テヘランの “ゴレスターン宮殿”。 Golestān はペルシャ語で “バラの園” の意。
1894年 (明治27年)、イランの画家 キャマル・オル・モルク کمالالملک が描いた大作 “鏡の間”。
ゴレスターン宮殿に使われているタイル。バラが描かれている。
〓先だっての 「Georgia の由来」 を読み返してみて、
*varka- [ ヴァルカ- ] 古期ペルシャ語
↓
gurg [ ' グルグ ] 中期ペルシャ語
という “唐突な変化” に疑念を持たれたムキもいるんではないか、と、思ったんですね。
v が g になるなんてことがあるのか?
〓ごもっともです。
〓5世紀末、西ローマ帝国が滅びると、ラテン語化してひさしい 「ガリア」 (フランス) は、フランク人の支配下に入りました。
“フランク王国”
世界史で習いましたね。この国は、支配者のフランク人はゲルマン語の 「古フランク語」 (オランダ語に近い) を話し、被支配民のガリア人は、フランス語へと変化してゆくラテン語を話していました。
〓もともと、ケルト語 (ガリア語) を話していたガリア人は、ローマの支配のもとに庶民に至るまでラテン語を話すようになっていましたが、そこに降ってわいたように、今度は、ゲルマン語を話す支配者がやって来たわけです。
〓古典ラテン語には [ w ] v という子音がありましたが、5世紀末には、この子音は、すでに、現代フランス語と同様に [ v ] に変化していました。
〓そこに現れたフランク人の言語には、 [ w ] という子音があったので、ガリア人は、これを、
gu [ ɡw ]
で発音したようです。日本語や英語の話者のように [ w ] という子音を発音できるニンゲンから見るとキミョーなハナシですが、
大脳が、ある特定の “音の概念” を持たない
というのは、おそろしくヤッカイな現象なのです。
〓ニンゲンには、「言語獲得の臨界期」 というものがあると言われています。米国 (ドイツ生まれ) の言語学者・脳科学者 エリック・レネバーグ Eric Lenneberg が一般化した概念です。ネレバーグによると、4~5歳までにコトバを覚える機会を逸してしまうと、それ以降は、どのようなことをしても十全なる言語能力を獲得することはできない、ということです。
〓言語音の弁別 (べんべつ=聞き分け) が確立するのは、もっと早く、1歳になるまでに、意味のない言語音を、意味のある 「母音、子音」 に振り分けることができるようになります。
〓しかし、このことが意味するのは、
1歳を過ぎると、母語にない母音・子音を聞き分けることは不可能になる
ということです。日本人が R/L、B/V、S/TH の区別ができないのは、1歳のときから決定していたんですね……
〓アラビア語の話者が 「ポンド」 を 「ボンド」 と発音したり、中国語の話者が 「やっぱり」 を 「やぱり」 と発音したり、米国人が 「本屋」 を 「ホンニャ」 と発音したりすると、日本人にはケッタイに聞こえます。しかし、発音している当人にはケッタイであるとは聞こえていません。
〓逆に、日本語を母語とするものは、気を抜くと [ si ], [ zi ] を 「シ」、「ジ」 にしてしまいます。“シットスキー” という日本語は、英語のネイティヴにはどう聞こえるでしょうか。あるいは、ここイチバンのカンジンなときに、
I rub you!
