「明太子」 は日本語である。 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓突然ですが、「明太子」 (めんたいこ) って、いつからあるか知ってます?

〓今、日本人が食べている 「明太子」 は、

   昭和24年1月10日生まれ

だそうです。
〓つくったのは博多の中洲市場 「ふくや」 という乾物屋をいとなんでいた 「川原俊夫」 (かわはら としお) さん。「ふくや」 の中洲市場の店は今でも残っていますが、今では市場のすぐわきに大きな店を構えています。

〓これを知ったのは 「食彩の王国」 (テレビ朝日) なんですね。調べ方がていねいで、「へええ」 と思うようなことを教えてくれる良い番組です。古い文献を引用するときは、いつでも、その該当するページが画面に現れますし、料理や食品などを考案した人物や関係者が存命中なら、必ず、取材に行きます。
〓漁や収穫など、生産の現場にもカメラは必ず行きますし、その食材を使う料理人のいる調理の現場にも入ってゆきます。

〓川原さんは、終戦まで朝鮮の釜山 (プサン) に住んでいました。毎日のように、

   タラコの唐辛子漬け

を食べていたそうです。川原さんは、戦後、福岡に引き上げてきて、昭和23年、中洲市場で乾物店 「ふくや」 を開きます。そこで、釜山で食べていた 「タラコの唐辛子漬け」 を日本人向けにアレンジしたものを考案し、昭和24年1月10日、店頭で 「辛子明太子」 として売り出したそうです。
〓川原さんは、「辛子明太子」 の製造法を秘密にせず、みんなに教えたために、今日のような隆盛を見たのだと言います。

〓なあるほど、とね。




〓川原さんが釜山で食べていた 「タラコの唐辛子漬け」 というのは、スケトウダラの卵巣のキムチとも言うべき、

   명란젓 myɔŋ-ran-ccɔt
     【 明卵젓 】 [ ミョンラヌチョッ(ト) ] 「ミョンランチョット」


      ミョンランチョット


のことでしょう。「ミョンナンチョッ(ト)」 と発音する韓国人もいるらしいですが、正しいのは “ミョンラン” ですね。

   창란젓 chaŋ-ran-ccɔt
     [ ちゃンラヌチョッ(ト) ] 「チャンランチョット」

というのもあります。こちらはスケトウダラのハラワタの唐辛子漬けです。やはり、「チャンナンチョッ(ト)」 と発音する韓国人もいるようですが、正音法では誤った発音とされています。漢字表記は、もともと無いようです。
〓「チャンランチョッ」 なんて言うと、みんな、「ふ~ん、だから?」 と思うでしょうが、これが日本でいう、

   「チャンジャ」

のことなんですね。
〓以前、“チヂミ” というのは 「なんちゃって韓国語」 だということを申し上げましたが、この “チャンジャ” というのも 「なんちゃって韓国語」 です。日本の韓国料理店では通用するでしょうが、韓国に行ったら、

   「おまえは “大腸・小腸” を食うのか?」

ということになるでしょう。

   창자 chaŋ-ja [ ちゃンヂャ ] 胃の幽門から、肛門に至る消化器官のこと

〓おそらく、内臓 (チャンジャ) を唐辛子漬けにしたものであることから、どこかで、ゴッチャになったんでしょう。

〓ところでですね、 「명란젓 明卵젓」 (ミョンランチョッ) の “明” というのは、朝鮮語で “スケトウダラ” を指す、

   명태 myɔŋ-thɛ 【 明太 】 [ ミョンて ] 「スケトウダラ」

の頭文字ですね。朝鮮語で 「スケトウダラ」 を、なぜ、“ミョンテ” と呼ぶようになったのかサダカではありません。名前の由来を伝える民間伝承もあるようですが、言語学的には、アテにならないようです。
〓漢語だから中国語かとも思われますが、どうも、中国で、古来、「明太」 というコトバが使われたようすがありません。中国語では、スケトウダラを、

   狭鱈 xiáxuě [ シアシュエ ]

と言います。中国のインターネットでも

   明太、明泰 míngtài [ ミンたイ ]
   明太、明泰 míngtàiyú [ ミンたイユー ]

の文字が見えますが、これは、吉林省の朝鮮族、あるいは、朝鮮・韓国人、はたまたあるいは、日本人が食べる魚のことを、“外来語” で言っているのであって、中国語本来の単語ではありません。

〓スケトウダラの卵巣を食べる文化を発達させたのは朝鮮で、スケトウダラの記述は 16世紀から始まるようです。
〓日本では、“タラ” なしの「介党」 (すけとう) の表記がいちばん古いらしく、『本朝食鑑』 (ほんちょうしょっかん) (1697年、元禄10年) に登場します。
〓朝鮮では、17世紀からスケトウダラの真子 (まこ) を食べるようになったそうですが、日本でタラコを食べるようになったのは、明治も後半になってからで、江戸時代の “食” に関する本には、タラコを食品として紹介する記述はまったく出てこないそうです。
〓つまり、「タラコ」 を食べることを発明したのは朝鮮人ということになります。

