日本最大のバイクレース「鈴鹿8時間耐久」。日本の4大メーカーは、最新鋭のマシーンを送り込み、しのぎを削る。かつてここに、わずか数人の小さなチームで大メーカーに挑んだ町工場があった。バイクのエンジン部品を手作業で改造する小さな工場「ヨシムラ」。親父の名は、吉村秀雄。マフラーやカムシャフトなど、たちまち奇跡の部品を生み出すその手は、「ゴッドハンド」と言われた。吉村の部品には、世界のメカニックもまねの出来ない技術が吹き込まれている。「ヨシムラ」は、あの本田宗一郎さえも脱帽した町工場だ。
しかし、この町工場が世界に認められるまでには、長い苦難の道のりがあった。
吉村秀雄は、九州・博多の鉄工所の次男。戦前、史上最年少の19歳で「航空機関士」に合格したが、敗戦で技術を発揮する場が失われ、生きる目標を見失っていた。そんな吉村に、昭和29年、運命の出会いが訪れる。進駐軍の兵士からレース用にと、バイクの改造を依頼された。バイク・エンジンの躍動感や加速感。かつて我を忘れて取り組んだ飛行機と似ていた。「これだ」と確信した吉村は、早速、バイクのチューンナップに乗り出した。家族総出で取り組んだヨシムラのマシーンは、レースで驚異のタイムをたたきだした。勝利を重ねる町工場「ヨシムラ」の名は、瞬く間に全国に広がった。やがて、ホンダから部品を提供してもらいマシーンを改造するという契約を果たした。
しかし、間もなく危機が訪れた。「吉村はライバルだ」。自らレース専門会社を設立したホンダは吉村との契約を断ち、部品の提供をストップ。吉村は孤立した。さらに、工場の未来を懸け、アメリカの市場に飛び込んだが、共同経営者に会社を乗っ取られる。再起を掛けた新工場も火事で焼失。吉村自身も技の命・両手が動かぬ瀕死の重傷を負った。
絶体絶命のピンチ。その時、吉村の前に現われたのは、「レースで勝ちたい」と願うバイクメーカーの技術者だった。吉村は家族と共に、一発逆転を掛け、昭和53年「第一回鈴鹿8時間耐久レース」に打って出る……。
番組は、技術一本に突き進んだ吉村秀雄とその家族の生き様を取材。大メーカーに立ち向かった町工場の壮絶な物語を描く。
今回は、2004年4月13日放送の番組を「特選プロジェクトX」として再び送る。
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