日本語で 「象」 を何と言うか? | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓土曜日の 「世界ふしぎ発見」 は、 “オカヴァンゴ・デルタ” Okavango Delta とボツワナのゾウの大移動” がテーマでしたね。
〓最初、「オカヴァンゴ・デルタ」 という地名の “デルタ” の意味が理解できませんでした。だって、

   ボツワナは、アフリカ大陸南端部の 「内陸国」

だからです。“デルタ” っていうのは、“三角州”。“三角州” は川が海に注ぐところにできるもの。
〓と思ったら、面白いですね。この 「オカヴァンゴ・デルタ」 というのは、隣接するアンゴラ、ナミビアの山地に降った雨が、オカヴァンゴ川になってボツワナに流れ込んでいるものの、川は広大な “三角州” をつくったあとに、カラハリ砂漠へと消えているのです。
〓いわば、砂漠に流れ込む川がつくった “デルタ” なんですね。あるいは、“デルタ” というコトバを使わずに、 Okavango Swamp 「オカヴァンゴ湿地帯」 とも呼ばれるそうです。
〓1万年ほど前までは、このオカヴァンゴ・デルタの先に、

   Makgadikgadi 「マカディカディ」

という湖がありましたが、1万年前から干上がり始めたそうです。

〓ツワナ語 Setswana で、

   Kalahari は “大きなノドの渇き”
   Okavango は “川が海を見つけられないところ”

という意味だと言いますが、ツワナ語の辞書は、オンラインであろうと、書店であろうと、満足なものを見つけるのは、まず、むずかしく、確認することができません。


〓ゾウの習性で面白かったのは、

   寝ているゾウは、鼻の先が地面についている

というものでした。ジッと動かずにいるゾウでも、鼻の先が地面についていなければ、休憩しているところなんだそうで、眠ってしまうと鼻の先が地面につくそうです。





  【 「象の鼻は長い」 と英語で言えるか? 】

〓突然ですが、「ゾウの鼻は長い」 という文章をどう思いますか? 「別に?」 子どもが、

   「ゾウの鼻は長いね」

と言ってもフシギではないですよね。 Google でチョイと検索してみましょうか。



   “象の鼻は長い”  725件
   “ゾウの鼻は長い”  49件
   “ぞうのはなはながい” 32件
   “ぞうの鼻は長い”  10件
   “象の鼻はながい”  6件
   “ゾウの鼻はながい”  5件
   “ぞうのはなは長い”  3件
   “ぞうのハナは長い”  3件
   “ぞうの鼻はながい”  1件
   “ゾウのハナはながい”  1件
   “ゾウのハナは長い”  1件
   “ゾウのはなは長い”  0件
   “ゾウのはなはながい”  0件
   “象のはなは長い”  0件
   “象のハナは長い”  0件

   ―――――――――――――――

          計   836件


     ※ Google 日本語のページ限定。 08/1/14



〓しからば、英語でも言ってみましょうか。



   “elephant's nose is long”  5件
   “nose of an elephant is long”  3件
   “nose of the elephant is long”  2件
   ――――――――――――――――――

          計  9件

     ※ Google 英語のページ限定。



〓こりゃまた、どうしたことでしょう。英語では 「象の鼻は長い」 と言わないんでしょうか。英語のネット上のデータといえば、日本語の比ではないはずです。遙かに多くて然るべきなんですが……

〓じゃあ、単純に 「象の鼻」 を検索してみましょうか。



   “象の鼻”  54,200件
   “ゾウの鼻” 74,100件
   ―――――――――――

        計 128,300件


     ※「象のハナちゃん」、「ゾウのはな子」 などの表記が多いので、
      カタカナ、ひらがなは数に入れなかった。


   “elephant's nose”  2,910件
   “nose of an elephant” 12,200件
   “nose of the elephant”  44件
   ―――――――――――――――――

        計 15,154件



〓おやおやおや、こりゃまた! どういうこと? なんて、ワザとらしいですね。

   英語では、「ゾウの鼻」 は nose と言わず trunk と言う

のですね。これがネイティヴの大人の使う標準語彙です。


   “elephant's trunk”  59,200件
   “trunk of an elephant” 30,400件
   “trunk of the elephant” 11,000件
   ―――――――――――――――――