〓「明太子」 (めんたいこ) というのは、川原さんの造語でしょう。

   「めいたい」 という日本語読み
   「みょんて」 という朝鮮語読み

を混ぜ合わせて 「めんたい」 でしょうか。これに 「腹子」 (はらこ) の “子” を付けたわけですね。韓国語でも日本語でもない “キミョーなコトバ” と言えます。
〓もちろん、韓国語では、명란젓 「ミョンランチョッ/ミョンナンチョッ」 としか言わないのであって、

   명태자 myɔŋ-thɛ-ja [ ミョンてヂャ ] 「明太子」

などというコトバはありません。

〓ロシア語で、スケトウダラのことを

   минтай mintaj [ ミン ' ターイ ] スケトウダラ

と言います。これは、おそらく、ソ連邦の沿海州に住んでいた朝鮮人がもたらした単語でしょう。ナホトカやウラジオストクあたりのロシア人漁民に教えたのかもしれない。

〓李氏朝鮮の19世紀、朝鮮北部に住んでいた農民は、飢饉などが起こると、国境を越えて隣のロシア沿海州へと逃亡したと言います。ウラジオストク、ハバロフスクには、朝鮮人のコミュニティがあって、学校・新聞・ラジオ放送局もあったようです。
〓第二次大戦中、スターリン時代のソ連邦では、この沿海州の 20万人といわれる朝鮮人 кореец korjejets [ カ ' リェーイェツ ] (韓国人・朝鮮人を指す単語と同じ) が、日本人と見分けがつかずスパイの隠れ蓑 (みの) になる、という理由から、中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタンに強制移住させられました。
〓カザフやウズベクに、しばしば、チュルク人とは少し違う日本人そっくりの人たちが住んでいるのは、そうした 「朝鮮人」 の末裔が、今でも、中央アジアに住んでいることが多いからです。

〓ソ連邦のロックバンド “キノー” Кино の伝説的リーダーで、人気絶頂期に自動車事故を起こして 28歳で夭折した、

   Виктор Цой Viktor Tsoj
      [ ' ヴィークタル ' ツォイ ] ヴィクトル・ツォイ


     ヴィクトル・ツォイ


はレニングラード生まれですが、父親が朝鮮系でした。“ツォイ” という姓は、

   Цой Tsoj 「崔」

です。チェ・ジウ 「崔志宇」 さんや、映画監督の 「崔洋一」 さんと同じ姓です。ずいぶん、発音が違いますね。19世紀に沿海州に逃れた朝鮮人は、北辺の方言のせいもあるんでしょうが、朝鮮語の古い発音を保持しているのです。

   「崔」  chö [ tʃʰø ] [ チェ ]

という音節は、今でこそ 「チェ」 と発音しますが、 [ tʃʰ ] は、古くは、 [ tsʰ ] だったらしいんですね。それと 「ㅗㅣ」 という母音表記も o-i 「オイ」 と二重母音に発音していました。 o-i が融合して [ ø ] になったんですね。だから、沿海州の朝鮮人は、

   최 tshoi [ つぉイ ]

と発音したわけです。同様に、

   명태 myɔŋ-thai [ ミョンたイ ]

ですね。
〓実は、「ㅊ」 を [ tsʰ ] で発音するのは、16世紀末までの 「中期朝鮮語」 の発音であり、北辺の方言とは言えあまりに古い音なので、ことによると通説に言う 19世紀以前から朝鮮人の沿海州への移住はあったのかもしれません。
〓「中期朝鮮語」 音を参考にするなら 「明」 の音は [ mjəŋ ] ですね。

 минтай という単語は、ウラジーミル・ダーリの辞典 (1863~66年刊) にも、ウシャコフの辞典 (1934~40年刊) にも見当たりません。
〓しかし、『大ソヴィエト百科事典』 (БСЭ) (1969~78年刊) には載っており、また、1977年刊の三省堂 「コンサイス露和辞典」 第4版にも掲載されています。
〓つまり、それほど古い時代に借用されたのではない、と言えそうです。


〓そういえば、ロシア語で 「マイワシ」 のことを

   иваси ivasi [ イヴァ ' シー ]
       「マイワシ」 (女性名詞、不変化)

と言います。日本語を借用したものですね。
〓もともと内陸の民族で、海のサカナとはあまり縁がなく、太平洋に到達したのも、さほど古くないロシア人が、先輩の海の民から学んだ単語です。