ハリケーン「アイリーン」がアメリカ東海岸を襲ってニューヨークも28日に直撃を受けたそうだ。ニューヨークを直撃した時点ではすでに熱帯低気圧まで勢力が衰えていたそうだが、そもそもハリケーンの尺度は台風よりずっと強力で、一昔前まで「並みの強さの台風(現在では大したことはないという誤解を受けないよう、強弱に関しては、弱いとか並みの強さ、サイズについては、ごく小さい、小型、中型、という表現は使われなくなったそうだ)」といっていたくらいの最大風速だとハリケーンに入らない


最大風速でいうと秒速33m以下だとハリケーンには入らない。だから、具体的な数値が報道されてないので分からないのだが、熱低になったからといっても、我々の基準からすると、直撃時でも全然、並みの台風並みの勢力であったのであろう。


このようなハリケーンがニューヨークを直撃するのは118年ぶりだか190年ぶりだそうである。ニューヨーク市では低地の住民約30万人を対象に避難命令が出されたそうだが、このようなことはNY史上初とのことである。


前置きが長くなったが、実はこのことはニューヨークのウォール街を中心とした経済体制というか金融資本主義体制の崩壊の序章が始まったことを象意しているのではないかと思ったからである。つづきはまた。

お久しぶりです。再開に向けて書いていた原稿をもって帰るのを忘れて手元にないので、前後しますが、先に津波の件を書いておきます。


最近、津波博物館・津波パーク・津波ミュージアムなる構想があると耳にしました。どういう構想かといいますと、津波で被害にあった町、港などをそのままの状態で残して、その惨劇、自然、地震、津波の恐ろしさを世界中の人や未来の人々に伝えるというものです。


私は聞いてしばらくはピンとこなかったのですが、これは是非実現してほしい構想だと思っており、これを読まれた方にも広めてほしいと思ってます。


もちろん、こんなことを書くと、一刻も早く街を復活させて、もとの平穏な生活に戻りたいと考えている被災者の方々の多くは、えっと思われるかもれません。もちろんそういう被災者の方々が大勢を占めるところにあっては、一刻も早く街を再興させてほしいと思います。


でも、街によっては、仮に街を前のまま復活させても、いつまた津波に襲われるかわからないので住みたくないとか、復活しても回りに住んでいた人々はみんないなくなってしまって寂しいとか、そういう被災者の方々が多くいらっしゃるところもたくさんあるのではないかと思います。住むとしてももっと山側に移りたいという方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?


あるいは、そうであっても悲惨な記憶がよみがえるものだから、早くきれいにしたいと思われるかもしれません。しかしだからこそ、皆に見てもらう価値があるのです。それを見た人はすくなくとも他では、絶対に体験することにできない何かを感じて深く心にそれを刻んでいくものと思います。


人が造りしものを、自然がコテンパンに破壊しつくしたという様は、人工的には決して造りうるものではありません。そして自然だけでももちろん造ることができないのです。そして他に自然災害はあまたあるでしょうが、今回のような状況は、地震、津波の多い我が国ならではの唯一無二のものであり、我が国でも2度と起こってほしくない代物であります。


だから、この状況を単に映像として残すだけでなく、われわれの五感すべてを動員して感じられるものとして残してほしいのです。そしてもしこれが実現すると、我が国の国民は全員一度は見に来るでしょうし、修学旅行や研修旅行のコースに入るでしょうし、世界中から一度は見てみたいという人が殺到するでしょう。


そして昼は、自然の猛威や人間の力の限界、津波の恐ろしさを五感いっぱいで感じて、夜は山間の温泉などでゆっくりするのはいかがでしょうか?これらのコンテンツは、単に興味深かったというような境地を超えて、体験したそれぞれの人に、人間や自然の関わりとか、生きるって?命って?とか、無常観とか、何か哲学的な感性なりを呼び起こしてくれるのではないでしょうか


したがって、その場を提供してくれた被災者の方々はこれらのコンテンツを提供するという、単なる観光地の営業とは違う崇高な使命を帯びることになります。そして他では絶対に提供できず、かつ極めてインパクトが大きいという点から、世界中から永続的な見学者を引き込むことができるだろうと思います。それは東北地方の経済的復興に大きな力となるでしょうし、未来永劫東北が世界から注目されるということにもなるでしょう。