        計 100,600件


〓やっと当たりクジを引きました。それでも、日本語の 12万8300件より少ないですよ。もう一度くり返しますが、

   日本語のページ vs 英語で書かれた全ページ

の比較です。
〓英語のほうが、なぜ、少ないか。たぶん、

   trunk は 「ゾウの鼻」 に決まっている

からでしょう。つまり、 “elephant's trunk” という表現自体が冗語 (じょうご) なのだと言えます。すなわち、

   「畳の畳表」、「太陽の日光」

というような日本語が 「アホっぽい」 のと同様に、英語の elephant's trunk という表現も、よく練られた文章では避けられるのではないでしょうか。

〓では、今度は、 “trunk” を使って、「象の鼻は長い」 を検索してみましょうか。



   “trunk is long” 11,000件


〓確かに、日本語の 836件の 13倍です。しかし、これには問題があります。つまり、 trunk という単語は、何よりまず、「人間の胴体」、すなわち、“クビから足の付け根まで” を指します。この部分が長い、という文章は多いにあり得るものです。また、「木の幹」 も意味するので、これが長い、という文章もあり得ます。
〓もし、象について書いているなら、同じページに elephant が出てくるハズです。そこで、こうしてみました。つまり、 elephant という単語との and 検索ですね。



   “trunk is long” elephant  49件


〓あっちゃ~。やっぱり少ないんだ。象の鼻について書いているのは、たったの49件です。なぜ、こんなに少ないのか。それはつまり、


   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
   英語という環境においては、「象の鼻を trunk という」 ということを
   学習した段階で、すでに、「象の鼻が長い」 という言説を

   おこなうことがナンセンスになってしまう

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



ということだと思うんですね。日本語に例えるなら、

   「ノッポは背が高い」
   「難問はむずかしい」

という表現がナンセンスなのに似ています。つまりですね、英語という言語は、「象の長い鼻」 に trunk という単語を当てたがために、日本語のように、

   「象の鼻は長いなあ」

と嘆息する能力を失ってしまったのです。おそらく、英語のネイティヴも 「象の鼻は長いなあ」 と同じように感じるでしょうが、それをコトバにしようとすると、その無意味さに気づいてしまうんですね。

〓ちょいとドイツ語も当たってみましょうか。ドイツ語では、「象の鼻」 を、

   Elefantenrüssel [ エれ ' ファントンリュセる ] 11,100件
   Rüssel des Elefanten  [ ' リュセる デス エれ ' ファントン ] 910件

      ※ Google ドイツ国内限定


と言います。では、「象の鼻は長い」 です。


   “Elefantenrüssel ist lang”  0件
   “Rüssel des Elefanten ist lang” 1件


〓こちらもヒドイですね。ドイツ国内のネット情報が、英語より遙かに少ないとしても、これは少なすぎる。ドイツ語の Rüssel 「リュッセル」 という単語は、「長い」 という含意はないんですが、

   Rüssel 「ブタの鼻」、「ゾウの鼻」

に専用の単語なのです。「長さ」 ではなく、「形態」 による分類ですが、それでも、ドイツ人のアタマの中では Rüssel と言えば 「ゾウの鼻」 という連想ができあがっているんでしょう。だから、「Rüssel が長い」 と言うのはナンセンスなんです。
〓フランス語も、人間の鼻の nez [ ネ ] と使わず、“象の鼻” は trompe [ ト ' ローんプ ] と言います。 La trompe de l'éléphant ですね。
〓ロシア語も同じですね。人間の鼻が нос nos [ ' ノース ]、“象の鼻” が хобот khobot [ ' ほーバット ]。

〓どうも、ヨーロッパの言語は、「ゾウの鼻」 と 「人間の鼻」 に別の単語を使いたがるようです。
〓ならば、中国語はどうか?


   “象鼻长”  xiàngbí cháng  149件
   “象鼻很长”  xiàngbí hěn cháng  20件
   “象鼻子长”  xiàngbízi cháng  234件
   “象鼻子很长”  xiàngbízi hěn cháng  3件
   “象的鼻子长”  xiàngde bízi cháng  21件
   “象的鼻子很长” xiàngde bízi hěn cháng 11件
   ――――――――――――――――――――――

          計 438件


〓日本語の 836件に比べたら半分強ですね。中国語の情報量からしたら少ない、と言っていいと思います。しかし、英語に比べたらダンゼン多いのがわかります。それは、やはり、「象の鼻」 を言い表す特別な単語がなく、日本語同様に 「象の鼻」 と言うからでしょう。





  【 「象」 を日本語でナンと言ったか 】

〓日本語で、もともと、「象」 をナンと言ったか知っちょりますか?

