UNOMIG は 「国連グルジア監視団」 の
活動領域を示す。
〓中学生のころ、アッシは、ビートルズの歌詞を訳してみようと取り組んでは、次々に挫折していました。“Back in the USSR” 『ソヴィエト連邦に帰って』 なんて1行目で頓挫 (とんざ) ですがな。
Flew in from Miami Beach BOAC
〓主語がない文章というのが理解できなかったし、BOAC に至っては手も足も出ない、という状況でした。今のようにインターネットなんぞある時代じゃないし、BOAC といったタグイの略語を見出しにあげているような実用的な英和辞典なんぞ珍しい時代でした。
〓欧米でも、まだ、「固有名詞を扱うのは辞書の役目ではない」 という考え方が主流でした。
〓今になって、この一文にとっ組んでみるならば、
主語 I が省略されており、
BOAC は British Overseas Airways Corporation “英国海外航空” の略で、
by のごとき前置詞がないのは、慣用的に副詞として使われているから
というような説明もできますが、当時のアッシの英語力では、どうにも歯が立ちませんでした。
〓この歌は、ポール・マッカートニーが、チャック・ベリーだの、ビーチ・ボーイズだのを念頭において、楽曲や歌詞の面で幾重 (いくえ) にもパロディを交錯させてつくったものです。
〓ワケエシのために念を押しておくなら、ビートルズは、ソヴィエト公演なんぞしたこともないし、ビートルズのレコードがソ連邦で発売されたこともないハズです。
〓もっとも、歌詞をよく読めば、ミュージシャンとおぼしきこの歌の主人公は、ソヴィエト市民なんですね。むしろ、マイアミから帰って来たのです。
Ukraine girls ウクライナの女の子たち
Moscow girls モスクワの女の子たち
〓この意味は中学生でもわかったけれど、
That Georgia's always on my my my my my my my mind.
と来て、またも座礁でゲス。
〓“ウクライナ”、“モスクワ” と並んで、なぜ、“ジョージア” が出てくるのか? ソ連邦の中に Georgia があるなんて思いも寄りませんでした。
【 「ジョージア」 と 「グルジア」 】
〓 1960年の末に、レイ・チャールズが
“Georgia on My Mind” 『わが心のジョージア』
を大ヒットさせました。この歌の “Georgia” が何を指しているのか、歌詞をよく読んでみると、どうもハッキリしないんです。つまり、ダブル・ミーニングになっている。
Georgia 「ジョージア」 女性の名前。 George の女性形
Georgia 「ジョージア」 米国の州の名前
〓レイ・チャールズは、ジョージア州オールバニー Albany の生まれなので、いっそう、歌詞に重層的な意味が込められているように感じます。
〓ポール・マッカートニーのヒネリ出した歌詞、
That Georgia's always on my my my my my my my mind.
は、この “Georgia on My Mind” が下敷きになっています。さらに、ここで、 Georgia の第3の意味が登場します。
Georgia 「グルジア」 ソ連邦の共和国の名前
〓つまり、「あのジョージア (グルジア) が、いっときも頭を離れない」 ということです。もちろん、 “Georgian girls” 「グルジアの女の子たち」 のことを言っていると同時に、レイ・チャールズのヒット曲のタイトルも織り込んであるワケです。
〓ポール・マッカートニーは、「クレムリンのお偉方の頭の中がどうであろうと、ソ連にだって、ボクらと変わらない若者たちがいるハズだ」 という発想で、このフシギな歌詞を生み出した、と言います。
〓“Georgia” というのがコーカサスの山中にある 「グルジア」 という国を指すらしい、ということを知ったのは、高校生になってロシア語の勉強を始めてからでした。しかし、ナットクがいったと言うより、逆に 「?」 の数がふえてしまいました。
〓ロシア語では、「グルジア」 を、
Грузия Gruzija [ グ ' ルージヤ ]
と言います。日本語の 「グルジア」 はロシア語を借用したものです。
〓「ジョージア」 と 「グルジア」。これが大問題なのです。