そのために残してほしいのは中途半端にごく一部とかいうのではなく、できれは市や町、村、港を丸ごと、崩れた家や散乱した船や車、流された家屋、破壊された堤防など、丸ごとです。町全体というインパクトを残してほしいのです。同様なコンセプトのものとしてたとえば原爆ドームなどがありますが、やはり建物一つでは伝わってくるものには限界があります。もし仮にあの直後の広島の写真のままが仮に残っていたとすると、その恐怖感なりは桁違いなものになったと思います。


せっかくであれば、世界中からあそこは凄い、是非一度行ってみるといいよ、といわれるだけのものを残してほしいと思います。それは被災者の方々にはつらい思い出であるかもしれませんが、世界に何かを伝えるという崇高な使命感をもたらすものであるでしょう。復活に向けて前にすすみましょう!

いろいろ続き物が中途半端なまま割り込みすみません。

土肥氏のようなお粗末な人が、議員をやっていること、驚きを隠せません。

といっても彼がキリスト者であることを聞いて、あっ!またまたお得意の、という感じもします。今回の主役は日韓キリスト教議員連盟とのことですので、キリスト者に関する側面から意見を述べさせていただきます。

私にはキリスト教信者の知り合いがそこそこいて、その人たちとのこれまでの付き合いや、その他の見聞から感じていることなのですが、とにかくこの土肥氏のような手合いがちょこちょこいるのです(といってもここまでひどいのは知っている範囲ではいませんけど)。もちろんキリスト者の全員がそうだといってるわけではありませんので誤解のないようにしてください。多くの方はそうではないと思います。またここでのキリスト者とは特に日本人でキリスト者である人たちのことを指していると考えてください。かなりの部分は東アジアでキリスト者である人と拡張しても良いかも知れません。

この土肥氏に象徴される一部のキリスト者の人たちの特徴は大変姑息というか欺瞞的である点です。

この人たちはキリスト者としての帰属意識が最優先で、日本人としてとか日本の文化・伝統とか東洋の宗教・伝統などに対して非常に希薄な意識とか、むしろネガティブな意識を持っています。まあそれだけなら、個人の自由といえば自由かもしれませんが、それでも私はそれでいいとは言えないと思いますが。

最大の問題は、基本的にキリスト者としての帰属意識が最大というか人によってはほとんどそれだけでいながら、都合によって日本人というところを最前面に出してきて、さも自分が国家の壁を超えて反省することにできる徳性の高い人間であるように振舞うのです。同時に決して我が国に対する愛情があるわけでなく我が国を揶揄したい、けちをつけたい、馬鹿にしたいという気持ちもそこそこあるのではないかと思います。

土肥氏やそれに類する方々にいっておきたいと思います。あなた方がそんなことをしたいのなら、あなた方はキリスト者であることの方が帰属意識がはるかに高いのですから、キリスト教やキリスト教信者が過去の歴史の中で行ってきた悪行をキリスト教信者の立場でお詫び行脚に出たらいかがでしょうか?

世界中を行脚して、南北アメリカでもアフリカでもアジアでも、豪州でも、宣教師を先鞭にして、あるいは宣教師でなくてもその信者が、侵略をして植民地化して奴隷をつくったのはどこの信者の方でしたっけ?

とにかく土肥氏はこの手合いで、自分では確信的に正しいことをしていると思っているのでしょうから、死んでもというか、長い輪廻を経ないと改まることはないんでしょうね。気づいていただければ良いとは思いますが。

とにかく民主党は率先して懲罰動議を出してください。国会では党派を超えてこういう手合いを国家反逆の刑事罰に問えるよう法整備を進めてください。

人気ブログランキング ご支援のほどよろしくお願いいたします。

すっかりご無沙汰してしまってすみません。毎日数十人の方が見に来てくれているようでとても有難く思います。

さて、最近、2つの文章が目に留まりました。ひとつは2チャンネルのひろゆき氏とホリエモンとの対談、もう一つは今書きかけ中の孔子様にかんする文章です。

まず一つ目ですが、ひろゆき氏とホリエモンとの対談なのですが、この内容が噴飯ものでした。馬鹿馬鹿しくてまともには読んでないのですが、一言でいうと、国のために戦うなんてアホくさい、どこかの国に侵略されたって知ったこっちゃないというような内容でした。これを引っ張っているのはひろゆき氏のほうで、ホリエモンは少しは異議があったような雰囲気もありましたが、結局同調していたようでした。ちゃんと読んでないので違っていたらすみません。