   「ゾウはゾウだろ……?」

〓さよさよ。ゾウはゾウですね。しかしですね、


   ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

   「善勝白象 (キサ) を下りて、怨家に施与して」
                       『大智度論平安初期点』  850年ころ

   ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

とあるそうです。 『大智度論』 (だいちどろん) というのは、古代インドで書かれたとされている、『摩訶般若波羅蜜経』 (まかはんにゃはらみつきょう) の百巻におよぶ注釈書を、鳩摩羅什 (くまらじゅう) が中国語に翻訳した仏典のことです。
〓その漢文で書かれた 『大智度論』 について、平安時代の日本で、それを読み下すために、「返り点、傍訓、ヲコト点」 などを付したものが、『大智度論平安初期点』 ということです。つまり、その “点” を施した本の中に、

   「象」 = 「キサ」

という読み仮名がついていたんですね。「ゼンショウ、シロキサを下りて、オンケにセヨして」 というのは、インドの “善勝” という人物が、白象から下りて、自分と怨み合う相手に施しをして、そのあと、「深山に入る」 と続きます。
〓日本語に、初めて 「象」 (ぞう) というコトバが現れたのは 984年のことなので、

   キサ  850年ころ
   ゾウ  984年ころ

と 「キサ」 のほうが古いのですね。平安末期の国語辞典にあたる 『色葉字類抄』 (いろはじるいしょう) では、

   【 象 】 ザウ 俗キサ
       『色葉字類抄』 1177~81年

となっているので、「ゾウ」 という中国語が入ってのちは、和語の 「きさ」 が俗語扱いされたことがわかります。「きさ」 の用例は、滝沢馬琴の書いた江戸末期の読本 (よみほん)

   『椿説弓張月』 (ちんせつゆみはりづき) 1807~11年

でも使われており、「きさ」 が消滅して、「ゾウ」 一本ヤリになったのが明治以降であることがわかります。
〓和語に、象をあらわす 「きさ」 というコトバがあったからには、昔は日本にも象がいたのか?という感じがしますね。しかし、さにあらず。
〓日本に初めて象がやってきたのは、1408年 (応永15年)、室町時代のことです。ならば、

   なぜ、「ゾウ」 を指す日本語があったのか?

〓実は、「きさ」 の初出 “850年ころ” をさかのぼること 130年、『日本書紀』 に

   「象牙 (キサノキ)」

というコトバが、先に現れているのです。


   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
   「天皇、使を遣して袈裟・金鉢 (こかねのはち)・象牙 (きさのき)・
   沈水香(ちむすいかう)・旃檀香(せんたんこう)・及び
   諸の珍財を法興寺の仏に奉らしめたまふ」

                『日本書紀』 天智10年10月の条 720年
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


〓つまり、考えてみれば当然のことなんですが、日本では、「象」 より先に、オタカラとしての 「象牙」 が知られていたんです。中国語で 「象牙」 と書く物を、日本語で 「きさのき」 と呼んだ。
〓「き」 は古い和語で 「牙 (きば)」 のことです。「きば」 というのは、「き」 という単語が短くて紛らわしいので 「歯」 を添えたものでしょう。
〓では、「きさ」 は何か?

〓初出年は 934年ごろと少し遅れるのですが、古い和語で、「木目」 を意味するコトバに、

   (きさ)」

というのがあるんです。おそらく、「木」 に何らかの 「さ」 が付いたコトバなんでしょう。
〓「象牙」 というのは、あのとおり 「木目」 のある牙です。ところから、「象」 がどんな動物か想像もついていなかった大昔の日本人は、大陸から渡ってきた 「象牙」 を見て、

   「木目のある牙」  → 「“きさ” の “き”」

と名付けたのでしょう。ですから、もともとは、

   「きさ」 = 「木目」

だった。
〓 130年後には、「きさのき」 命名の由来がわからなくなっていて、

   「きさ」 というケダモノの 「きば」

と解釈された。それで、

   「きさ」 = 「象」

に転じてしまった。
〓つまり、古い和語に 「象」 をあらわすコトバがあったのは、うまいこと整合性をもってスカタンなカン違いが成立してしまったことに原因があるのですね。


〓もし、お子さん、お孫さんと動物園に行くことがあったら、「ゾウさん」 には 「キサさん」 という名前もあったんだよ、と教えてあげてください。