〓今年の夏ですか、
キャメロン・ディアスが出ているソフトバンクのCMに、オリヴィア・ニュートン=ジョンの
『ザナドゥ』
が使われてましたね。
〓アッシは、中学生のころ、オリヴィア・ニュートン=ジョンのファンでしてね、とりわけ、 “If Not for You” (あなたのためでなかったら) が好きでしたね。かなりあとで、ボブ・ディランのオリジナルに出会ってビックリですよ。「ガマガエル」 が 「お姫さま」 に化けてたみたいな……
〓アッシがファンだったのは、1970年代の中ごろまでで、 “Xanadu” 『ザナドゥ』 とか、ましてや、 “Physical” 『フィジカル』 のころは、 「う~ん、もうカンケーねえんだけど、なんか、妬けるなあ」 みたいなね。そんな感じ。
〓それでもねえ、 「ああ、オリヴィアの “Xanadu” なんだな」 なんて思ってたら、ええ、ひでえ目に遭いましたね。ありゃあね、オリヴィアのソックリさんが歌ってるんですと。オリジナルの使用料はバカ高いので、ソフトバンクがソックリさんバージョンを使ったんだそうな。
ソフトバンク、てめえ、オレの感動を返せ!
ですがな。人工イクラの軍艦巻をウマイウマイと食っちまった気分。
【 「ザナドゥ」 】
〓1980年のオリヴィア・ニュートン=ジョンのミュージカル 『ザナドゥ』 がどんなものだったか、アッシは知るよしもないんですが、だいたい、英語圏における “Xanadu” っていうのは、
Shangri-La [ ˌ ʃæŋɡrɪ'lɑ: ]
[ , シャングリ ' らー ] シャングリ=ラ
と並んで、「どことも特定できない桃源郷」 を指すのに使われてきたようです。
〓 “Xanadu” の英語における初出は、英国の詩人、
Samuel Taylor Coleridge
サミュエル・テイラー・コールリッジ
1772~1834
の詩、
“Kubla Khan, or a Vision in a Dream. A Fragment”
『クーブラ・カーン、あるいは、夢で見た光景。断章』
という作品です。本人の言では、1797年に書かれたと言いますが、何度も修正されたのち、1816年に初めて出版されました。
〓“Xanadu” は、その冒頭に、いきなり出てくるんです。
In Xanadu did Kubla Khan
A stately pleasure-dome decree:
Where Alph, the sacred river, ran
Through caverns measureless to man
Down to a sunless sea.
ザナドゥに、クーブラ・カーンが
荘厳なる悦楽宮の造営を命じた。
そこには、アルフという名の聖なる河が
人智では計り知れぬほど奥深い大洞窟を縫って、
日の光の射さぬ海へと流れ下っている。
〓「クーブラ・カーン」 というのは、“フビライ・ハーン” のことです。英国の作家、ジェイムズ・ヒルトンが書いた 「シャングリ=ラ」 は、現実に、どこのことを指しているのか、必ずしもハッキリしません。しかし、「ザナドゥ」 については、
フビライ・ハーンの夏の都、「上都」
shàngdū [ しゃんドゥー ]
のことだと考えられています。
〓「上都」 (シャンドゥー) は、北京の 275キロ北、内蒙古自治区の 「多倫」 duōlún [ トゥオるン ] の北西28キロにありました。
〓「上都」 について西欧に伝えたのは、おそらく、ポルトガル人かスペイン人でしょう。
Xangdu [ ' シャン(グ)ドゥ ]
という綴字にそれが現れています。
〓 x という文字の読み方は、西欧諸語ではひじょうに混乱していますが、スペイン語、ポルトガル語では、ラテン語から次のような変遷をたどりました。
x [ ks ] ラテン語
↓
x [ js ] [ イス ] イベリア半島共通
↓
x [ ʃ ] [ シュ ] イベリア半島共通 → x [ ʃ ] ポルトガル語
↓
x [ x ] [ フ ] スペイン語 17世紀~
↓
j, x [ x ] [ フ ] スペイン語
〓たとえば、メキシコの地名に、
Xochimilco [ ショチ ' ミるコ ] ショチミルコ
があります。現在では、スペイン語にしたがって、「ソチミルコ」 と読むのが正しいとされていますが、本来は、ナワトル語の Xochimilco 「ショチミルコ」 “花が栽培されている場所” を
16世紀のスペイン語で写したもの
です。当時のスペイン語の x は [ ʃ ] という音だったので、ナワトル語の [ ʃ ] 音を写すのにちょうどよかったんですね。