いうまでもないことですが、私たちは自分が生まれ育つのに有形無形の恩恵を与えてくれた集団、ひいては国家に対して恩義があり、それを守り発展させていく義務があります。

左翼の人々は国民という言葉を使わず、よく世界市民とかいう言葉を使いたがりますが、我が国の国民は、我が国に生まれただけで自動的に70億人の人類の中で、ほとんどが上位10%、悪くても20%以内の豊かで文化的な生活を送ることができます。世界市民などとのたまうのであれば、今まで上位10%以内にいたのですから、残りの人生はすべて下位10%の人々の暮らしをしてみればどうかと思います。1週間とかではないですよ。残りの人生すべてです。そうすれば立派に平均的な世界市民になれますね。

そうして残り何十年かを下位10%以内の人々の暮らしをしてみて、そこから一切逃げることができなくて、食事も十分ありつけず、もちろんおいしいものなど食べられず、病気になってもろくに治療もうけられず、風呂も入れず、旅行にもいけず、テレビも見れず、インターネットも無縁で、書物も読めず、飢えとか、感染症とか、天災とか犯罪、テロ、戦乱に悩まされながら、それでもなお逃げずに世界市民などとほざけるならその人は本物ですね。尊敬に値すると思います。でもどれだけそういう人がいるのでしょうかね?

遅くなりましたので、つづきはまた。



応援してください。


人気ブログランキング

シーシェパードの妨害で調査捕鯨をやめるというニュースを耳にして憤懣やるかたない。怒りの相手はシーシェパードでなく、これを決定した内閣に対してである。まったくこの内閣の腰抜けぶりには、本当に愛想が尽き果てる。我が国の正当な活動に対して、不当な実力行使をされるなら、それこそ自衛権を発動すればよいではないか。尖閣問題にしても、その後の北方領土問題にしても、この内閣はまったく学習していない。

でも逆に言えば、本当にいい仕事をしてくれている。この内閣存在の最大の意義は、愚かな真性左翼以外の心優しい我が国の人々の仏の顔を怒らせることにある。頑張れ内閣!



人気ブログランキング

昔からロシアからの返還を求めている北方領土が北方四島だけであることに疑問を持っている。この点に関してもっとも筋の通った議論をしているのは、よりによって日本共産党である。私は大抵のことにおいて日本共産党を支持しないが、この点に関しては共産党の意見が的を得ていると考える。

http://www.jcp.or.jp/seisaku/01-bassui/210414_niti_ro_heiwakousyo.html

一部を引用する。

引用はじめ

日ロ間の領土問題は、前述のとおり、第二次世界大戦終結のさいスターリンが「領土不拡大」の原則を破り、千島と歯舞、色丹を一方的にソ連に併合したことから起こったものです。したがって、問題解決の基本は、この大国主義的、覇権主義的な誤りを是正することにあります。そのためにも、一国の正当な歴史的領土を他国が併合することは許されないという、二十世紀が到達した国際法の根本原理にたって、今後の交渉にあたることです。

引用終わり

千島列島は、樺太・千島交換条約によって、戦争ではなく当事者間の交渉で平和裏に確定した誰にも文句を言われる筋合いのない我が国の正当な領土である。そのことをもっと堂々と主張するべきだ。サンフランシスコ条約では我が国の正当な領土と我が国固有とはいえない領土をチャンポンにして、戦勝国の勝手な都合ですべて放棄させられたのである。戦敗国の我が国としては、その仕分け交渉をできる立場になかった。国際社会に復帰するため当時の立場として飲むしかなかったわけである。

戦勝国が新たに領土を得れば、あの戦争の正当性(もとより相対的に見て、あるとは思えないが)を主張することなどできないはずだ。我が国は極東軍事裁判で裁かれたわけだが、裁いた側が領土を新たに得ることが正当なのか、真っ向から繰り返し主張すればよいのである。


なかなか気軽に書き綴ろうと思っていても、そうできないのだが、そうしないと時宜を逸してしまう。

さてもう過ぎてしまったが、2月7日は北方領土の日だ。

私は左翼的色彩の強い民主党に積極的な部分で期待していることは少ないが、かといって、自民党のままでよかったかというと、それも違う。小泉さん、安部さん、麻生さん、すくなくとも保守層からそれなりに支持されていた首相が続いたのに、力強い日本になる芽がでてきたかというと、残念ながらそうならなかった。もっと根本的な部分から自律的な変動が生じないとどうにもならないと感じていた。

