さて、石川知裕代議士による講演のご報告も最終章となりました。
 レジメの最終テーマとなる「ICHIRO IS BACK (あいつが帰ってきた)」
 どうぞじっくりとお読みいただき、何かを感じていただければ幸いです。

 「小沢さんといえば、あの内閣不信任決議案、これは久々にしびれましたよね。産経新聞の記者が言ってました。夜眠れなかったと。眠れなかった上に鳩山さんがあんな行動を起こしてさらに眠れなくなったと。」
 あの鳩山さんの行動には本当に全国民が驚かされました。
 「マルコフ連鎖理論というロシアの数学者の話があって、未来というのは直近に起こったことによって決まるという、鳩山さんはなんかそれのスペシャリストですよね。12時ちょっと前の官邸で菅さんとのやりとりによって決めてしまったという、未来を決定するのは過去ではないという非常に都合のいい理論なんですけど・・・。」

 「この『悪党』を私は書くにあたって1ページ目にセオドア・ルーズベルトの言葉を書きました。このセオドア・ルーズベルトは42歳で史上最年少でアメリカ第25代大統領になった方です。」
 「批評することは大事じゃない、真に大事なのは実際に戦いの場に立って汗をかく男。血を流す男。そしてたとえ敗れる時でも敢然と戦いつつ敗れる男である。そういう男を実際に戦いの場に立たない人間が批判することは出来ない」
 これが赤坂チュリスの小沢さんの事務所に飾ってあるそうです。
 「これを1ページ目に記しました。昨日、私の仲間の議員ですけど、菅さんを下ろそうということで呼びかけて31人の方が集まりました。
 でもね、総理大臣を辞めさせるっていうのは内閣不信任決議案を可決するか、自発的に辞任するしかないんです。小沢さんはハッキリそう言ってました。
 やっぱり憲法の中で法に法って行動していくだけです。やはりそれをみんなが理解してくれれば今日のように、あの時はもう内閣不信任決議案に賛成するとか決議案を出すなんてとんでもないって報道機関が8割反対で9割くらいが小沢さんの行動をダメだって言ってたのに、今になってやっぱりあの時辞めさせときゃよかったんじゃないか、って全くナンセンスな話ですけど」
 マスコミは無責任極まりないですから・・・。
 「しかし、実際に戦いの場に立って行動を起こすということが大事なんです。ただその小沢さんにも少し光明が見えてまいりました。
 小沢さんの検察審査会によって起訴相当になったのは我々の調書を証拠として起訴相当になりましたから、これが任意性がとんだということは小沢さんの裁判に与える影響というのは非常に大きいものがあるんです。
 私の裁判は9月26日が今のところ判決の予定日です。
 小沢さんの裁判は来年の春頃になります。その時がどのような政治状況になっているかわかりませんけれども、今、世論調査やりますと、一番に小沢さんが来たり二番に小沢さんが来たりとするというのは国民の中にはどこかに待望論があると。」
 確かに小沢さんの強いリーダーシップを求める声は高まりつつあると感じます。

 「私はやっぱり国民のみなさんも大体余計な時に明治維新の元勲は偉かったとか、よく言うじゃないですか。あの頃の政治家は違っただとか・・・確かに多少は違うかもしれません。
 しかしながら昔の伊藤博文や大隈重信は立派な方ではありましたが、みんながみんな本当にそうだったのかというと、これは小島直記さんという方の本の“無冠の男”っていうのがあるんですけど、古島一雄っていう政治家が“金に潔にして女に汚きは伊藤博文なり、女に潔にして金に汚きは大隈なり。”とこういう言葉を残しております。」 

 「政治家に求められるものは何かというと私はやっぱり実際に政治を動かす力、では政治を動かすというのは、何なのか・・・政治家がこうだ!と方向性を示した時にみんなをついてこさせる力、奮い立たせる力なわけです。これから民主党代表が誰になって、総理大臣が誰になるかわかりません。
 しかし、危機の時には真のリーダーを選ばないといけないというのが今日の私の拙い講演ではありますが最後の言葉です。」

 「チャーチルの言葉を最後に、チャーチルのエピソードを一番最後に載せました。チャーチルは成功とは意欲を失わずに失敗に次ぐ失敗を繰り返すこと、というのを言ってるんですけど、最後の“ICHIRO IS BACK”というのは、当時チェンバレンというのがチャーチルの前に総理大臣だったんです。チェンバレンはミュンヘン危機と呼ばれているものなんですが、ドイツに行ってその危機を回避するんです。ヒトラーは攻めてこないよ、と言って戻ってきた時にチャーチルは傷心なわけです。チャーチルはずっとヒトラーは危険だというのと空軍の優位性を言ってきたわけです。でも、チャーチルは認められなかった。
 しかし、ドイツのヒトラーが攻めてきた時にチェンバレンもチャーチルを閣内に戻すしかなかった。
 彼は第二次世界大戦が始まってすぐに総理大臣になったわけではありません。最初は海軍大臣として呼び戻されました。海軍大臣として呼び戻された時、元々チャーチルは第一次世界大戦の時に海軍大臣も務めてますから一度。彼は軍人です。軍人と記者でありました。ノーベル文学賞もとってる非常に優秀な書き手でありました。
 その第一次世界大戦で多少作戦には失敗しております。ダーダネルス海峡の戦いで多少失敗はしてますけれども、第二次世界大戦で彼が戻ってきた時に全海軍に対して海軍が“ウインストン・イズ・バック”と打つんです。“あいつが帰ってきた”として海軍が奮い立つわけです。よし、これでドイツと戦うと。」
 時は1939年のことですね。

 「私は最後に“ICHIRO IS BACK”と書きましたのは小沢さんが今の苦境を乗り越えて内閣総理大臣として国を動かすという時にこうした電報を“関西 日本一新の会”代表の森田さんからお打ちいただければみなさん奮い立って頑張れるんじゃないかと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。」

“ウインストン・イズ・バック”から約70年後のこの時に私は“ICHIRO IS BACK”と全国の同志に発信する日を心待ちにしたいと思います。

(文責 「関西 日本一新の会」代表 森田 友企子)
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