なんて発音することになるかもしれないし、 I think, I think と言っているつもりで、 I sink になっていたりするかもしれない。
〓アメリカに行って、 hotdog を注文したのにベツモノが出てきたとか、 Marlboro がどうしても買えなかった、なんてハナシはよく聞きます。
〓フランク語には、「戦闘、紛争」 という単語がありました。古高地ゲルマン語形では、
werra [ ' ウェッラ ] 「戦闘、紛争」。古高地ゲルマン語
※古フランク語でも *werra と推定される
です。この単語は、現代のドイツ語・オランダ語には見えませんが、“古北部フランス語” Old Northern French (フランス北端からベルギー南部の古フランス語) から、ノルマンディーに定住したヴァイキング 「ノルマン人」 の “アングロ=フレンチ” Anglo-French を通じて、現代英語には、
war
としてリッパに残っています。
〓11世紀に始めて文字になったフランス語では、
guerre [ ' グェッル ] 「戦争」。古フランス語形。1080年
というふうに現れます。現代フランス語では guerre [ ɡɛ:ʁ ] [ ' ゲール ] ですね。
〓この語を受容したのはフランス語だけでなく、イタリア語、あるいは、フランク王国の版図でなかったイベリア半島のスペイン語、ポルトガル語にも及びます。同じくロマンス語でも、フランク王国から離れたルーマニア語には見えませんが。
〓そのようにロマンス語圏では広まったのに、ゲルマン語で残しているのは英語だけなんです。ロマンス語圏において、「ゲルマン人 = werra “戦闘”」 というイメージが鮮烈に刷り込まれていたのかもしれません。
war 英語 (←ノルマン人 ←古北部フランス語)
guerre [ ' ゲール ] フランス語
guerra [ グ ' エッラ ] イタリア語
guera [ グ ' エーラ? ] ヴェネチア語、ナポリ語
guerra [ ' ゲッラ ] スペイン語、カタルーニャ語
guerra ガリシア語 (スペイン)
gerra レオン語 (スペイン)
guèrra バレンシア語 (スペイン)
gerra バスク語 (スペイン、フランス)
guerra [ ' ゲッラ | ' ゲーは ] ポルトガル語
――――――――――――――――――――
Krieg [ ク ' リーク ] ドイツ語
oorlog [ ' オールらふ ] オランダ語
〓現代語では、 gw-, g- と変音していますが、その初期においては、フランク王国のすみずみにまで、 werra という単語が行き渡っていたと思われます。というのも、イタリア語圏の辺境部に古フランク語音が残っているからなんです。
vera, verra [ ヴェーラ、ヴェッラ ] カターニア語 (シチリア島のカターニア方言)
※ただし、シチリア語では guèrra [ グ ' エッラ ]
vuere [ ヴ ' エーレ? ] フリウリ語 (イタリア東端スロヴェニアとの国境付近)
uèrr [ ウ ' エッル? ] プッリャ語 (イタリア半島の東の角のあたり)
〓つまり、初期には werra 「ウェッラ」 というゲルマン語が広まったものの、ロマンス語圏では、その後、しだいに口慣れして guerra 「グエッラ」 と訛ってしまったようです。
[ w ] と [ ɡ ]
という子音は、あんがい、聴覚イメージが似ています。
〓3週間前、8月3日の 「世界の果てまでイッテQ」 で、スペインはパンプローナ ── ここは、スペインというより “バスク” の中心地です ── の
「牛追い祭り」 (サン・フェルミン祭)
Sanferminak [ シャンフェルミナク ] バスク語
Sanfermines [ サンフェル ' ミーネス ] スペイン語
※本来は、バスクの守護聖人フェルミン Fermín / Fermin の祝日。
“牛追い” はその一部で、スペイン語では “Encierro” [ エンすぃ ' エッロ ] と言う。
に参加した宮川大輔 (みやがわ だいすけ) さんが、地元のTVの取材を受けていました。名前を聞かれて、 Daisuke Miyagawa と答えると、向こうのTVパーソナリティが、
「ミヤワーワ?」
と聞き返していました。
〓スペイン語にも g 音はあります。母音間では摩擦音の [ ɣ ] となります。日本語でも、現代の若い世代の発音は、母音間では [ ɣ ] になることが多いようです。それでも、宮川大輔さんは、「ミヤワワ」 と間違われたんですね。何度、言い直しても、「ミヤワワ」 になっちゃう。
