「働かざる者、食うべからず」。 | げたにれの “日日是言語学”

げたにれの “日日是言語学”

やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓2007年のフィギュアスケート・グランプリ・シリーズが始まりました。今回のアメリカ大会に出場する女子は、

   安藤美姫 選手
   浅田 舞 選手

ですね。浅田舞選手は、真央ちゃんのお姉さんね。


〓来週からのカナダ大会には、

   浅田真央 選手
   中野友加里 選手
   武田奈也 (たけだ なな) 選手


が出場します。出るんですねえ 「武田奈也」 選手。アタクシが、ひそかに応援している選手です。



村主章枝 (すぐり ふみえ) 選手は、その次の週の “チャイナ・カップ” から出場。その次のフランス大会には、澤田亜紀 (さわだ あき) 選手 も出るんですね。
〓女子選手は、以上7名です。7名ですよ、ああた。スッゴイ・デ・ス・ネ~。


〓ファイナルは、イタリアのトリノで、12月13日から。安藤美姫さんが 15位に甘んじ、浅田真央さんが年齢制限で出場できなかった、あの “トリノ・オリンピック” とまったく同じ会場ですよ。
〓しかし、楽しみですよ。武田奈也 選手ね。

〓男子のほうでは、織田信成 (おだ のぶなり) 選手が出場を見送りましたね…… 残念ね。



               雪の結晶               雪の結晶               雪の結晶



〓浅田真央選手は、ロシアでトレーニングをしていたそうです。先だっての9月の誕生日のようすが TV で流れていましたが、ロシア人選手たちに囲まれて、お祝いのパーティをやっていました。大きなバースデーケーキには、ロシア文字で、大きく、



               Маочка
              С Днём
             Рождения

            Maochka [ ' マオちカ ]
           S Dnjom [ ズダ ' ニョーム ]
          Rozhdjenija [ ラじ ' ヂェーニヤ ]

               マオチカ
          誕生日 (おめでとう)



と書かれていました。ふ~んと思ったのは、「マオ」 の愛称は、やっぱり 「マオチカ」 なんだなあ、と。厳密に言うと、名前が Мао Mao [ ' マーオ ] で、愛称語尾が -очка -ochka [ -アちカ ] なので、なんつーか、単語の連結部で “部品が1個落ちてる感じ” なんですよ。ロシア人女性の名前が で終わることは、まず 100%ないですから……






  【 人に貸すのは悪い方から 】



〓最近ですね、思わずニヤリとしてしまふ CM があります。

   NTT 東日本 FLET’S 光
     “こちら 116 (サポート充実)
    http://www.ntt-east.co.jp/gallery/tv/cm_flets.html

というらしいんですが、要はですね、

  草彅剛くんと中居正広さんが、
  
時代劇の撮影中で休憩している。

  ツヨシくんが紙コップに入った
  
コーヒーを2つ持ってくる。


という設定の CM です。心当たりありましょうか。

  ツヨポン 「ナカイくん、コーヒー」
  
中居くん 「うん、ありがとう」


〓ところが、ここで中居くんに 「FLET’S 光」 の問い合せの電話がかかってきます。

   ツヨポンはコーヒーを2つ持って、待たされている……

〓ここで注意してみましょう。ツヨシくんは、


   「キミドリ色の紙コップ」 と

   「ウスチャ色の紙コップ」 を   


持っています。そこで、手持ちブタさんのツヨポンは、

  「ウスチャ色の紙コップ」 からコーヒーを2クチ飲む

のです。
〓通話を終えた中居くんが、ビミョ~に 「キミドリ色の紙コップ」 に手を伸ばしかけると、ツヨポンは、ビミョ~に 「キミドリ色のコップ」 を引っ込めて、「ウスチャ色のコップ」 を前に出す、のです。
〓すると、中居くんは、何も知らずに 「ウスチャ色の紙コップ」 を受け取るんですね。



〓おかしいのはね、草彅剛くんが、まったく表情を変えず、まるで無意識にしか見えないところなんですよ。「ぷっすま」 でね、ナンというか、2.5枚目路線を維持している感じが、ここにも出ていておかしいんですね。


〓あの CM を見てね、

   「人に貸すのは、まず悪い方から」

っていう言い方を思い出したんです。どういうんでしょう。コトワザ辞典には載ってないですね。日本国語大辞典を全面的に検索したんですが、それらしい表現は載っていませんでした。Google で検索しても、それに類する表現が見つからないんですよね。

