「落書き」 というコトバの故郷はイタリア。 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓ジョージ・ルーカスの映画


   『アメリカン・グラフィティ』 1973


をご存じか? 『スター・ウォーズ』 で有名になる4年前の映画ですよ。


〓当時から見て、約10年前のアメリカを舞台にし、当時のワケエシたちの一夜を、群像モノとして描いたもんです。いわゆる 「オールディーズ」 が次々に流れ、独特の声で強烈な印象を残す、実在のアメリカのラジオDJ ── 当時は、“DJ” と言えば、ラジオのDJを指すのが当たり前だった ── ウルフマン・ジャックが、登場人物たちのつなぎ役として登場しました。


〓この映画は日本でもヒットし、いろいろな影響を残しているんですね。たとえば、


   チェッカーズの 『涙のリクエスト』


なんていう曲も、『アメリカン・グラフィティ』 と “ウルフマン・ジャック” のイメージがなかったら生まれなかったでしょう。


〓また、


   「青春グラフィティ」


というような決まり文句を始めとする、“~グラフィティ” という 「ワケのわかったような、わかんないようなフレーズ」 は、みな、「アメリカン・グラフィティ」 に端を発しています。


〓最近、いわゆる 「アート系落書き」 を “グラフィティ” と呼ぶことがあるようですが、1970年代から今にいたるまで、むしろ、フツーの日本人は、


   【 グラフィティ 】 = ナンか、なつかしい物をズラズラッと並べること


と解釈してきたフシがあります。


〓実は、こういうコトバについて、“国語学者” というのは、まったくのドンカンとしか言いようがありません。まず、「日本国語大辞典」 には収録されていないんですね。そして、外来語辞典のたぐいで 「グラフィティ」 というコトバを収録しているものは、


   【 グラフィティ 】 [ graffiti ] 落書き。


と書いてすませている。だから、辞典は役に立たないんですよ。チョッとは反省せい。


   「graffiti = 落書き」 は英語の原義を述べただけ


でしょ。


〓たとえばですよ、米国人でもいい、中国人でもいい、日本語を勉強している外国人が、


   「懐かしのこども番組グラフィティ」
   「名車グラフィティ」
   「東京名画座グラフィティ」
   「アイドル・ヒット・グラフィティ」
   「アニメ主題歌グラフィティ」
   「雛形あきこグラフィティ」


という表現に使われている “グラフィティ” とはナンだろう?といぶかったところで、これに答えてくれる 「日本語辞典」 は無い、ということです。「落書き」 では意味が通じない。






  【 「ユニヴァーサル・ピクチャーズ」 にも意味がわからなかった 】


〓『アメリカン・グラフィティ』 の原題は、


   “American Graffiti”


です。ルーカス自身が決めたタイトルです。実は、これを英語で解釈しても、


   「アメリカの落書き」


としか意味が取れないのです。この不可解なタイトルにユニヴァーサル・ピクチャーズが難色を示し、65通りもの別案を提示して、ジョージ・ルーカスにタイトルの変更を迫りました。とりわけ、会社側が気に入っていたのが、


   “Another Slow Night in Modesto”
     「モデストのいつもと同じ退屈な夜」


です。Modesto というのは、カリフォルニア州の町の名前で、映画の舞台となるジョージ・ルーカスのホームタウンです。
〓しかし、ルーカスは “American Graffiti” というタイトルを最後まで守り通しました。彼は、映画のスタイルじたいを graffiti 「落書き」 のようにしたい、という発想で出発したんでしょう。作品の根幹にかかわることなので変えたくなかった。


〓米国では、意味が取りにくいと言っても、


   映画じたいが 「アメリカの落書き」 というタイトル


であることは了解できるわけで、そこに 「ルーカスの意図を読み解く端緒 (たんしょ)」 はあるわけです。


〓ところが、日本で 『アメリカン・グラフィティ』 と言ったとたんに、100%意味不明になってしまったわけです。だいたい、どれくらいの日本人が graffiti などという単語を知っていたものか。
〓むしろ、「アサヒグラフ」 という雑誌名や、“フォトグラフィ” というような外来語を手がかりとし、それに 『アメリカン・グラフィティ』 という映画のテイストを加味して、