〓どちらさんも、英語の Georgia とロシア語の Грузия Gruzija は似ていると思うかもしれません。しかし、この2つの固有名詞を比べたとき、
Georgia と Грузия という2つの単語のあいだには音韻的な対応関係が見出せない
のです。
〓だいたいね、 Georgia の本来の男性形たるギリシャ語の Geōrgios 「ゲオールギオス」 には、
Георгий Georgij [ ギェ ' オールギイ ] 古典ギリシャ語音にのっとった語形
Егор Jegor [ イェ ' ゴール ] ロシアの民衆のあいだで変形した語形
Юрий Jurij [ ' ユーリイ ] 当時のギリシャ語音をそのまま写した語形
という3つものロシア語形があり、これに対応する女性形ならば、
Георгия Georgija [ ギェアル ' ギーヤ ]
Юрия Jurija [ ' ユーリヤ ]
とならねばなりません。 Грузия Gruzija 「グルジア」 という語形が、英語の Georgia とはナンの関係もない、ということがわかるでしょう。
【 “Georgia” の語源 】
〓実は、「グルジア」 が、なぜ “Georgia” と呼ばれるのか、正確なことは伝わっていません。西欧では、従来、次の2説がとなえられてきました。両者は、「コトバの採用された経緯 (いきさつ) の違い」 こそあれ、語源そのものは同じです。
(1) 「大地を耕す者の国」 の意味。
〓単語の構成は以下のとおりです。
γεᾱ- geā- ← γαῖα, γῆ gaia, gē [ ' ガイア、' ゲー ] 「大地」
+
οργ- org- ← ἔργω ergō [ ' エルゴー ] 「働く」
+
-ος -os 「~するところの (者)」
↓
γεᾱοργός geāorgos [ ゲアーオル ' ゴス ]
↓
↓ ᾱ + ο → ω 母音の融合
↓
γεωργός geōrgos [ ゲオール ' ゴス ] 「大地で働くところの」
→ 「大地で働く者」 → 「農夫」
〓つまり、英語に置き換えると earth-working という単語になります。「大地」 は古典ギリシャ語で “ガイア” あるいは “ゲー” と言いました。日本では、ギリシャ神話の神名としてオナジミでしょう。不規則なんですが、この単語の語幹は、 γεᾱ- 「ゲアー」 なんです。そして、合成語の接合部で、 ᾱ と ο が接触するので、母音融合が起こって、 ω ō 「オー」 となります。
〓しかし、これで終わりではありません。この単語に、さらに、形容詞をつくる接尾辞が付くのです。
γεωργ- geōrg- ← γεωργός geōrgos [ ゲオール ' ゴス ] 「大地で働く者、農夫」
+
-ιος -ios [ -イオス ] 形容詞をつくる接尾辞
↓
γεώργιος geōrgios [ ゲオ ' オルギオス ] 「大地で働く者の、農夫の」
↓
Γεωργίᾱ Geōrgiā [ ゲオール ' ギアー ] 「大地で働く者の国、農夫の国」
〓これぞ、まさに、英語の Georgia の語源となったギリシャ語を、字面のまま解釈したものです。古典ギリシャ語には Γεωργίᾱ Geōrgiā 「ゲオールギアー」 という地名は見えませんが、 γεωργίᾱ という普通名詞は存在します。
γεωργίᾱ geōrgiā [ ゲオール ' ギアー ] 「農業、耕作、<複数で> 耕地」
〓この単語に見える -ā という接尾辞は、「~すること」 という意味です。
〓では、次の語源説にいってみましょう。
(2) 「聖ゲオールギオス」 の名前から。
〓語源そのものは、(1) と同じです。ただ、(1) の場合は、“グルジア” を、直接、「大地を耕す者の国」 と呼んだ、とするのに対し、(2) は、
「大地を耕す者、農夫」 という名のキリスト教の殉教者の名前にちなむ
としている点がちがいます。
〓「聖ゲオールギオス」 は、3~4世紀の小アジア (現在のトルコ) の人で、ディオクレティアーヌス帝の時代に殉教しました。ドラゴン退治の伝説で有名で、世界中の多くの国や地域が、聖ゲオールギオスを守護聖人にいただいています。
〓英語の George、フランス語の Georges [ ' ジョルジュ ]、イタリア語 Giorgio [ ' ヂョルヂョ ]、スペイン語 Jorge [ ' ほルへ ] など、あらゆる言語圏で人気のある名前です。それにもかかわらず、ローマ・カトリック教会では 「実在の疑われる聖人」 として、聖ゲオールギオスは聖人からはずされています。