   たった1件だけ、それらしいのが見つかりました。

〓オットロシ~ことに、「談志ひとり会」 の “プログラムのことば” を収録したページなんです。平成9年8月9日分の 「ひとり会」 のプログラムのコトバの中に、

   「他人に貸すときは悪いほうから貸す」

というのが出てきています。どうやら、落語の 『三軒長屋』 からの引用らしい。


〓するってえと、「人に貸すのは、悪い方から」 というのは、落語から出たコトバなんでしょうか。誰から聞いたのか? たぶん、年寄りだろうなあ、とは思うんです。昔の日本の年寄りってえのは、「身も蓋もないことを」、あんがい、平気で言ったもんですよね。アッシが下町育ちだからでしょうか。

〓こういうコトバってあるでしょう。なんか、世間では聞くような言い方だけど、辞書にも載ってないし、コトワザ辞典にもない。いったい、自分はどこで覚えたんだろう、ってね。





  【 働かざる者、食うべからず 】


ってコトワザがあるでしょう。ああた、今、「うん」 て言いました? ないんですよないんですよないんですよ。ないんです。そんなコトワザは。
〓少なくとも、5年くらい前までは、これを掲載しているコトワザ辞典はありませんでした。最近は、これを載せているものがあります。


〓実際ね、日本国語大辞典には、どこをどうひっくり返しても、ひもといてバラバラにしてみても、「働かざる者、食うべからず」 はミジンも載っていないんです。

   そんなコトワザはないんですよ

〓これね、戦後に流行った “慣用句” らしいのです。もともとは、ロシアのコトワザです。



   Кто не работает, тот не ест.
       Kto nje rabotajet, tot nje jest.
       [ ク ' トー  ニェ  ラ ' ボータイェット  ' トット  ニェ  ' イェスト ]
       = 「働かない者は、食べるべきではない」


〓これが日本に入ってきた経緯については、2通りのシナリオが考えられます。


(1) シベリアに抑留された日本兵には、わずかな食料で、過酷な労働が課せられました。一日に達成しなければならない仕事の量を 「ノルマ」 (=規定量) と言い、これに達しない場合、「食事の量を減らされる」、「懲罰房に入れられる」 などの罰が与えられました。その際、日本兵は、ソ連兵に 「働かざる者、食うべからず」 と言われたと言います。このことわざが、ノルマというコトバとともに、帰還兵によって日本に持ち帰られたという説。

(2) もうひとつのシナリオは、レーニンの著作からの引用だというものです。レーニンの著作のなかに、「働かざる者、食うべからず」 が引用されている箇所があると言います。(にれのや、その箇所をまだ確認していません) レーニンは、「無産階級 (ブルジョア)=資本家」 にメシを食う権利はない、という意味で 「働かざる者、食うべからず」 と言っているわけです。これが、日本の左翼思想家・運動家のあいだで流行った、という説。

〓レーニン経由だとすると、

   働かざる者 = ブルジョア
   働く者  = プロレタリア

という図式になりますが、アッシなんぞが子どものころに聞いた 「働かざる者、食うべからず」 は、あきらかに思想的背景というよりも、家計的背景のものでした。



〓ところでですね、このロシアのコトワザは、ロシア人の発明ではなく、新約聖書からの引用です。

   『テサロニケの信徒への手紙 二』  3:10

に出てきます。これは、「パウロ、シルワノ、テモテから」、「テサロニケの教会 (の信徒たち)」 に書かれた手紙ということのようです。その第3章に、



──────────────────────────────────────────────────
 兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主 (しゅ) イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。


 援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、


   「働きたくない者は、食べてはならない」


と命じていました。ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。……


──────────────────────────────────────────────────




〓まあ、こういう道徳的なクダリで言われたことなんですね。それが、レーニンを通して 「階級闘争」 になった。新共同訳というのは、原文のヘブライ語・ギリシャ語に忠実なんですが、だとすると、本来は、