   ナンだかよくわかんないが 「グラフィティ」 とはこんな感じやろ


ってえんで、先にあげたような、日本語における “グラフィティ” の慣用が定着してしまったわけですね。



〓「ポルノグラフィティ」 というバンド名は、米国のボストンのファンクメタルバンド


   Extreme 「エクストリーム」


のセカンドアルバム、


   “Pornograffitti”


から来ているそうです。この単語は、おそらく、Extreme による造語で、


   pornography 「ポルノグラフィ」 と graffiti 「グラフィーティ」 のカバン語


です。カバン語 portmanteau については説明を省きます。詳しくは↓の中ほどを参照してください。


   http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10080642472.html


〓もっとも、Extreme のアルバム名 “Pornograffitti” は、ウッカリしたのか、意図的なのか、綴りを間違えて t を1つ多く入れています。日本の 「ポルノグラフィティ」 もこれを踏襲しているので t が1つ多いんですね。
pornograffitti という単語について、「便所などに書かれる卑猥な落書き」 という意味がある、という説明が見られますが、pornograffiti, pornograffitti とも、そのような普通名詞として使われている例は見当たりません。






  【 「落書き」 という概念が生まれたのはポンペイ発掘かららしい 】


〓「落書き」 というものは、おそらく、人類誕生と同時に生まれたのでしょう。無人となったアフリカの岩山や、中央アジアの草原のただなか、そして、荒涼たる北米の荒野にうがたれた洞窟にも、岩に描かれた絵が残っています。日本でも、古い木造建築や、仏像などを解体修理すると、木材の裏に職人の落書きが残っていたりします。


〓しかし、こうしたものに graffiti という名前をつけてカテゴリー化するキッカケとなったのは、


   1851年、ポンペイ発掘の現場から見つかった 「落書き」


でした。
〓家々の壁などに残る、民衆の話していた俗ラテン語やオスク語 (ポンペイの本来の言語) の落書きは、言語学的に重要な資料となります。つまり、民衆のレベルでは、どのように発音が変化していたか、どのように文法が変化していたかを知る手がかりになります。さらには、書かれている内容から、当時の社会のありようが生々しく伝わってくるんですね。


〓つまり、graffiti というのは、最初、


   イタリア語の学術用語として生まれた


のです。単数形が graffito [ グラッ ' フィート ] で、複数形が graffiti [ グラッ ' フィーティ ] です。
〓もとは、graffio [ グ ' ラッフィオ ] 「引っかくこと、引っかいたもの」 に指小辞 -ito が付いたものです。後期ラテン語の -itus に当たる指小辞です。つまり、


   graffito 「グラッフィート」 = 引っかいた小さなもの


ということです。動詞 graffiare [ グラッフィ ' アーレ ] の過去分詞が名詞化したとする説も見えますが、graffiare から派生する名詞は、


   graffiato [ グラッフィ ' アート ]


です。

〓英語に見られる ~graphy 「~グラフィ」 とも無縁ではなく、もともとは、


   γράφω graphō [ グ ' ラぽー ] 「書く」。古典ギリシャ語


が発端です。ラテン語で 「書く」 は scrībō [ スク ' リーボー ] でしたが、ギリシャ語からの借用語として、


   graphicē [ グ ' ラぴケー ] 写実的に
   graphicus [ グ ' ラぴクス ] 絵画のような
   graphis [ グ ' ラぴス ] 鉄筆、石筆
   graphium [ グ ' ラぴウム ] 鉄筆


などの単語がありました。この graphium 「鉄筆」 が、のちに、イタリア語で、graffio 「グラッフィオ」 “引っかくこと、引っかいたもの” という意味に変じ、graffito 「グラッフィート」 “落書き” という語が生まれました。