〓けっきょく、向こうの新聞に掲載された “日本から来たお祭り男” の名前は、
Diasuke Miyawawa ディヤスケ・ミヤワーワ
になっちゃったのでした。日本語の [ ɣ ] は、スペイン語の [ ɣ ] よりも摩擦が弱いのかもしれません。
〓ハナシはズバッと横にそれますが、宮川大輔さんのスペイン人師匠であるカルメロさん (“カルメン” の男性形。 Carmen ― Carmelo という不規則な対応については、4/12 の “レストラン・サンパウ” の記事を参照してください) は、宮川さんが参加する日の牛が、どこの牧場のものかを調べると、
「最悪だ、セバダガゴ牧場の牛だ! 祭りで大ケガしたヤツは決まって
『セバダガゴにやられた』 って言うよ!」
と顔面蒼白になって言うんですよ。アッシは笑っちゃった。
セバダガゴ
というスゴそうな名前と、“凶暴な牛” がシンクロしておかしかったんですね。
〓スペイン語というのは、語中の母音間の閉鎖子音が有声化しているので (フランス語では脱落し、イタリア語では重子音になっている)、カタカナになおすと笑っちゃうような音になることが多いです。
トリニダード・トバゴ
なんてのもスゴそうでしょ。
〓「セバダガゴ」 って続けてカタカナで書くと、ケッサクな字面ですけど、
Cebada Gago [ せ ' バーだ ' ガーご ]
というスペイン語の姓です。二重姓ですね。
〓 cebada [ セ ' バーダ ] は 「大麦」 という普通名詞。おそらく、「大麦」 を栽培していた農家の姓でしょう。
〓 gago [ ' ガーゴ ] は、現代スペイン語では廃語になっているようですが、ポルトガル語にはかろうじて残っています。 「どもりの」 という形容詞です。名詞化すれば、「どもりの男」 です。以前にも、ゴルバチョーフは “せむし” で、ルイセンコは “ハゲ” だという説明をしましたが、ヨーロッパの姓というのは、つくづく、マイナスのアダ名が多いですね。
〓「セバダガゴ」 というと笑っちゃいますが、
セバーダ・ガーゴ牧場
と言えば、オカシクもなんともなくなるところがフシギです。
【 rose の語源 】
〓ここで、本題に戻りましょ。
〓古期ペルシャ語 (紀元前のペルシャ語) の *varka- が、たとえば、次のような変化を起こすと、現代ペルシャ語の gorg 「オオカミ」 につながります。
*varka- [ ' ヴァルカ ] 古期ペルシャ語形
↓
*warka [ ' ワルカ ]
↓
*gharga [ ɣarga ] [ ' がルガ ]
↓
*garg [ ' ガルグ ]
↓
gurg [ ' グルグ ] 中期ペルシャ語形
↓
gorg [ ' ゴルグ ] 現代ペルシャ語形
〓ただ、中間の語形が資料により例証されていないだけです。どんな言語文化圏も 「繁栄と衰退」 を繰り返します。繁栄している時代には、いろいろな資料が残るでしょう。しかし、いったん、その栄華が過ぎ去ってしまうと、とたんに資料は残らなくなります。
〓また、たとえば、“京都→江戸” のように、政治の中心地が移動すると、資料のもととなる言語そのものが変質してしまいます。
〓ガリアの地 (フランス) においても、西ローマ帝国の崩壊した5世紀後半と、文字資料が現れる 9、10、11世紀とのあいだに、フランス語に何が起こったのか、それを裏付ける資料はありません。
〓現代ペルシャ語で、「薔薇」 (バラ) を گل gol [ ' ゴる ] と言います。
「ふ~ん、だから?」
でゲショウ。しかし、この
gol が、英語の rose の語源だ
と言ったらどうでしょう。
〓古代ペルシャが、「グルジスターン」 という地名ばかりではなく、たとえば、この 「バラ」 という花も周囲の民族に伝えていたとしたらどうです。コトバのつながりを見れば、実際、そうであると判断せざるをえません。
〓現代に残る各言語の語形から判断すると、ペルシャから 「バラ」 が広がったのは、紀元前4世紀よりも古い時代ということになります。
〓古典ギリシャ語における 「バラ」 rhodon の使用例は、ホメーロスがもっとも古く、ホメーロスじしんの吟じた詩の中に、もともと使われていたのだとしたら、
紀元前8世紀
には、すでに、ペルシャ語からギリシャ語に入っていたことになります。
〓とすると、それは、すでに、古期ペルシャ語よりも古い、たとえば、アヴェスター語の時代の言語ということになります。