その文脈でいうと既存のもの対する破壊力の強い小澤さんには、一度更地にするという観点でそれなりに期待はしているのだが、現在はその局面ではないようだ。私の小澤さんに対する思いは(というか小澤さんだけではなく大抵のものだが)、是々非々である。少なくとも天皇陛下に対する畏れの少なさについては支持できない。

小澤さんに関してはまたにして、ともかくまあ鳩山さんのぬるさはなんともいい難いし、その後の管、仙石内閣に関しての尖閣の顛末についてもいまさら私が言うまでもないが、独立国としての体をなしていない。

そして、その気概のない、だらしない対応後、ロシアが北方領土に対する足場を一挙に強めてきている。

私は国際関係などに関してさほど造詣が深いわけではないが、こんどのロシアの行動など、ここまで単純なものなのか、こんな簡単なことだったのか、と思うほど、シンプルな状況展開であった。

考えてみればソ連にしてもロシアにしても軍事大国で傍若無人で日本のことなど歯牙にもかけていないっていうような印象があった。北方領土に関しても、とてもまともに取り上げているような印象はなかった。だから今回ロシア大統領や政府高官が訪れたって事が問題になっているのを聞いて、率直に思った印象は「へえ、いままでそんなこと全然なかったんだ。ひょっとして遠慮してたの?」というものだった。

つまり、今回、民主党に政権が移るまでは、いままで歯牙にもかけていないようで、実は北方領土に関して多少の後ろめたいというか、すくなくとも大威張りでではないという思いとか、あるいはそんな思いがなかったにせよ、これ以上踏み込むとさすがの日本も黙っていないんじゃないかという怖れがあったということなのだ。

それか今回の尖閣の顛末で、こりゃ、チョロそうだ。いままでちょっと遠慮してたけど、ここで一挙に踏み込むチャンスだって思ったのは間違いない。未だにこんな簡単な力学で動いていたのだ。そして国際関係とはすごく複雑な方程式をから成り立っていると聞かされてきたことが(もちろん実際にはそうなのであろうが)、その根底は単純な力学関係だということが素人でもはっきり見えた局面であった。

考えてみれば自民党時代だって、こういうトラブルがあっても実質的に何ができたって考えると心もとない。下手をすると民主と大差ない結果になったかもしれない。それでも、外国から見ると一応そこまで踏み込めないというわずかな怖れがまだあったということかもしれない。また日米の距離感ももちろん大きいであろう。

かつて我が国が日露戦争で辛勝したとき、我が国は多くの非西欧諸国の希望となった。そしてそれが独立にむけた精神的支柱のひとつになったはずだ。今回、日中においてその逆が起こり、ロシアがその逆の最初の受益者になりそうなのは、なんとも皮肉な意趣返しだ。

本日、前原大臣が日露外相会談に臨むそうだが、いつものように途中で腰砕けにならないよう、毅然としてがんばってきてほしいものだ。

そしで、今回、このように国際関係が単純な力学で動いていることが垣間見えたわけだが、その交渉に当たる担当者も実は単純な力学で力を発揮できるのであろうと思う。つまりだ、お金の問題なら経済力だが、領土のとったとらないは軍事力である。そういうものがバックにひかえているだけで、交渉者はどれだけ心丈夫に交渉ができることか。別に実際には何もしなくたって、あるだけで十分、力になるのである。そのような原理は個人でも国家でも変わらない。我が国の早急な軍事力強化を求める。



よろしくお願いいたします。 人気ブログランキング

ちょっとあまり日がたつと忘れてしまうので、今のうちに書いておきたい。


曽野綾子さんは私の好きな論客の一人なのだが、前々からちょっと聞いてみたいことがあった。

いみじくも先週の産経新聞の連載で、曽野さんがまさに聞きたかったことを書いておられたので、それを機に書いておきたい。もっともこのブログが曽野さんの目にとまるかは甚だ疑問だが、いずれ大きなブログに育てる心意気で書いている。


といってももう正確な内容は忘れてしまったのだが、確か、日本の著名な慈善団体か宗教団体か何かのトップが、貧しい国の恵まれない人の施設を訪れて、そこで皮膚病に冒された人の手をすっとにぎっていた、というような感じのエピソードを紹介されていた。


それで曽野さんは、そのトップのやったたことは、一見とても人道的でやさしくて心を打つものがあるっぽく見えるけど、その施設なり、そこにいる恵まれない人々を真剣に助けたいと思っている人々は(多分、キリスト教関係の団体のメンバーなんだろう)、彼らをどうやって救って切り盛りしていくかに精一杯で、とてもそんな一見人道的なことをしている余裕などない。でも、一見冷たいようだが、実は皆が救われるようにより大局的な観点から、実質的な行動しているのだ、というような内容の文章だったように思う。


で、私が思ったのは、多くのキリスト教団体が行っているそのような慈善活動が、さらに大局的な観点から見ると、手をにぎっていた件のトップと、実は違わないのではないか?ってことなのだ。


つづく。



写真で?テレビで?映画で・・・?