   働きたくない者は、食べてはならない

なんですね。

   働かない者は、食べてはならない

とはビミョウにニュアンスがちがいます。「働きたくない者は、食べてはならない」 ならば、

   働きたくても働けない者は、食べてもよい

ということになりますね。

〓とにかく、ロシア人は、とりわけこのクダリが気に入ったように見えます。なぜでしょう。






  【 「働かざる者、食うべからず」 の起源 】



〓「働かざる者、食うべからず」 の原典、「働きたくない者は、食べてはならない」 がギリシャ語でどうなっているか、調べてみました。



   εἴ τις οὐ θέλει ἐργάζεσθαι(,) μηδὲ ἐσθιέτω
     ei tis ū thelei ergazesthai mēde esthietō
     [ エ ' イ ティス ウー ' てれイ エル ' ガゼスたイ メー ' デ エスてぃ ' エトー ]

     if anyone not wish to work, and not eat
     もし、誰か働きたくない者があったら、その者は食べるな。




〓やはり、新共同訳は忠実ですね。かつての文語訳をひとつ見てみましょうか。


   (けだし) 我等 (われら) 汝等 (なんじら) の中 (うち)
   在りし時、人若 (もし) 働く事を否まば、亦 (また) 食すべからず、と命じたりき。

〓「人もし働くことをこばまば、また食すべからず」 だそうです。こちらも文意は忠実ですね。英語版はどうなっているかしらん。



  【 American Standard Version 】


   For even when we were with you, this we commanded you,
   If any will not work, neither let him eat.

     「もし、誰かが働こうとしないなら、その者に食べさせてはならない」




  【 King James Version 】  (いわゆる、「欽定訳聖書」


   For even when we were with you, this we commanded you,
   that if any would not work, neither should he eat.

     「もし、誰かが働こうとしないなら、その者は食べるべきではない」


       ※ would not のほうが、will not よりも 「しようとしない」 という拒否の程度が強い。


  【 World English Bible 】


   For even when we were with you, we commanded you this:
   “If anyone will not work, neither let him eat.”

     「もし、誰かが働こうとしないなら、その者に食べさせてはならない」


       ※引用符を使ってはいるが、American Standard Version と同じ。



〓どうやら、英語の聖書でも、「働かざる者、食うべからず」 とはなっていないようです。では、ロシア語ではどうなっているかしら。


   ибо когда мы были у вас, то заповедовали вам:
   кто не желает трудиться, тот пусть и не ест.
       kto nje zhelajet truditsa, tot pust' i nje jest.
       [ ク ' トー ニェ じぇ ' らーイェット トルゥ ' ヂーッツァ ' トット ' プースチ イ ニェ ' イェスト ]

       「働きたくない者には、食べさせるな」


〓おやおやおや、ロシア語のコトワザの文型とちがってますよ。


     Кто не работает, тот не ест.

       [ ク ' トー ニェ ラ ' ボータイェット ' トット ニェ ' イェスト ]

       「働かない者は、食うな」


だったはずです。どういうことなのか?
〓どうやら、“Кто не работает, тот не ест.” という単純な表現に変えたのはレーニンその人であるようです。この句について、ロシア語で説明しているページがあったので、以下に訳出してみましょう。


──────────────────────────────────────────────────

http://www.pravmir.ru/article_597.html

  “Православие и мир” というサイトから


Плакаты с грозным предупреждением: "кто не работает, тот не ест" обычно подписывались именем Ленина и в первые годы советской власти висели едва ли не в каждом "красном уголке".

Эту фразу действительно можно найти в 36 томе Полного собрания сочинений вождя мирового пролетариата (статья: "О голоде").  
Она присутствует и в знаменитом "Моральном кодексе строителя коммунизма", и в советских Конституциях.  Например, в 12-й статье так называемой "сталинской" Конституции 1936 года сказано: "Труд в СССР является обязанностью и делом чести каждого способного к труду гражданина по принципу "кто не работает, тот не ест".  Из "брежневской" конституции 1977 года эту фразу убрали, однако сам принцип остался.  А "уклонение от общественно полезного труда" было "несовместимо с принципами социалистического общества" (статья 60).  Смысл этого понятен: из полноценной жизни страны Советов исключались те, кого государство (в лице своих чиновников) считало "паразитами" и "тунеядцами".