〓スペイン語では、17世紀に [ ʃ ] 音が、現代語と同じ [ x ] 音に変化します。それ以前に、
j [ j ] [ イ ] ラテン語
↓
j [ ʒ ] [ ジュ ] イベリア半島共通 → j [ ʒ ] ポルトガル語
↓
j [ ʃ ] [ シュ ] スペイン語
という変化も起こっていたので、
j, x [ ʃ ] [ シュ ] スペイン語
↓
j, x [ x ] [ フ ] スペイン語。17世紀~
というふうに、 j と x の音が合流して [ x ] 音に変化しました。
〓ですから、1605年に刊行された “Don Quixote” は、当初、「ドン・キショーテ」 と発音されていた可能性がありますね。現代スペイン語では、 “Don Quijote” と書くことになっています。
〓そんなワケですから、西欧諸語でも、16世紀までは、スペイン語とポルトガル語で、
X, x [ ʃ ]
と発音していたのです。なので、中国語の Shangdu 「シャンドゥー」 を Xangdu でヨーロッパに伝える可能性があるのはスペイン人かポルトガル人であり、その発音も 「シャン(グ)ドゥ」 である、と考えられるのです。
〓コールリッジは、詩の草稿の段階では、 Xannadu とも綴っていたそうです。英国人に Xangdu は発音がむずかしいと考えたのか、あるいは、単純に Xangdu を Xanadu と読みまちがえたのか、そこのところはわかりません。
〓しかし、英国では、「シャナドゥ」 という発音になりませんでした。語頭の x- を [ z- ] で読む伝統があったからです。この伝統は、おそらく、フランス語から来ているんでしょう。
〓フランス語は、伝統的に、語頭の x- を [ ɡz- ] で読んできたようです。もっとも、近代以降、ギリシャ語から借用された学術語などでは、 [ ks- ] で読みますが、古くからある、主として固有名詞、
Xavier [ ɡza'vje ] [ グザヴィ ' エ ] 男子名
Xérès [ ɡze'ʁεs ] [ グゼ ' レス ] (スペインの) ヘレス地方
xylophone [ ɡzilɔ'fɔn ] [ グズィろ ' フォンヌ ] 木琴
には [ ɡz- ] 音が残ります。
〓これは、おそらく、語頭における [ ks- ] 音の “響き” の弱さを嫌ったものでしょう。そもそも、語頭に [ ks- ] などという子音群を持つのはギリシャ語くらいのもので、他の言語では不安定なんですね。
〓それで、語頭の子音群を “強化する” ために有声化したものでしょう。
〓おもしろいことに、英語では、すべからく [ ɡ ] が落ちて [ z ] のみになっています。
xenon [ 'zi:nɑn ] [ ' ズィーナン ] キセノン
xylophone [ 'zaɪləˌfoʊn ] [ ' ザイら , フォウン ] 木琴
Xerox [ 'zɪrɔks ] [ ' ズィロックス ] ゼロックス
Xavier [ 'zeɪviɚ ] [ ɪɡ'zeɪviɚ ]
[ ' ゼイヴィア ] [ イグ ' ゼイヴィア ] 男子名
〓面白いのは、 Xavier という男子名で、正式な発音は 「ゼイヴィア」 でありながら、一般には 「イグゼイヴィア」 と、あたかも語頭に E- があるように発音することが多い、ということです。
〓ことによると、フランスでも一般民衆は、 x- で始まる語に、たとえば、 escole 「エスコル=学校」、 esteile 「エステイル=星」 のごとく、 e- を添えて発音していたのかもしれません。
〓実際、フランス人の姓には、 Exavier 「エグザヴィエ」 というものが少なからず見つかります。
〓英国では、フランス流の 「語頭の x-」 の読み方が崩れて、 [ z- ] で読むようになったわけですね。なので、
Xanadu [ 'zænəˌdu: ] [ ' ザナ , ドゥー ]
と発音するわけです。
〓ところで、今、さんざん出てきた Xavier という男子名に心当たりはありませんか。そうですよ。
「ザビエル」
です。実は、日本語で 「ザビエル」 と呼び習わしているのは、とても不思議なことなんです。というのも、上に示したスペイン語、ポルトガル語での X- の発音の変遷を見ればわかります。
[ z ]、[ ʒ ] という音だったことは一度もない
のです。
〓明日は、「ザビエル」 について考えてみましょうか。