いや、聞いてるのは直接見たことがあるか?ってことだ。


多くの人からはそんなの見たことあるわけないじゃん、って答えが返ってくるだろう。でも本当に見たことはないのですか?


私は原爆は見たことはないけど、水爆は見たことがある。


えっ?!って思うでしょ。でも目が見える人ならみんな見た事があるのだ。それも毎日だ。仮に直接水爆を見なかったとしても、その水爆の光は毎日みてるのだ。日中にものが見えるのはこの水爆の光が反射したり散乱したりしているからだ。


そう、お天道様(太陽)とかお星様(恒星)は水爆そのものなのだ。つまり我々は水爆のおかげで生きていくことができるのである。


これらはもちろんものすごい爆発力だ。でもその水爆の爆心地から1億5千万キロメートルも離れているから、事なきを得ているのである。それと地球の高層の大気がバリアを張っていることも大きい。


つまり我々との関係性がいい塩梅であれば、まさに我々を生成させてくれる恵みの水爆なのである。


問題は、これらがいい塩梅でない場合にどうすればよいかってことだ。すなわち原爆を含めて、我々のすごく近くで水爆の爆発がおきるリスクをどうやって低くするかってことなのだ。申し訳ないが、そのリスクが絶対無いとはいえない。


原理的に起こりえないこと以外は、必ず0%ではない確率で起こりうるのである。だからといってその確率を低める努力を怠ってはいけない。そしてそれは、いまだに多くの日本人が抱いているおままごとのような思想ではどうにもならないのである。



人気ブログランキング よろしくお願いします。

よろしくお願いします。人気ブログランキング


今日といってももう昨日だが、我が国のGDPがついに中国に抜かれて3位になったらしい。そういえばバブルがはじけて20年もたってしまったが、実は失われた10年といわれた1990年代だけど、1995年なんてすごく円高になったこともあり、ひょっとするとこのままアメリカのGDPを抜くかもと思ったこともあった。そんなこともあって、私は中国に抜かれたというより、アメリカの半分以上だったGDPがいつのまにやら1/3になっていることの方が残念だ。もっとも、このところの円高がもう少し進めば、1/2くらいまで戻すかもしれないが。


さて40年以上守ってきて我が国の看板だった2位の座を明け渡したわけだが、そのことはもう私の中では10年位前から織り込み済みのことだった。私の予想より5年くらい早まったようには思うが、いずれ抜かれたわけだ。なんせ相手は我が国の10倍以上も人がいる。ものの値段が同じなら、我が国は1人で中国人10人分以上の消費をしないとGDPでは勝てないのである。


つまりだ。日本人にとってGDPって何か自動車やハイテク機器、コンピュータや半導体、電化製品、ロケット、新幹線!というようなものっていう感じがあるけど、実は飯を食って、大小便をするんだって、みんなGDPなのだ。どこがって?トイレやトイレットペーパーだってそうだし、水道代もそうだ。し尿処理だってそうだし、掃除のおばさんのお給料だってそうだ。食べることに関していうと、我々がみんなギャル曽根ちゃんばりに食べないとどっこいにならないのである。もちろん日本のフードファイターたちは凄い!世界にその凄さを見せ付けて来てくれって思うけど、国民全員がそんなことになるのは馬鹿馬鹿しい。


てなことで、これはこれで良かったと思う。というのも、われわれ自虐史観に慣らされてたこともあって、豊かな我々はやはり中国に遠慮がかなりあったと思う。でもGDPが抜かれたのなら、もう遠慮は必要ない。それぞれがこれからの我が国はどうしたらよいか、考える機会になるし、生活の質とか、生きていくって何とか、そんなことをみんなが真剣に考える良い機会になればよいと思う。


下の図、右が切れてるけど、図をクリックすると原図にリンクするみたいです。

[世] [画像] - 名目GDP(USドル)の推移(1980~2010年)の比較(日本、アメリカ、中国)