつてから、言われている通説に、「このタイトルは、ハムレットのセリフから取ったものだ」 というものがあります。それは、シェイクスピアの 『ハムレット』 第2幕、第2場のセリフのことです。復讐の機会をうかがうハムレットが、狂気を装いながらも、ふともらすセリフです。この説を主張する人によれば、このタイトルが 「ソーンヒル」 の精神錯乱状態を表すのだそうです。



   I am but mad north-north-west:
       when the wind is southerly I know a hawk from a hernshaw.
   私が狂うのは、北北西の風が吹くときだけだ。
       南風の吹くときは鷹と鷺の区別ぐらいつくさ。



〓しかし、この説には欠点があります。ハムレットのほうは、north-north-west で、明らかに 「北北西」 ですが、映画のタイトルは、あくまで “North by Northwest” です。






  【 想定外の偶然なのか? 】



〓この映画で、ソーンヒルがシカゴからラピッドシティーに向かうときに使う飛行機は、


   Northwest Airlines 「ノースウェスト航空」


です。スクリーンにも NORTHWEST の文字が映ります。


〓数えてみると、5ヶ所も映るんですね。けっこうクドイです。空港の入口のドアの上に “NORTHWEST”。カウンターの上に大きく横長に “NORTHWEST AIRLINES”。空港の滑走路内に入って、2基のタラップにそれぞれ “NORTHWEST”。背景に見える旅客機の尾翼に “NORTHWEST”



   北北西4  入口の上に “NORTHWEST”
   北北西5  カウンターの上に横長に大きく “NORTHWEST AIRLINES”
   北北西6  タラップ2基に “NORTHWEST”。 背景の飛行機の尾翼にも。




〓余談ですが、最近は、「ボーディング・ブリッジ」 boarding bridge が普通になって、“タラップ” が使われることが少ないですね。
〓で、この “タラップ”、英和辞典では見つけることができません。“タラップ” は英語で ramp と言います。じゃあ、“タラップ” はナニ語か、というと、オランダ語なんです。


   trap [ ト ' ラップ ] 「階級」、「蹴り」、「階段(の一段)」
       ← trappen [ ト ' ラッペ ] 「蹴る」


〓そもそもは、船から波止場におりるための階段を 「タラップ」 と言ったようです。そう言えば、「マドロス」 なんてオランダ語もありましたねえ。



〓ところで、どうなんでしょうか。この時代に、映画の “タイアップ” という商業戦略はあったんでしょうか。
〓このころの映画のクレジットは、たいてい、冒頭に出ます。そして、出演するメインの役者たちの名前と、おもだったスタッフの名前が出るだけで、今の映画のように、最後に何分もかけて、えんえんと、関係者や関係企業の名前をクレジットする、ということはありません。だから、タイアップかどうかはわからない。



〓いずれにしても、この映画のタイトルは、


   North by Northwest! 「ノースウェスト航空で北へ(行こう)!」


というキャッチフレーズみたいになっちゃった。


〓この場合、語頭の North は副詞で 「北へ」 という意味になります。たまたま、“by” (~寄りに/~という交通手段によって) という前置詞をもちいるために、


   「いっけん方角に見える巧妙なキャッチフレーズ」


みたいになっちゃったんです。



〓しかしですね、『北北西に進路を取れ』  という邦題はどうなんだろう? もし、原題の誤りに気づいていて、さりげなくスリ替えたのならしかたないと思いますが、何のことやらわからぬうちに、ただ、「北北西」 と日本語に置き換えただけだったとしたら…… ニューヨークから北北西と言ったら、カリブーの遊ぶカナダのツンドラじゃないの。アラスカでさえない。ねえ……





   北北西11

   北北西12 北北西13