〓英語では、ノルマン・コンクエストの置き土産として、フランス語から -graph 「書かれた物、記録」 という造語要素が入り、のちになって、近代学術語としてギリシャ語から -graphy 「書く方法、記す方法 = 画法、書法、記録法、記録術」 という造語要素が借用されました。






  【 かくして 「落書き」 という概念が生まれた 】


〓ポンペイ発掘から生まれた graffiti という単語は、英語にも、学術語として伝わりましたが、


   1877年 (明治10年) に、街中の取るに足らない 「落書き」 に転用


されます。graffiti というコトバが英語に入ってから四半世紀後です。


〓日本語では、「落書き」 という概念の発生は古く、


   【 落書 】 [ らくがき ]  室町時代中期から


です。「落」 という字が使われるのは、「ラクに書く」 からではありません。もともと、


   【 落書 】 [ らくしょ ] 時の権力者に対する批判やあざけりをしたためた文書を
       人通りのある場所へワザと落とす、という平安初期に現れた行為。


というものがあって、これの通俗化したものが 「落書き」 です。“書” を訓で読んだんですね。


〓イタリア語では、graffito 「グラッフィート」 が単数形で、graffiti 「グラッフィーティ」 が複数形でしたが、英語では、もっぱら、


   【 graffiti 】 [ grə ' fi:ti ] [ グラ ' フィーティ ] [ 単数扱い、ただし、集合名詞 ]


という用法が標準となりました。spaghetti 「スパゲティ」 と同じ扱いです。


〓イタリア語の単数形である graffito [ grə ' fi:toʊ ] [ グラ ' フィートウ ] という語形も使われます。


   graffito の複数形は graffiti とされていますが、
   graffiti という単語は、「集合名詞扱いの単数形」 である


という、ナンだか、玄関を開けたら裏口に出ちゃう家みたいなヘンテコな状況になっています。


〓イタリア語は、重子音をハッキリと発音するので、「グラッフィーティ」 ですが、英語のネイティヴは 「重子音を発音することができない」 ので、「グラフィーティ」 になるんですね。
〓このような発音で、f が2つというのは、もちろん、英語のネイティヴにとっては、綴りを覚えるさまたげ以外のナニモノでもなく、おそらく、その過剰な反応が、


   graffitti


のような綴りに現れるのでしょう。実は、Google で、英語・米国限定で、次の語句を検索すると、



   graffitti -pornograffitti -porno  ……       482,000件

      cf. graffiti -pornograffiti -porno  …… 28,000,000件 (正しい綴り)
      cf. grafitti -pornografitti -porno  ……   480,000件 (f と t が反転)
      cf. grafiti -pornografiti -porno  ……     346,000件 (f も t も1つ)



48万件もヒットするんですね。ネイティヴがいかに間違えやすいか、ということです。




〓ところで、「落書き」 “graffiti” に当たる単語をヨーロッパ諸語の言語で調べてみると、



   graffito [ グラッ ' フィート ] イタリア語
   graffiti [ グラフィ ' ティ ] フランス語。1856年、イタリア語から借用
   Graffito, pl. -ti [ グラ ' フィート ] ドイツ語
   grafiti [ グラ ' フィーティ ] スペイン語
   grafite, graffiti [ グラ ' フィッティ| - ' フィッチィ ] ポルトガル語
   граффити graffiti [ グラ ' フィーチィ ] <複数> ロシア語



というぐあいに、軒並み、イタリア語の graffiti を踏襲しているのがわかります。それぞれの言語で、たとえば、


   scribbles on the wall <英語> 「壁への殴り書き」
   Geschmiere an Wänden [ ゲシュ ' ミーレ アン ヴェンデン ]
       <ドイツ語> 「壁への殴り書き、イタズラ書き」



というように、「文脈で “落書き” とわかる単語」 はあるのですが、一語でジャスト 「落書き」 を意味する単語が存在していなかったんですね。


〓ということで、「“落書き” というコトバの故郷はイタリアである」 ということについて説明してみました。