〓ひとつ、「バラ」 という単語が、どういう広がり方をしているか、見ていただきやしょう。
varedha [ vareða ] [ ヴァレだ ] アヴェスター語
――――――――――――――――――――
*vrda [ ヴ ' ルダ ] 古期ペルシャ語
↓
gul [ ' グる ] 近代ペルシャ語 → gül [ ギュる ] トルコ語
↓
gol [ ' ゴる ] 現代ペルシャ語
*vrda 古期ペルシャ語
↓
βρόδον wrodon [ ウ ' ロドン ] ギリシャ語アイオリス方言 (古ギリシャ語)
↓ ※ β は ϝ “ディガンマ” [ w ] の代用で使われている
↓
ῥόδον rodon [ ' ロドン ] 古典ギリシャ語
↓
rosa [ ロサ ] エトルリア語
↓
rosa [ ' ロサ ] ラテン語
↓
rose [ ' ロウズ ] 英語
*vrda [ ヴ ' ルダ ] 古期ペルシャ語
↓
վարդ vard [ ' ヴァルド ] アルメニア語 (東アルメニア音)
ورد ward [ ' ワルド ] アラビア語
וֶרֶד vered [ ' ヴェレド ] ヘブライ語
ვარდი vardi [ ' ヴァルディ ] グルジア語
〓これを見れば、ペルシャ語の gorg とアルメニア語の vratsʰ とのあいだに対応関係がある、と言っても驚くにあたらないでしょう。
〓ギリシャ語 ῥόδον rodon [ ' ロドン ] の [ d ] がラテン語で [ s ] になる理由について定説はありませんが、
(1) ローマに先行する文明 “エトルリア” のエトルリア語に、すでに rosa の単語があること。
(2) エトルリア語に、本来、 [ o ] という母音がないので、借用語と考えられること。
(3) エトルリア語では、閉鎖音の [ b ], [ d ], [ g ] を持たず、これを、
[ p ], [ t ], [ k ] (あるいは [ pʰ ], [ tʰ ], [ kʰ ]) と区別できなかったこと。
(4) エトルリア語の女性語尾が -ia であったこと。
〓この4つを考え合わせると、 rosa という語形が生まれたのはエトルリア語内部であろうと推測できます。すなわち、
rot- ← rod- ← ῥόδον rodon [ ' ロドン ] 「バラ」。ギリシャ語
+
-ia 女性語尾
↓
*rotia [ ロティア ] ※いずれ ti が口蓋化したと考える
↓
rosa [ ロサ ] → rosa [ ' ロサ ] 「バラ」。ラテン語
というプロセスです。
〓実際、ギリシャ語とラテン語の対応では、次のような例があります。
θρίαμβος thríambos [ と ' リアンボス ] 「バッコスへの賛歌」。ギリシャ語
↓
triumphus [ トリウンぷス ] 「凱旋、戦勝」。エトルリア語
↓
triumphus, triumpus [ トリ ' ウンぷス、~プス ] 「凱旋、戦勝」。ラテン語
〓もし、ローマ人がギリシャ語から、直接、借用していれば、
*thriambus [ とリ ' アンブス ]
とならねばなりません。あいだにエトルリア語が入ればこそ、
[ am ] → [ um ]
[ b ] → [ pʰ / p ]
という奇妙な対応が説明できます。
〓また、ラテン語では、母音に挟まれた -s- はロタシズムを起こして -r- になっていなければおかしいんですね。すなわち、この単語は、ゼッタイに古くからラテン語に存在した単語ではないということです。
rosa [ ' ロサ ] → *roza [ ' ロザ ] → *rora [ ' ロラ ]
〓このような変化を起こしていなければなりません。これに当てはまらないのは、
(1) 次に現れる子音が r である場合。
Caesar [ ' カイサル ]
(2) 長母音・二重母音のあとの s で、もとは重子音 [ ss ] だったと推定される場合。
causa [ ' カウサ ] (caussa という綴りの例がある)
(3) s が合成語の後半要素の語頭である場合。
nisi [ ' ニスィ ] ← ne + si
(4) 借用語である場合。
rosa [ ' ロサ ]
といった場合です。 rosa は (1)~(3) に当てはまり得ません。
40000字を超えるので、前編・後編にわけました。後編は↓
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