Таким образом, слова "кто не работает, тот не ест" устойчиво ассоциируются с социалистической системой, а их автором многие до сих пор считают Владимира Ильича Ленина.  Но вождь мирового пролетариата не выдумал эту фразу, а позаимствовал ее из Библии.  Ведь он - выпускник гимназии и университета - изучал Священное Писание и, скорее всего, хорошо знал, что слова "Если кто не хочет трудиться, тот и не ешь" принадлежат апостолу Павлу.  Удивительно, но, цитируя и используя слова Апостола в коммунистической доктрине, ее идеологи умудрялись одновременно критиковать их в антирелигиозных изданиях.  Например, в учебниках советского времени говорилось примерно следующее: фраза апостола Павла "если кто не хочет трудиться, тот и не ешь" - это обычная в рабовладельческом обществе формула рабской трудовой повинности.  Такой вот парадокс: одна и та же мысль выносится на лозунги и одновременно объявляется проповедью рабской морали...


「働かざる者、食うべからず」 という威嚇的な警告の入ったポスターは、たいていレーニンの署名が入っていて、ソヴィエト政権の1年目には、おそらく、すべての “赤い部屋” (ソ連邦の政治的啓蒙施設) に、これがブラ下がっていただろう。

このフレーズは、なるほど確かに、この世界のプロレタリアートの指導者の著作全集、全36巻の中に見つけることができる。(論文 『飢饉について』 “О голоде”) あるいは、有名な 「共産主義建設者の道徳規範」 “Моральный кодекс строителя коммунизма” (ソ連邦共産党綱領)、また、ソヴィエト憲法にも見いだせる。たとえば、1936年のいわゆる 「スターリン憲法」 の第12条には、
「ソ連邦における労働とは、すなわち、“働かざる者、食うべからず” の原則のもと、働きうるすべてのソヴィエト市民の誇りある義務であり、また努めである」 とある。1977年の 「ブレジネフ憲法」 からはこのフレーズが削除されたが、理念そのものは生き残った。「社会的に有用な労働を忌避すること」 は、「社会主義社会の原則とは相容れない」 のである。(第60条) その意味は明瞭である。(官僚に代表されるところの) 国家が “寄生虫” とか “寄食者” とかみなした者は、ソヴィエト国家における価値ある人生からツマハジキにされたのだ。

かようにして、「働かざる者、食うべからず」 という句は、社会主義システムとしっかり関連づけられてきたので、多くの人々が、その考案者をウラジーミル・イリイチ・レーニンだとみなしているのである。しかし、世界的プロレタリアートの指導者は、この句を考案したのではなく、聖書から借用したのである。なにしろ、彼は、ギムナジウムと大学の卒業時に、聖書の研究をしていたので、おそらく、「もし、働きたくない者がいたら、その者は食べるべきではない」 “Если кто не хочет трудиться, тот и не ешь” というコトバが使徒パウロのものであることを、よく知っていたであろう。だが、奇妙なことに、共産主義的ドクトリンの提唱者たちは、パウロのコトバを引き合いに出して使いながらも、いっぽうでは、ご苦労なことに反宗教書の中で、そのコトバを批判していたのである。たとえば、ソヴィエト時代の教科書では、だいたい、次のような事が言われていた。使徒パウロのコトバ “もし、働きたくない者がいたら、その者は食べるべきではない” というのは、奴隷制社会において奴隷の労働義務を言い表す一般的な表現である、というのである。これはとんだパラドックスである。まったく同じ意味のことをスローガンとして掲げながら、いっぽうでは奴隷の倫理の喧伝であると決めつける……


──────────────────────────────────────────────────


〓いろいろなことがわかります。たとえば、「働かざる者、食うべからず」 が出てくるレーニンの著作は


   “О голоде”  [ ア ' ゴーらヂェ ] 『飢饉について』


である、ということ。


〓さらに興味深いのは、ソヴィエト政権の初期には、「働かざる者、食うべからず」 というのが、共産党が政治的啓蒙のために使用した “宣伝文句だった” ということ。それが、レーニンの署名入りで掲げられたということ。

〓もっと驚くべきことは、ソ連邦共産党綱領に 「働かざる者、食うべからず」 という一句が入っていたということですね。調べてみると、1961年に採択された

   Моральный кодекс строителя коммунизма
       『共産主義建設者の道徳的規範』

という共産党綱領の第2条に、

   Добросовестный труд на благо общества: 

            кто не работает, тот не ест.


       社会のためのひたむきな労働 ── 働かざる者、食うべからず。

とあります。


〓さらには、かつてのスターリン憲法にも、この句が入っていたと言うんですね。「憲法」 ですよ。

   「憲法」 に “働かざる者、食うべからず”

という一句が入っている国というのは、どうなんだろう……