〓ギリシャ正教、ロシア正教、グルジア正教、あるいは、ユニエート教会など、東方正教会の系統では、今でも、聖ゲオールギオスを聖人とみなしています。
〓とりわけ、グルジアでは、古来、聖ゲオールギオスが盛んに崇拝されていて、それは、キリストに対する崇拝に匹敵するといいます。
〓「聖ゲオールギオスの十字」 St George's Cross と呼ばれる “赤い十字” は、イングランドの国旗に使われていますが、グルジアの国旗に描かれているのも 「聖ゲオールギオスの十字」 です。
〓そんなワケで、「グルジア」 の国名は 「聖ゲオールギオス」 に由来する、という説が生まれてきたんですね。
グルジア国旗
〓グルジアでは、10世紀末ないし11世紀初頭から、19世紀初頭までのあいだに、12代のグルジア王 「ギオルギ」 が登場しています。
გიორგი giorgi [ ギオルギ ]
〓これが英語の George に当たるグルジア語の男子名です。しかし、こと、国名については、グルジア人じしんは、自国を 「グルジア」 とは呼んできませんでした。グルジア語では 「グルジア」 を
საქართველო sakharthvelo [ sɑkʰɑrtʰvɛlɔ ] [ サかルとヴェろ ] 「サカルトヴェロ」
と言います。つまり、 Georgia という国名は外国人が名付けたもので、グルジア人のあずかり知らぬことなんです。
【 世界のコトバで “グルジア” をどう呼ぶか 】
〓ここでひとつ、世界のコトバで 「グルジア」 をどう呼ぶのか見てみやしょう。
Γεωργίᾱ Geōrgiā [ ゲオール ' ギアー ] ギリシャ語
Γεωργία Jeorjia [ イェオル ' イーア ] 現代ギリシャ語
↓
Geōrgia [ ゲ ' オールギア ] ラテン語
↓
Georgia [ ヂェ ' オルヂャ ] イタリア語
Géorgie [ ジェオル ' ジ ] フランス語
Georgia [ へ ' オルヒア ] スペイン語
Geórgia [ ジェ ' オルジア ] ポルトガル語
Geòrgia [ ジェ ' オルジア ] カタルーニャ語
Georgia ルーマニア語
Georgien [ ゲ ' オルギエン ] ドイツ語
Georgië オランダ語
Georgien デンマーク語
Georgia スウェーデン語、ノルウェー語、フィンランド語
Georgía アイスランド語
↓
جورجيا Jorjiyā [ ヂョルヂ ' ヤー ] アラビア語
جورجیا Jorjiyā, جارجیا Jārjiyā ウルドゥー語 (パキスタン、インド北部)
जोर्जिया Jorjiyā ヒンディー語 (インド)
かつては गुर्जीस्तान Gurjīstān とも言った
〓この系統は、ギリシャ語に端を発し、ラテン語を通じて 「グルジア」 という国を認識したグループです。従来の “Georgia という国名の語源” は、この方面からの解釈に終始していました。
〓次は、ロシア語のタイプを見てみます。
Грузия Gruzija [ グ ' ルージヤ ] [ 'ɡru:zʲijə ] ロシア語
Ґрузія (Грузія) ウクライナ語
Грузія ベラルーシ語
Грузия ブルガリア語
Грузија セルビア語、マケドニア語
Грузия アルタイ語、バシキール語、キルギス語、ハカース語、コミ語、
クムィーク語、トゥヴァ語、ウドムルト語
Грузи Gruzi チェチェン語、チュヴァーシ語
Gruzja [ グ ' ルズィヤ ] ポーランド語
Gruzie チェコ語
Gruzínsko スロヴァキア語
Gruzija クロアチア語、スロヴェニア語
Gruzija リトアニア語、ラトヴィア語
Gruusia エストニア語
Grúzia ハンガリー語
گرۇزىيە / Gruziye ウイグル語
گۈرجىستان / Gürjistan とも言う
〓この系統はスラヴ語派が中心になります。さらに、バルト語派を始めとして、ロシア語から借用した、旧ソ連邦内の諸言語も含まれます。
〓次に、今まで検討されることのなかった “ペルシャ語” の系統をあげてみましょう。
گرجستان Gorjestān (← Gurjistān)
