こんばんは。
家の整理をしていたら
生命保険関係の書類が出てきて思い出が蘇りました。
今までドクターから生命の危機を
2度通告されました。
1度目は24才位の頃。
海外帰りの友達と3人で東北に旅行をした時。
その人は海外で感染病にかかり、
日本で入院生活をし退院直後。
すると、
その人からその病気が感染してしまったのです。
「伝染性単核球症」
と診断され、診察を受けたらその場で
「入院」を言い渡されました。
それを拒むとドクターは
「入院しないなら命の保障は出来ない」
生まれて初めて
命に関する事を言われ驚きました。
症状はのどに膿がたまり、
激痛でつばも飲み込めずに、
40度前後の高熱が出るような状態で、
肝機能も通常の1割程度に著しく低下。
のどの激痛でしゃべる事も出来ず筆談。
一切食事も出来ずに
点滴で栄養補給する生活。
約半月の入院生活をして退院。
2度目は30才の時。
40度近い熱が下がらず診察に行きました。
意識朦朧として待合室で待っていると、
あまりの状態に看護婦さんが気付き
診察せずに、
その場で車イスに乗せられ即入院。
当時2000年のカウントダウンで盛り上がってましたけれど
意識朦朧としていたので
2000年になった事は覚えていません。
正直この近辺の記憶は曖昧で詳細を思い出せないのです。
喋る事、食べる事、起き上がる事
全部出来ず
トイレも殆どお世話になる状態。
そこからは本当に苦しい日々の連続で、
生まれた初めて、
「地獄」という言葉が浮かんだほどです。
高熱の原因も不明。
原因究明も為、検査、検査の日々。
CT・胃カメラ・大腸・骨髄・ガリウム…
こんなに検査があるのかと驚くほど。
当時の体温測定の記録をみると
40度を幾度も超え
2週間以上高熱と戦い続け
結果的に会社を4か月休職。
そして、検査結果が出る時にドクターから
「検査結果を
ご家族に伝えたいので呼んで下さい」
以前から
「悪性リンパ腫の疑いがあります。」
と言われていたので
ある程度覚悟が出来ていました。
簡単に言えば
「ガン」です。
その時、
「あ~、人生は終わったな~」
不思議と諦めた感覚になり
落ち込む事は全くありませんでした。
これ本当です!
ところが、家族はそうもいきません。
真っ青になって検査結果の時に駆けつけました。
ドクターの部屋に呼ばれ
検査結果を言い渡されました。
「ガンは認められない」
家族全員
ホッ
としましたが
逆に原因不明のままなので複雑な心境。
結局原因不明のまま
「不明熱」と診断され
症状が治まったので退院。
退院する時のドクターから言われた言葉
「同じ症状がぶり返したら、
手術になりますので覚悟はしておいて下さい」
要するに爆弾を抱えたままの退院なので
何ともはがゆい気持ち。
その後は特別症状もなく
元気に過ごしています。
たまたま今回は書類整理がきっかけで
思い出した事を記録にしました。
今思い出すと良い経験が出来たと思います。
・入院している人の気持ち
・家族の気持ち
・命を宣告をされた人の気持ち
きっとこれは、
神様がくれた貴重な体験だと思います。
長文最後までありがとうございました。