[ ゴルヂェス ' ターン (← グルヂス ' ターン) ] ペルシャ語
↓
ګورجستان Gorjistān, ګرجستان Gurjistān パシュトー語 (アフガニスタン)
جورجيا Jorjiyā とも言う
Gürcistan [ ギュルヂス ' タン ] トルコ語
Gürcüstan / Ҝүрҹүстан [ ギュルヂュス ' タン ] アゼルバイジャン語
Gürjüstan / Гүрҗүстан [ ギュルヂュス ' タン ] トルクメン語
Gruziýa / Грузия とも言う
Gurjiston / Гуржистон [ ギュルヂス ' トン ] ウズベク語
Gruziya / Грузия とも言う
Gürcistan / Гюрджистан [ ギュルヂス ' タン ] クリミア=タタール語
Гүржістан / Gürjistan / گۇرجٮستان [ ギュルヂス ' タン ] カザフ語
Грузия / Grwzïya / گرۋزيا とも言う
Гөрҗәстан / Görcästan [ ゲルヂャス ' タン ] タタール語
Грузия / Gruziä とも言う
Гуырдзыстон Guərdzəston オセチア語
Гуржистан Gurzhistan アヴァール語、レズギン語
Грузия Gruzija とも言う
Гуржисттан Gurzhisttan ラーク語
Грузия Gruzija とも言う
Гурҷистон Gurjiston / گرجستان Gurjistōn タジク語
Гүрж Gürj [ ' グルチ ] モンゴル語
――――――――――――――――――――
Վրաստան Vrastan アルメニア語
〓かつてソ連邦に所属していた地域の言語は、「グルジア」 系の語彙も持っている場合が多いようです。かつてのチムール帝国の版図たる、中央アジア、コーカサスの諸言語が含まれます。
〓これらの言語に共通して見られるのは、
-istān [ -イス ' ターン ] 「場所・施設・時期」 をあらわす接尾辞
というペルシャ語の接尾辞です。現代ペルシャ語では、短母音の i が e に変じていて -estān となっていますが、周辺の言語では、 -istān を保っています。
〓ペルシャ語というのは、現代ではイラン一国の言語と思われがちですが、アフガニスタンのダリー語や、タジキスタンのタジク語も、ほぼ同系の言語です。
〓また、古代シルクロードの交易をになったソグド人の言語である 「ソグド語」 (~9世紀) は、中期ペルシャ語の兄弟の言語であり、かつては、シルクロードの交易語として広く使われていました。
〓またですねえ、かつて、ペルシャ語は、アラビア語を凌駕するような、「中央アジア~インド~イラン高原~コーカサス」 をそっくりカバーする広大な地域の文化語でした。
〓14~16世紀には、「コーカサス~イラン~アフガニスタン~中央アジア」 を版図とするチムール帝国が栄え、また、16~19世紀、北部インドのムガル帝国は、ペルシャ語を公用語としていました。
〓ムガル帝国における 「ヒンディー語を母語とする、被支配民のイスラーム教徒」 は、ヒンディー語に、多くのペルシャ語彙・アラビア語彙を採り入れ、現代のウルドゥー語を形づくっていきました。
〓インド独立時のヒンドゥー教徒とイスラーム教徒との紛争は、そのまま、インドとパキスタンの分離独立につながり、さらに、ヒンディー語はデーヴァナーガリー、ウルドゥー語はアラビア文字を採用することで、両者は、まるで関係ない2つの言語のような様相を呈するに至っています。
〓ヒンディー語、ウルドゥー語で 「グルジア」 を指す単語は、Georgia 系のグループにあがっていますが、文字はちがっても両者は同じ単語を使っています。ヒンディー語の古形に 「~スターン」 系の語彙があるのは、かつてのムガル帝国時代の文化語の名残です。
〓この 「~スターン」 系のグループは、かつての広大なペルシャ語圏をそっくり浮かび上がらせています。
〓アルメニア語は、「~スターン」 系であるにもかかわらず、
Վրաստան Vrastan アルメニア語
という奇妙な語形です。この奇妙な語形が重要なカギをにぎっていますが、それはのちほど。
40000字を超えるので、前編・後編に分割しました。